二つの新聞の新年記念号に寄稿した。一つは「民団新聞」から珍しく原稿請託に応じて新年記念号に「兎年」を寄稿した。もう一つは地域新聞の「長周新聞」に数年連続して新年記念号エッセイとして「植民地朝鮮の劇映画と現在」を寄稿した。民団新聞に初めて名前を載せることになった。
「兎年」
崔吉城
(東亜大学教授・広島大学名誉教授)
2011年はウサギ年である。ウサギとは中国文化圏において十干、十二支を組み合わせて60年周期の干支の年号である。一般的に親しまれ覚えやすくするために元々遊牧民族が星座に大熊座や白鳥座、そして獅子、蛇、牡羊、兎、孔雀などの動物の名前を付ける習慣がある。そこからギリシャ神話も出来上がり、占星術が一般化されている。個人が星と関係を設定していることが多い。それは西洋だけの話ではない。
それはある程度中国文化圏でも共通のものである。古代中国人も西洋と似ていて天体に動物名をつけたものがある。中国古代ではより神話化されている。古代中国の詩人の屈原は《楚辞》<天問篇>で月の中にはウサギがいるといった。星だけではなく地図などでは国の地形を覚えやすくあるいは象徴的に動物や物に喩えることがある。たとえばベルギーをライオンに、イタリアを長靴に喩える。韓半島の形をウサギに似たと喩えられたことがあった。それは日本の学者が当時の朝鮮の弱さを象徴したものと反感をもった崔南善氏が虎に代置したという。虎が満州に向かって足を伸ばした形だというのである。
私は子供のときに空や宇宙があまりにも未知の世界であり、関心の対象になっていなかった。ただ夏の夜空を仰ぎ見て空の神秘さを感じたことがあるだけであった。しかし童謡や昔話、神話などを知るようなり関心は徐々に高まった。私のシャーマニズム研究では星の話は多く出る。特に捨てられた王女が三人の男の子を産んで、彼らが天に上って「三太星」(オリオン座)になった最も長い神話がある。また月にはウサギがいるという話も聞くようなり、月で神仙が食べる不老長生の仙薬を臼で搗く動物、ウサギを見て身ごもるという伝承もあり、月とウサギの関係性が知らされてから私の関心はさらに深まっていったのである。それはベトナムを除いて中国、韓国、日本まで広がって共通している。ただベトナムでは「卯」の発音が猫の鳴き声と似てウサギが「猫」になったという。
ウサギは一般的な家畜ではない。しかし神聖な、あるいは象徴的な動物でもない。親しい動物であるが、愛玩動物のようなものでもない。ただ昔話や動揺などによって親しまれた動物である。月に桂の木が一本あり、兎が一匹住んでいる話になっている。それを歌で聞いたり観察したりして月や宇宙がより深く親しく感じられる。
韓国人であればだれでも知っている児童文学家尹克榮(1903-1988)が作曲した童謡「半月」がある。
青い空 天の川 白い木の船に
桂一本 兎一匹
帆もなく 棹もなく
進んでいく 西の国へ
天の川を越えて 雲の国へ
雲の国を過ぎたら どこへ行くのか
遠くで きらきら光るもの
明けの明星が燈台だという 道を探して
帆もなく 棹もなく
進んでいく 西の国へ
国を失った朝鮮民族が大海を彷徨する一隻の船に、空を彷徨する半月のように、舵もなく櫓もないのにただ進む悲しみ、奪われた祖国に対する想いを表現したとされている。この歌は愛国心で読み取らなくとも韓国的情緒を十分表現している。青い空、天の川、明星などの中を見上げて「半月」の存在、そこでメロディによって「桂一本、兎一匹」の神話の世界へ入る。
