崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「本を読む少女像」と「慰安婦像」

2019年02月01日 06時23分57秒 | エッセイ

 私が俳句に関心を持っているとに聞くと日本人は笑うかもしれない。しかし日本の植民地であった台湾や韓国でも流行ったものである。イギリスのソネット、韓国の時調のようなものであるが、それらは文芸人のものであり、俳句のように民衆に広く愛されるものとはいえない。テレビのプレバトルは私の日本語の勉強の時間である。昨日は「慰安婦像」が登場したので注目した。お笑い芸人東国原英夫氏が「着ぶくれて 慰安婦像の 銅の髪」と歌った。慰安婦がここまで登場するのか。夏井先生はテレビで見ている慰安婦像が浮かんでくると評した。日本や、世界的にも広く知られ、それが対象にされたのであろう。私はその真実に迫って本も書いたが、多くの日本人はそれは世間のこととして別に尊重すべきものとは思わないかもしれないが、多くの人が認めて問題に注目すべきであろう。韓国の小学校内に「本を読む少女像」が立っていた。文学の像としてそれは慰安婦像とは次元が違う。セックス、強姦、反日、憎しみなどを含む慰安婦像の「像」は少女像とは対照的である。