崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『ヒトから人へ:一人前への民俗学』

2013年05月07日 04時50分07秒 | エッセイ
 神奈川大学大学院教授で同大学の日本常民文化研究所所長をされておられる佐野賢治氏の『ヒトから人へ』という民俗エッセイ集を読んだ。日本常民文化研究所には渋沢敬三の映像フィルムの著作権の件で電話をしたりネット上検索したりしたことがある。彼とは以前、京都の日文研で開かれた会議で故宮田登先生の紹介で隣席に同席したことを覚えている。おそらく先生は覚えておられないと思う。彼は前任大学の筑波大学では比較文化研究会を主宰され、研究誌の『比較文化研究』を発刊しておられ、それが28号までになっている。そこには拙著に対する書評や真鍋祐子氏の発表などが溶解されいて私は親しんでいる。
 『ヒトから人へ:一人前への民俗学』は日本民俗事象を以って中国や韓国、そして現代の社会における意味を民俗学から考えたエッセイ集である。『野外文化』に連載したものであり、民俗学的な理論を披露したものではなく、読みやすく、解りやすい文である。しかし社会や人生へ深い疑問を投げるなど深みがあって立ち留まって考えなければならない。私も本欄や新聞などのコラムで書いているが、共通点があって参考になる。
 「産育儀礼に見るいのちの受け渡し」と書かれている帯文からは民俗学や炉辺夜話的な匂いがしたが、中身は違った。比較の視野と深められているレトリックが重い。妊娠中絶、一人子政策、少子化の現象を「非人間的なもの」、胎盤から「日本文化論の起源」、「犬と人間の交渉は人間社会を映す鏡」、韓国の花郎から「若者文化」など。「現実社会との関係のない民俗学はありえない」と進み、最後には“あなたの学問は成熟しているか”と問いかけられているようである。私のエッセイも方向転換が必要になっているのかもしれない。自問している。