崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

アリラン

2013年05月29日 03時59分32秒 | エッセイ
3日間の「日韓平和コンサート」が昨夜宇部公演で終了、公演毎のフィナーレではアリランの斉唱であった(写真)。日韓関係の悪い時期に日本の中でアリランが歌われ、アリランが韓国の民謡であってもユネスコの中国の無形文化遺産として登録されたということは何を意味するか。それについて「東洋経済日報」連載に寄稿した私のエッセイを以下に全文を紹介する。


 
アリランが中国の朝鮮族の民謡としてユネスコの無形文化遺産として早く登録されたことに韓国の「韓民族アリラン連合会」は抗議声明を出して、それが中国に奪われたと遺憾に思っている人が多いようである。それが韓国の民謡としても登録されたとことは本紙にも報道された通りであり、おめでたいことである。私はアリランをもって国籍云々すべきではないと思う。

アリランは韓民族の代表的な民謡である。この歌は単純で、歌詞は「アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えて行く 私を捨てて行かれる方は 一里も行けずに足が痛む」であり、地方によって歌詞とメロディが訛ったり変異したりしている。「アリラン」とは掛け声のようなものであり、気分がいいときに自然に鼻や口から、漏れて出るメロディの小節の掛け声か感嘆詞のようなものであろう。民謡には「アー」「アリ」「アリアリ」「スリスリ」などが多い。「アリラン峠」とは特定の地名ではない。峠とは何だろう。村と村の境界を指すものであろう。特定なる地名とは思わない。昔話に出る地名の様なものであり、それは注目すべきではない。その峠を越えって去っていく恋人の姿を見て涙汲んで立っていることを想像してもよい、その別離の歌である。

私の故郷にも峠があり、そこに村神の長(ちゃん)栍(すん)がたっている。それを超えると異郷のような村と繋がる。伝統的には小さい村が小宇宙であり、全世界のようになっていた。その共同体は外のものとは異なっていても伝統文化は同様である。われわれはその峠を何気なく越えて広がっている。アリランの歌は何処でも無限に聞ける。南北が分断されて国家が異なって、国歌が異なってもアリランは一つである。アリランは「民族の歌」として歌われている。

民謡には作詞者や作曲者たるものがいない。しないのではなく知らない。芸術界では個人の個性や創造の作品が高く評価されていわば名前をもつようになり、「有名」となる。しかし歴史や伝統の中には個人の有名さをはるかに超えた多くの民芸、民画、民謡などがある。それらは個人を越えたもの、否個人が集団や社会に埋没され超然となったものである。

アリランは韓民族に唄い継がれ、普遍性をもっている。19世紀中国の東北地方へ、そして沿海州へ、サハリンへ、そして中央アジアへ、戦後アメリカなどへ移民や動員などで故国を離れながらもアリランを唄い続けた。世界に散らばっている流浪民や移民によって広がり、さらに他民族にも愛唄されるようになった。今は電波とネット上からグローバル化されている。

アイルランドやスコットランドの民謡も世界的に広く愛唱されている。その民謡から讃美歌に普及したが、後にアメリカから日本の教科書の唱歌へ、それが韓国へ愛国歌のように歌われ、韓国固有な民謡のように思われがちにもなっている。アリランには国籍はない。皆が唄ってほしい。