崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「植民と植樹」

2013年11月25日 05時28分36秒 | エッセイ
 昨日は 会場へ行く電車の切符を落としてしまって同行者の証言により特別許されてでた。初めてのことで自分で自己管理力が劣っていると反省し、また発表の失敗の予兆ではないかと思った。早めに会場に着き、準備をしておいたが、やはり最初の画像を探せず、そのまま7分「多島海探訪記」(渋沢:27分、1936年)の見ところを語った。続いて1936年渋沢敬三と宮本馨太郎の撮影の映像を北村皆雄氏と追跡調査を行った。韓国の民俗学会でその映像を紹介し報告した時のエピソードを中心に語った。蔚山大学で講演した時高齢者たちが宮本馨太郎作の「蔚山達里」(宮本:14分、1936年)は偽作であると言われたこと、また比較民俗学会で上映し、民俗学者の任東権氏が講演で「やはり偽作だ」と言った時は唖然、失望の極みだった。それはゴム靴とポプラの木は当時見た記憶がないこと、ゴム靴は戦後韓国時代に現れたものであり、日本人が朝鮮植民地が成功したように作ったプロパガンダ映画だというのであった。私はその話をそのまま語った。聞き手からは面白がって何度も爆笑が出た。冗談のように聞こえたかもしれない事実である。そこに私の冗談が加わった。ポプラの木の植樹は植民地へ「植民と植樹」の例、成長の早いポプラとアカシア(悪シア)の話をした。韓国では成長が早い竹が異様なほど成長の早いことを例えて、帽子を脱いでタケノコにかぶせて、うんこをしていたら竹が伸びて帽子が見当たらなくなったという私の恩師から聞いた笑話をして会場騒然爆笑であった。
 老人たちの「偽作」説を聞きながら私は老人が「過去」を左右するような権威に対する不信感から老人を主なインタビューを中心とした民俗学、引揚者や慰安婦たちの証言などまで強く広く深く検討し始めた。そこで過去を固定化しているモノ、文字記録などと記憶とは別の性質のものであると考えるようになった。「偽作」説は老人の作り話や嘘ではなく記憶違いであると評価するようになった。そして企画者の提案通り「記録と記憶」に関する講演をした。総合討論の司会者朝倉敏夫(国立民族学博物館)氏と総合司会の内田順子氏も賛同してくれて嬉しかった。成田から福岡へ、小さいハップニングはあっても冗談が多すぎだったかなと反省し、昔韓国での講演のように日本語で自分の調子に戻せたような気分でもあった。竹と帽子の話を思いだし一人で思い出し笑い、夜11時過ぎ帰宅した。写真は右から北村、私、朝倉、李文雄、井上、高、O、李恵燕、岡田、内田、宮本、原田、松本)