崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ネチズン

2017年11月23日 06時02分05秒 | エッセイ

 アメリカや日本の新造語の( network+citizen)を韓国ではヌリクンという。インタネット上コメントなど投稿する市民を指す。 ヌリクンの書き込みは品のない悪口・陰口など書き放題とも言える。鬱憤のはけ口にもなっているが、放っとらかしている。先日会った韓国の社会学者は日本のヘイトスピーチを指摘した。彼はアメリカでは国籍や民族を聞くのも差別用語だというように厳しくなっていくという。陛下、閣下、ママ(韓国の宮中)など特待敬語も使うべきではないだろう。法律以前の言語浄化の問題でもある。最近私が談話する人の中には対照的に話す人たちがいる。正義感があり、不正に反抗、批判する傾向があり、彼らは社会悪などをよく指摘し、鋭い、怒るように話す。また温情的であり他者を意識して話す人もいる。否定的、肯定的の二類は社会に必要である。私は若い時、否定的であった。自分では反骨精神があると思ったことがある。しかしそれは徐々に学習、信仰生活によって肯定的に変えられてきたと思っている。