シンガポールから西北へ2時間半飛行してミャンマーの首都ヤンゴンに着いた。アジアの最富国から最貧国への旅である。この貧困の町をなんとなく歩き始めた。1950年代の韓国でもこのように貧困ではなかったように感じた。道は行政100%不在の国家、ホテルに出入りする度に入境する時のようにX線通過とボディチェックは耐えられない。旅人としては異国の風景として記憶すればそれで終わりであろう。しかし私は辛さと悲しさを痛感している。
シンガポールとミャンマーはイギリスから植民地とされた悲しい歴史を持っている。ミャンマーは他国異民族の支配から解放されたのに、自民族を自ら独裁して不幸にしている。ある作家のミャンマー旅行記に貧困から幸せを感じたという皮肉なことを書いたのを読んだ。飛行機の中で読んだアウンサンスーチ氏の文を通して軍事独裁の非行を読んで心から憂いを持っている。
市場と住宅街が常に混合しているような中心地、人道と車道の境界線を歩くようにしてホテルに戻って、窓から見えるホテルのプールで楽しんでいる風景、それは楽園であり、その外が最貧困の世界、光と闇であろうか。観光とはいかに贅沢、否残酷なことであろうかと思ってしまう。貧困を観光とするということ、いかに非倫理的あろうか。日本が楽園天国でありながら消費や浪費の大国ではなかろうか。日本ではモノを簡単に捨てるがここに来て紙一枚でも大事にすべきだと思った。
*写真は空港に迎え待っている人たち
シンガポールとミャンマーはイギリスから植民地とされた悲しい歴史を持っている。ミャンマーは他国異民族の支配から解放されたのに、自民族を自ら独裁して不幸にしている。ある作家のミャンマー旅行記に貧困から幸せを感じたという皮肉なことを書いたのを読んだ。飛行機の中で読んだアウンサンスーチ氏の文を通して軍事独裁の非行を読んで心から憂いを持っている。
市場と住宅街が常に混合しているような中心地、人道と車道の境界線を歩くようにしてホテルに戻って、窓から見えるホテルのプールで楽しんでいる風景、それは楽園であり、その外が最貧困の世界、光と闇であろうか。観光とはいかに贅沢、否残酷なことであろうかと思ってしまう。貧困を観光とするということ、いかに非倫理的あろうか。日本が楽園天国でありながら消費や浪費の大国ではなかろうか。日本ではモノを簡単に捨てるがここに来て紙一枚でも大事にすべきだと思った。
*写真は空港に迎え待っている人たち
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