崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

靖国参拝は慎重に

2013年04月25日 04時05分14秒 | エッセイ
戦争と植民地の歴史が甦っている。私はこの問題を本格的に解決できないと日韓関係や東アジアの平和はないと思って植民地研究を始めた30年前を想起している。政治家はその植民地と戦争の問題を学者に任せるという見解があるのは以前にも触れたことがある。しかし政治家より小心な学者の中には知っていても発信しない人もいる。政治家と学者の一致や不一致はどう考えるべきか。政治家は行動する、学者は考える。政治家はどう行動すべきか。学者や研究者側から見るとより深く広く考えないで行動するように見えることもある。
 日本の政治家の靖国参拝が続き、安倍晋三首相の侵略の定義は国によって異なるとの趣旨の発言で韓国で反発が強まっている。安倍氏の人気上昇とは逆に韓国の朴槿恵大統領は「慎重に」行動するよう警告した。私から見ると侵略戦争の定義はテロと聖戦のように国によって異なるのは事実である。それは深く考えたと言える。しかし広く考えたとは言い切れない。少なくとも日韓、日中の関係、加害者と被害者を合わせて考えることが必要である。人気上昇だけで傲慢な態度だと韓国言論は指摘している。隣国との関係改善が必要な時にこそ慎重に行動してほしい。

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3 コメント

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Unknown (黒羊)
2013-04-25 12:42:52
逆に言えば、現在の中韓の態度が続くのであれば、関係修復を必要としていないと考えた末、行動に出たとも言えます。安倍氏就任から現在まで、他のアジア諸国とは良好な関係を築けていますから。
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Unknown (崔吉城)
2013-04-26 05:16:16
戦前日本人(帝国)の大部分は大東亜戦争を「聖戦」と言ったはずです。その当時被植民地では反抗運動として暴力、テロを行って、戦後英雄とされている人も多いです。戦後、国連の基準一つで平和や戦争を定義することは無理です。戦争期において聖戦を批判した人は勇気ある人、その数少ないです。今は何を言っても安全、自由ですから平和を安易に叫ぶ人は多い。平和な時代に平和を主張するにはもっと深い意味を意識しなければなりません。         今靖国問題云々とするのはただ戦争への危機感だけのものではありません。日本が天皇制を骨格としている日本社会の実態からの問題でもあるからです。それは日本の国体(国家)として認めざるを得ないことです。日本社会のそのものの改革か、隣国から理解してもらうかの大きい問題でしょう。ただ平和主義騒ぎに乗っ取られたくはないです。
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Unknown (黒羊)
2013-04-26 06:32:46
他の国々には理解されている事が、何故隣国の方々だけには理解していただけないのでしょうか。
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