崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

独脚鬼

2010年10月01日 05時13分51秒 | エッセイ
朝出勤の時、下車した所に弁当をおいて忘れてしまい、昼食を食べようと思い弁当を探してもない。やっと置き忘れたことを思いつき探しに行った。しかしそこにはすでになかった。結果的には掃除の人が預かっており無事に食べることができた。いかに情けない滑稽なことであったか。先日はバス出勤で二人の同大学の人と一緒になった。「バスで会うこと」という話をしたが、「バースデーですか」と聞かれた。笑った。私のが「バスで」と言ったのに「バースデー」と聞き違えと分かって、私はまた自分の日本語の不足を感じた。不注意などから滑稽なことが発生する。
 「真面目な人」は良い人と決まっている。しかし真面目な人からは笑いや滑稽さを感ずることがまれにある。真面目と失敗・不注意さはバランスをとると滑稽さが出る。独脚鬼は強さと弱さをバランス取っているから滑稽なお面(人面の神)になっている。つまり巨大なものを運ぶ力があっても左足が弱く倒れやすい。年輩の方は経験と知恵を持ちながら倒れやすい。それは弱さだけではないと思う。韓国のトケビ(独脚鬼)を思い出す。