さる日曜日、国立歴史民俗博物館で私が講演する時,前の席で良くフィードバックしてくれた二人、東京シネマの岡田一男氏と宮本記念財団の宮本瑞夫氏が視線に入った。宮本氏については先述したが、ここでは岡田氏について一言触れておきたい。彼とは10年ほど前「日本映像民俗学の会」で出会ったが特にハンサムなこの「一の男」に親密さを感じるようになったのは他に訳がある。以前私が二度カザフスタンで調査した時に親しくなった映画監督のソンラブレンチ氏と岡田氏が古い友人であることを知ってから私と三角関係の親しい友人となったのである。
この度彼は姜信子著『旅する対話』に「永年のご厚義に感謝しつつ岡田一男」と記したものを下さった。その本には姜氏がザーラ・イマーエワと対話する映像のDVDが付いている。早速読み始め、映像をみた。「いってらっしゃい」「わたしの名はエラザ」など岡田一男制作の映像には懐かしきソン氏が語る場面があった。1937年スターリンによって沿海州からカザフスタンへの強制移住史を語る映像と文(岡田訳)に私の視線は止まった。辛い艱難史を語る中でその時代は本当に幸せな時代だったと言う。
その時代は、私にとって本当に幸せな時代でした。周りの世界の大変動も、貧しさも関係なくどの子どもにとっても 一様に楽しい時代でした。我々には民族の差異など、全然気になりませんでした。(263ページ)
この度彼は姜信子著『旅する対話』に「永年のご厚義に感謝しつつ岡田一男」と記したものを下さった。その本には姜氏がザーラ・イマーエワと対話する映像のDVDが付いている。早速読み始め、映像をみた。「いってらっしゃい」「わたしの名はエラザ」など岡田一男制作の映像には懐かしきソン氏が語る場面があった。1937年スターリンによって沿海州からカザフスタンへの強制移住史を語る映像と文(岡田訳)に私の視線は止まった。辛い艱難史を語る中でその時代は本当に幸せな時代だったと言う。
その時代は、私にとって本当に幸せな時代でした。周りの世界の大変動も、貧しさも関係なくどの子どもにとっても 一様に楽しい時代でした。我々には民族の差異など、全然気になりませんでした。(263ページ)