崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「黒塗り」

2014年09月04日 05時40分20秒 | エッセイ
新聞の広告欄と記事とは異なっている。読み物ではなく、「見る」ものだからであろう。しかし広告は読者にとって情報を得るものであり、新聞社にとって営業のために重要な収入源となる。広告が多すぎると読者の新聞への関心が薄れるので、本文と広告はバランスをとっているのだろう。テレビなどの媒体ではCMが広告である。視聴者からはドラマなど面白い時にCMが入って迷惑に感じることは誰でも知っている。ドラマのクライマックスにCMが入ったら作品の価値は致命的に損なわれる。しかしCMは悪いものだけではなく、多くの情報を提供してくれる。
 新聞広告を載せるためには費用が掛かる。新聞社は広告を独立的に運営すると思ったら実はそうではない。朝日新聞社が慰安婦を巡り「週刊新潮」の広告を黒塗り、「文芸春秋」も広告掲載が拒否されたという。皮肉に言うと広告が記事より面白くなっている。新聞や放送媒体は右か左かの方針や傾向がある。社説がそれを代表的に表すといえる。中立的な新聞は注目されない傾向がある。戦前の媒体は多く右翼的、戦争賛美的であった。それは新聞だけではなく、多くの国民がそうであった。朝日の誤報は当時から知っている者の一人として私は憤慨してきた。特に韓国において「挺身隊が慰安婦だとしたこと」、「従軍だ」と誤解させたことの罪は大きい。「月刊朝鮮」9月号に日本人の「土下座」について論じられている。それは完全な敗北と謝罪の日本の美風であるとも報じられている。恥辱の墨塗り史の「黒塗り」を繰り返すことではない。
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