ウサギの神秘性はいろいろな文学に登場する。中国古代神話と韓国昔話ではウサギと亀のコンビの話がある。その一つがウサギの肝の話である。龍王が不老長寿の薬だというウサギの肝を求める話である。パンソリ「水宮歌」「鼈主簿傳」が形成され、その辞説(パンソリで演技者の合間にはさむ話)が文字化して小説<うさぎ伝>として発展した。以後、開化期には李海朝によって[うさぎの肝臓]という新小説として改作された。桂樹で臼をつくうさぎの姿は夫婦間の夫婦愛をも意味する。
ウサギは空の月から海の底の龍宮まで往来する。天上、地上、地下の世界に活動する動物のように描かれている。まるで龍の存在に比肩するような動物になっている。龍は池や湖から天上に昇り地中に隠れて龍脈を持つが、海の底では宮殿を持っている。ウサギは龍より高い月まで至る。宇宙から龍宮までより幅広く活動すると想像されている。
昔、東海竜王の娘が病になって、兎の肝臓を煎じて飲めば治ると言われた。しかし海には兎がいないので、どうにもならなかった。そこで亀が兎の肝臓を得るために陸地へ上がり、兎に出会い、ウサギに嘘を言ってついに兎を背中に乗せて海に出た。亀は兎に言う。
「今竜王の娘様が病に臥せっているのだが、兎の肝臓だけが薬になると言うから、俺が苦労をいとわずお前をおぶって行くのだ」
兎がこの言葉を聞いて言うに、
「私は神明の後裔としてよく肝臓をとり出して洗ってまた元に戻したりするのだ。このごろちょっと気になるところがあってそれを取り出し、きれいに洗ってまだ岩の上に乾かしてあるから戻ってその肝臓を持ってきて君がそれをあげよう」
というので、亀は兎のこの言葉を信じて、兎をおぶって引き返し、陸地に上がった。
兎は亀に向かって言うに、
「おろかだな、肝臓がなくても生きているやつがいるわけがないだろう?」
新年は十二支神の一つである「辛卯」のウサギ年である。ウサギは月から龍宮まで、宇宙から海底まで天上、地上、地下の世界に往来するところからメッセージを受け取ることが出来だろう。グローバリゼーションや国際化などが主に平面的に広がることの現象であるが、ウサギ年からはより高く月から、深く竜宮まで横縦に進行していくべきメッセージを受け取りたい。
「兎年」
崔吉城
(東亜大学教授・広島大学名誉教授)
2011年はウサギ年である。ウサギとは中国文化圏において十干、十二支を組み合わせて60年周期の干支の年号である。一般的に親しまれ覚えやすくするために元々遊牧民族が星座に大熊座や白鳥座、そして獅子、蛇、牡羊、兎、孔雀などの動物の名前を付ける習慣がある。そこからギリシャ神話も出来上がり、占星術が一般化されている。個人が星と関係を設定していることが多い。それは西洋だけの話ではない。
それはある程度中国文化圏でも共通のものである。古代中国人も西洋と似ていて天体に動物名をつけたものがある。中国古代ではより神話化されている。古代中国の詩人の屈原は《楚辞》<天問篇>で月の中にはウサギがいるといった。星だけではなく地図などでは国の地形を覚えやすくあるいは象徴的に動物や物に喩えることがある。たとえばベルギーをライオンに、イタリアを長靴に喩える。韓半島の形をウサギに似たと喩えられたことがあった。それは日本の学者が当時の朝鮮の弱さを象徴したものと反感をもった崔南善氏が虎に代置したという。虎が満州に向かって足を伸ばした形だというのである。
私は子供のときに空や宇宙があまりにも未知の世界であり、関心の対象になっていなかった。ただ夏の夜空を仰ぎ見て空の神秘さを感じたことがあるだけであった。しかし童謡や昔話、神話などを知るようなり関心は徐々に高まった。私のシャーマニズム研究では星の話は多く出る。特に捨てられた王女が三人の男の子を産んで、彼らが天に上って「三太星」(オリオン座)になった最も長い神話がある。また月にはウサギがいるという話も聞くようなり、月で神仙が食べる不老長生の仙薬を臼で搗く動物、ウサギを見て身ごもるという伝承もあり、月とウサギの関係性が知らされてから私の関心はさらに深まっていったのである。それはベトナムを除いて中国、韓国、日本まで広がって共通している。ただベトナムでは「卯」の発音が猫の鳴き声と似てウサギが「猫」になったという。
