崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「朋友有信」

2019年02月21日 06時16分22秒 | 日記

 私は「朋友有信」とい儒教の信条を信じているようである。儒教を批判的に見ることもあるが友人関係、人間関係では「信」をもっとも重要視する。それで損をする場合も多い。昨日大きく失望した。本欄で数回触れたが3・1節記念講演を依頼され打ち合わせなど中、昨日彼から講演撤退の、宣告があった。『慰安婦の真実』からの3回目のバッシングであった。

 理由を聞くと、私がする予定の講演は総領事が行うこと、民団の顧問たちから『慰安婦の真実』を書いた「親日派」だと言われたからだという。団長である彼の意見、信念は見えない。韓国の反日と民団員の反対で彼は撤退せざるを得ないという。約束を守らないこと、一般人の在日から専門家、研究者の本を非難することはどういうことなんだろう。クラシック音楽を知らない人が作曲家を非難するように感じた。悲しい。在日に日本で「共生」を呼びかけた私のコラムが空しい。
 人は信念が強過ぎると独裁といわれるが「信」が無くては人、友人、責任者にはなれない。帰宅してSNSに私が韓国へはオブラートに包んだような味方的表現、日本には厳しく表現すると非難される投稿を読んだ。 
 京都大学の小倉紀蔵教授から3月に京都で
京都市国際交流会館と京都大学での二回の講演のリマインドのメールが届いた。「3・1節」の節になるのであろう。

 お話いただく内容は、◆慰安婦問題◆3・1独立運動◆北朝鮮問題などを織り交ぜながら、先生の視点から日韓関係の過去・現在・未来に関してご自由にお話ください。

 日韓関係最悪の中の「最高」と「最低」が共存する。著述者の社会への役割、責任が問われている。