崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

終戦記念日

2016年08月15日 05時55分15秒 | 旅行

 今日は日本の終戦記念日、韓国の解放記念日(光復節)、猛暑と旱魃でカンナの花や草が枯れている。下関も熱帯夜が続く。昨日の礼拝は正午にかけて行われた。韓国から日本語学習のために来られた釜山東亜大学の李学春教授を同行した。二階の礼拝堂は推定温度38度を超える中、日本キリスト教団から来られた牧師は聞きにくいこもった声で長すぎる説教、本教会の司会も困辱の時間であったが、私は「苦行修行だ」と思い、我慢した。清掃環境業の人と立ち話をした。彼は関門海峡花火大会の時安倍総理席の近で仕事をしたと現場の話をした。去年より観客が過半数にしかなく、花火の頻度や中身も貧弱であったとコメントをした。その原因を聞くと、「一人様1,000円の環境整備協力金」、招待席及び協賛席を設けていたが有料とだ噂になり観客が極端に減ったのではないかという。新聞などは115万というが信用ならないと。
 昼食は李氏にご馳走になった。彼は1か月以上猛烈に日本語勉強し、かなり聞き取れるようになった。教会で礼拝から教訓を得たように語ってくれた。実は彼自身が神学大学院の学生でもあり教会では「伝道師」と自己紹介をした。牧師を目指しており、在日教会の復興に意欲を見せていた。まず民族主義を持たないこと、日本人向けの牧会をすること、牧師は自分を「しもべ」、信者を「お客様」という態勢変化、信徒中心の教会にすべきだと主張した。教団は会員に過ぎない、信者自身から復興を起こすなど牧会の信念、ついでに私の新著へのコメント、私は耳を傾けた。読んでコメントをすることの期待を込めて数人に寄贈したが初のコメントであった。被植民地における犠牲者へ私の視線が当てられたことに彼は触れた。アイルランドのケースメント、フィリピンのリサールなどキリスト教者による独立運動をした人物、特にリサール処刑前夜に書いた詩(拙訳)に感動したという。信仰に生きることは時には辛い、苦行であろう。*写真中央が李氏