風邪から完全回復していないが昨夜は長府キリスト教会での日韓交流会に参加した。下関地域の日本キリスト教団全教会と大韓キリスト教会との交流の行事、毎年続いている。私はほぼ毎年参加している。予定時間には到着が早すぎると思ったが途中迷って少し遅れてしまった。
60余人、日本では元々信者の少ない中と、さらに少子化により「極小化」している。ある教会は牧師と信者の2人だけで礼拝するところもあると聞く。しかし信者たちも聖書研究者のような態度をとる人も多い。二人の若い牧師が新任として紹介された。希望が覗ける。
始まった説教は「光り」、その意味は深く広い。日本のキリスト教へのメッセージとして受け止めた。
2部がメインの交流会、愛餐(共食)しながら各教会が演芸を披露した。クリスマスイブの行事のような人形劇、讃美歌の演奏、民謡などが演じられた。家内も出演した。楽しい。
しかし「日韓交流」はどこにも、言動に出ない。何一つ交流しない、ただ集まりである。
帰りの車で韓国から最近来られた長老が日本のキリスト教へ心配、韓国牧師たちの宣教の可能性が話題にされた。私は日本に信者が少ないのは日本の宣教教育に問題があると話をした。宣教ができない、しない日本の指導者に全的に理由があると思ったことを話した。
教会が大型化するのを皮肉するようである。民主化されると牧師の権威が下がり、危機と思うかもしれない。