崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

拙著広告

2010年04月19日 06時40分47秒 | エッセイ
偶然に昨日の「毎日新聞」朝刊に拙著3冊の広告が出ていたのを見つけた。数年前第一書房から出した『差別を生きる在日朝鮮人』『樺太朝鮮人の悲劇』『植民地の朝鮮と台湾』が載っている。日本の植民地、日本人による朝鮮人惨劇、差別などは古くからの恨み、嘆きなどの闇の歴史、弱者への私なりの眼ざしの著作である。それらの拙著では日韓どちらも味方をしていない。呉善花氏との対談集の『これでは困る韓国』では悪評がある。また韓国MBCの「PD手張」の報道では私がうそつきになったようであり、その映像を求めている。一緒に読み合わせて欲しい。
 学問とマスコミの関係を考えてみたい。マスコミや世論に乗って書いてきたら楽であったかもしれない。振り返ってみて、反日愛国主義に乗って日本を批判する文を書いてきたら私の人生はより順調だったかもしれない。しかし私はその世俗とは逆行してきた。それは辛い細道であった。私はそれで良いと今でも思っている。

遅すぎた花見

2010年04月19日 05時35分15秒 | エッセイ
 遅すぎた教会の婦人会主催の花見に留学生を誘った。婦人会の集会を待たされた学生たちを火の山の山頂に連れていった時は天気予報とは違って曇り風も強く寒かった。中には二人のカソリック信者の学生がいたことを教会についてから知った。来週からはカソリック教会へ行けるように電話をしてあげたがその一人が寒さに耐えず咳をし風邪をひいてしまったようである。 昼食は冷たい弁当に冷たいお茶、それも各自負担であり学生たちに負担させられないので家内が払った。それを食べて解散となった。チュウリップの花を見に行くと聞いて参加したが花は山頂からは見えず、余り計画性のない教会の集会行動がとても残念と思った。教会が最近活気を持たされ良くなったがこのような失敗はしてはいけない。私は学生たちをチューリップ花壇に案内したが(写真は筆者)カソリック信者の体調を崩したその学生は車で待たせることにした。私は配慮が足りなかったことが気になってしょうがない。大学では学生一人一人を大事にするようにと強く言っていながら、昨日の教会でのことは頭から離れない。教会の行事なのに「愛」のキリスト教精神を表現できなかったことが残念であった。