崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

日記、どうする

2014年09月15日 06時16分15秒 | 旅行
私は数十年間日記を書いてきた。その日記が私の死後に残ることは望んでいないので処理して死ぬつもりであることは、本欄でも何度か言及した。私の日記というのは、ただのメモのようなもので、主に人との出会いが主をなす。時には怒りを書いたこともある。また自分の健康状態の加齢による身体の変化等に関するものがある。60年代の日記を紛失して、それがいつも気にかかる。どこかにあっても偉大な人ではないので日記が公表されることはないだろうが、もし所有者がいたらご連絡をいただきたい。
 今、私は他人の日記を読んで分析している。既に公表されたミャンマーとシンガポールで慰安所の事務の仕事をした朴氏の日記を読んでいて、いつも第三者である自分が他人のものを読むことに関しては申し訳なく思っている。私としてはあくまでも一つの資料として読ませていただいている。韓国史では日記が多くの史料になって研究されていることが多い。ところが、ほとんどの日記が公式の記録である。例えば承政院日記、熱河日記などである。李舜臣の「乱中日記」は国宝に指定されている。
 一般の人が毎日、日記を書く習慣として書かれたのは日帝植民地ころからである。日記の形式があって、1月1日には、国への忠誠などを記録するなど、形式と内容が定められている。日帝時代のこれらの庶民の日記は少なく珍しいものである。昨日韓国長興在住の地方史研究家の金ヒテさんから「定岡日記」の写真を大量メールで受け取った。日帝時代の生活を研究する良い材料になる。感動、感謝である。貴重な資料であると同時に信頼して送って下さったことに心から感謝申し上げます。