ウサギは一般的な家畜ではない。しかし神聖な、あるいは象徴的な動物でもない。親しい動物であるが、愛玩動物のようなものでもない。ただ昔話や動揺などによって親しまれた動物である。月に桂の木が一本あり、兎が一匹住んでいる話になっている。それを歌で聞いたり観察したりして月や宇宙がより深く親しく感じられる。
韓国人であればだれでも知っている児童文学家尹克榮(1903-1988)が作曲した童謡「半月」がある。
青い空 天の川 白い木の船に
桂一本 兎一匹
帆もなく 棹もなく
進んでいく 西の国へ
天の川を越えて 雲の国へ
雲の国を過ぎたら どこへ行くのか
遠くで きらきら光るもの
明けの明星が燈台だという 道を探して
帆もなく 棹もなく
進んでいく 西の国へ
国を失った朝鮮民族が大海を彷徨する一隻の船に、空を彷徨する半月のように、舵もなく櫓もないのにただ進む悲しみ、奪われた祖国に対する想いを表現したとされている。この歌は愛国心で読み取らなくとも韓国的情緒を十分表現している。青い空、天の川、明星などの中を見上げて「半月」の存在、そこでメロディによって「桂一本、兎一匹」の神話の世界へ入る。
ウサギの神秘性はいろいろな文学に登場する。中国古代神話と韓国昔話ではウサギと亀のコンビの話がある。その一つがウサギの肝の話である。龍王が不老長寿の薬だというウサギの肝を求める話である。パンソリ「水宮歌」「鼈主簿傳」が形成され、その辞説(パンソリで演技者の合間にはさむ話)が文字化して小説<うさぎ伝>として発展した。以後、開化期には李海朝によって[うさぎの肝臓]という新小説として改作された。桂樹で臼をつくうさぎの姿は夫婦間の夫婦愛をも意味する。
ウサギは空の月から海の底の龍宮まで往来する。天上、地上、地下の世界に活動する動物のように描かれている。まるで龍の存在に比肩するような動物になっている。龍は池や湖から天上に昇り地中に隠れて龍脈を持つが、海の底では宮殿を持っている。ウサギは龍より高い月まで至る。宇宙から龍宮までより幅広く活動すると想像されている。
昔、東海竜王の娘が病になって、兎の肝臓を煎じて飲めば治ると言われた。しかし海には兎がいないので、どうにもならなかった。そこで亀が兎の肝臓を得るために陸地へ上がり、兎に出会い、ウサギに嘘を言ってついに兎を背中に乗せて海に出た。亀は兎に言う。
「今竜王の娘様が病に臥せっているのだが、兎の肝臓だけが薬になると言うから、俺が苦労をいとわずお前をおぶって行くのだ」
兎がこの言葉を聞いて言うに、
「私は神明の後裔としてよく肝臓をとり出して洗ってまた元に戻したりするのだ。このごろちょっと気になるところがあってそれを取り出し、きれいに洗ってまだ岩の上に乾かしてあるから戻ってその肝臓を持ってきて君がそれをあげよう」
というので、亀は兎のこの言葉を信じて、兎をおぶって引き返し、陸地に上がった。
兎は亀に向かって言うに、
「おろかだな、肝臓がなくても生きているやつがいるわけがないだろう?」
新年は十二支神の一つである「辛卯」のウサギ年である。ウサギは月から龍宮まで、宇宙から海底まで天上、地上、地下の世界に往来するところからメッセージを受け取ることが出来だろう。グローバリゼーションや国際化などが主に平面的に広がることの現象であるが、ウサギ年からはより高く月から、深く竜宮まで横縦に進行していくべきメッセージを受け取りたい。
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