崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『アジアの人類学』

2013年05月25日 05時49分59秒 | エッセイ
 昨日は東亜看護学院の事務所や施設を見せていただき、事務局長のご自宅の庭の花見をした。山道12キロを走って山中の竹林の洋屋は花園そのものである。そこから帰宅、俗世に戻ると残影が理想郷のように映って来る。
 私は最近エッセイを書きながら読む態勢が大きく変わったことを自覚している。そのエッセイでは資料を集め比較するか検討することはしない。主に思考と感性について書く。読む時も人の考えを中心に読み取る。ネット上のモザイク式の文章、あるいは以前の文献を並べる様な叢書的なものには関心が薄い。フィールドワークにて書かれた本をここに紹介する。
 先日いただいた『アジアの人類学』(片岡樹・シンジルト・山田仁史編)を読む。筆者らのフィールドワークで見て書いたものに心がひかれる。「焼畑」「牧畜」「狩猟採集・漁撈」「モノ」「親族・ネットワーク」「ヨーロッパの中のアジア」などが書かれている。初めから目を通して、角南総一郎氏の「モノから見たアジア文化」に目が留った。角南氏とは民族学博物館での研究会で長く議論したこともある。彼の博識と思考に再会する気持ちであった。「フィールドワークに出かけてこうした違いを視覚的に認識することはすでに物質文化研究の入り口に立っていることを意味するものである」。モノを見て考える視線である。私は考える。植民地の以前と以後の文化の異動と、今のグローバリジェションによるものの差は何だろう。これから4年間東洋大学の植野弘子氏の科研で議論を広げたい。