崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

D.ボンヘッファーその生涯と信仰

2010年07月31日 05時27分27秒 | エッセイ
 村上伸牧師のキリスト教ラジオ放送(1985-1986)テープ13回(1時間づつ)のD.ボンヘッファーについての講演を5日間で全部聞いた。キリスト教徒の死に関する倫理について考えて、特にD.ボンヘッファーの暗殺についてのキリスト教から問題を考えたく聞き始めたが、ドイツの歴史、特にヒトラーに関して関心が広がった。ヒトラーのユダヤ人差別に関して専攻している同僚の山本達夫氏の協力を得てホローコストの地図や著書を参考し、時々長く討論することができた。
 D.ボンヘッファーはヒトラーの暗殺計画に参加し、発覚されて処刑されたひとであることは事実である。その計画に彼が死を覚悟したものではなかったようである。その意味では自爆のような性質ではない。一種の暗殺、「殺人」であり、その犯罪で処刑された「死刑」であった。しかし村上氏は彼の死について「殉教」という。つまりキリスト教の牧師の殺人、暗殺を「良いこと」と評価しのである。その村上氏の説明は明快ではなかった。つまり十分説明できないほど難しい部分であった。キリスト教においては神は悪魔とは戦う正義の論理で説明しようとしなかった。D.ボンヘッファーはキリスト教の「殉教」とは思えなくと社会運動者としても十分注目される人物である。殺人をキリスト教の倫理を使うのはできないと思う。それについてより深く考察していきたい。