崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ミッション系幼稚園

2010年04月15日 05時08分32秒 | エッセイ
 近いところのミッション系幼稚園に子供を入園させた親から躊躇したという話を聞いた。その幼稚園では礼拝を教えているからであるという。幼児の時から一定の宗教を教え込むことがはたして良いであろうかという問題である。(写真は下関バプテスト教会の子供メッセージ)クリスチャンである私として聞き流せない、耳ざわりのある話であり、ミニ評論をした。キリスト教やイスラム教などでは幼児洗礼などで予備信者を確保するようなことをしている。それが効果があるかは別として何をもってどう教育すべきかを考えなければならない。中国では一人子政策の宣伝のために子供に「私は兄弟が要らない」という宣伝を道具化して歌わせているということを聞いたことがあるがそれはどうかと思う。
 人間が自然に育つように普遍的な教育をすべきである。まず知識の蓄積、その上で判断する能力を教えることであろう。キリスト教では愛すること、希望を持つこと、信じることなど、仏教では慈悲の心、寛容の心などがある。儒教では孝行であるが、それも愛の一種である。これらを何を持って教えるかはそれほど問題ではない。
 私は送ってくれる車内で5分スピーチのようにその親にマックス・ヴェバーのキリスト教の倫理と資本主義、近代化の話をした。幼稚園だけの話ではない。教育全般に関して考えないといけない大きいテーマであることを悟ったような気がした。