崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「なぜ私を見捨てるか」

2010年07月26日 05時04分26秒 | エッセイ
 「神様なぜ私を見捨てるか」という小川牧師の説教を聞きながら考えた。人間からは見捨てられても神からは見捨てられないという裏読みであろう。社会はさまざまな形で「見捨てる」ような仕組みになっている。解任、罷免、定年などの制度はもちろん絶縁、勘当などの人間関係、国家間の国交断絶など本当にさまざまである。
 私が日本留学した1970年代のこと。金栄作氏のスパイ事件があった。彼は東大で博士号を取って国際基督教大学の助教授をしていたが彼は韓国へ一時帰国の時スパイ嫌疑でKCIに捕まって大きく報じられた。私には大変な衝撃であった。留学生たちの中でも話題になったのはもちろんである。当人と親しかった友人が彼がスパイ活動をしていたことは知らなかったと言い彼の味方はしなかった。しかし東大とICUが韓国政府へ反対と訴える声明を発表して抗議した。金氏は後に釈放され政治活動し、大学教授になった。人の縁を簡単に切らないことが「愛」であることを認識すべきであろう。
 私は彼を見捨てた友人に失望し、日本の大学の声明から大きいメッセージを受け取った。友人とか恋人、家族の「愛」とは見捨てないことである。「好きになる」とはただの感情だけのものではない。見捨てないという義務が含まれているのである。