崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『アジア社会文化研究』14

2013年04月27日 05時50分29秒 | エッセイ
 90年代末、広島大学の学生たちにハーバード大学の勉強虫という映画のような読書会を勧めて一緒に発行したのが2000年『アジア社会文化研究』創刊号である。その後私は退職したが、記念号を出して頂き、大学院の教員と学生たちの研究活動によってそれは今も続いており、何時も関心を寄せている。昨日14号が届いた。前回、少し薄くなっていたので消えていくかと心配であったが、編集委員長の三木直大教授の編集後記には「外部の研究者も含めた査読制をしき、教員が編集委員となって刊行する研究誌ですが、査読制は院生諸氏が切磋琢磨し自らの研究能力を向上させていく手助けのためのものでもあります」と書いており、安心し、嬉しい。内容は「満州国の『説き憲書』と通書」(丸田孝志)、「消費される花柳界のイメージと、顧客が求めるもの」(中岡志保)、「想像上の戦争」(アン・シェリフ)と書評(越智郁乃、広瀬光沙、水羽信男)を読み始めた。
 オベリン大学の教授のアン・シェリフ氏の「想像上の戦争」はアメリカや日本などの歴史、文学、文化人類学の冷戦研究の状況を知る上で有効である。特に私にとってはほぼ生きてきた時代、また後期植民地を研究する者としては大いに参考になった。「冷戦」の中に「熱い戦争」(朝鮮戦争)を体験した私としては「戦後」の時代に実感がわいてきた。ソ連崩壊までの時期は戦時中とは変わらないプロパガンダ戦争であった(54p参照)。その後アメリカ中心の地域研究からグローバル化への研究に繋がっている。一方では17世紀以降の国民国家が多くの戦争を起こしたが、戦後の国家主義ナショナリズムが膨大する現在にいたっている。いま東アジアはナショナリズムの危機にさらされている。私には皆平和を装った戦争主義者に映るのはなぜであろうか。

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