崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

家内の古い資料

2010年10月05日 05時49分17秒 | エッセイ
 家内の幸子の実家から古い写真や証書などが送られてきた。それによって子供時代から成長期の歴史が多く蘇ってきた。それに比べて私は歴史的証拠写真は持っていない。小学校時代の写真も失ってしまい高校時代のものが数枚、大学時代のものが1枚しかない。また筑波大学文学博士の学位証書さえ失ってしまった。記録や資料を保管する習性が弱いからだと反省している。家内は物を保管する傾向に反して私は捨てるほうであることを反映する。私はたくさん持っていても使いこなせないと意味がないと思っている。資料は整理されていないと持っていないことと同様と思う。
 定年と引越しの時、多くの資料や本を手放したことが今になって必要となり惜しいと思うことがある。また貸してあげて戻らないものも多い。早く出版物にして公にしたほうが安全であろう。ある機関に寄贈したものが整理されたと連絡があった。「私」から「公」へと情報が流れるのである。