崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

職業差別

2009年11月01日 05時32分41秒 | エッセイ
 大事にしている友人の中に在日の衛生業の人がいる。在日には古くから古物商と呼ばれる職種がある。一昔前まではリヤカーに古い新聞、ダンボール、古い鉄くずなどを集める仕事をしていたが、それをゴミ処理の清掃、衛生会社に発展させた人も多い。都市化するにつれてゴミ処理が環境問題、再生産、リサイクルなどで社会的にも注目される職業になった。私が日本に留学した時お世話になった家も古物商をしていた。彼らはそれを基礎にしてパチンコ、中古品屋など企業として大きくした人もいる。広島のある人は汚物処理、下水、土木、パチンコなど大きい企業を起こして、最近病院も経営している。
 昨日粗大ゴミを友人に頼んだ。彼は宝石工の仕事を長くしたが、最近お兄さんがやっていたゴミ処理業を一緒にしている。私は彼らと一緒にゴミ処理の現場の家を訪ねたことがある。その家は画家の家であった。私にも定年したら仕事を一緒にしようと言われて、この高齢者の職業難の折りにとてもうれしかったし、退職してもできる仕事があるという安心感を感じた。しかし、その仕事を見ていろいろな面で面白いとは思うがかなり肉体的な仕事で私にはついていけないとも思った。実は友人に自分の粗大ゴミを頼むまではかなり躊躇した。韓国でも日本でも一昔前まではこのような職種を差別したことを知っているからである。躊躇した自分の内面にはまだ差別観から完全に抜けていない部分が残っていたのだろうかと自省し、その意識を完全に「掃除」しないといけないと思い友人に頼んだ。職業差別はないことの確認事項のように私も一緒にゴミ処理を手伝った。12月初めが人権週間という。生活意識の掃除が必要と思うところである。

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