崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

座禅は宗教儀礼ではないか

2009年04月02日 05時46分14秒 | エッセイ
 昨年寺での座禅を経験した。騒音や煩い世相事から離れて寺の中で静かに座禅することは宗教的に意味づけることなく、神秘的である。座禅とは世俗から聖なるものへの変身ともいえる。私は時々旅行中誰もいない教会に座って祈ることがある。それも仏教的な座禅と似ているといえる。日本では宗教と政治を厳しく分離していて、このような祈りや座禅を教育課程に入れることはできない。
 しかしお寺の仏教儀礼の一つである座禅に学生たちを公式に参加させて、新聞に良い意味で紹介された事はどういうことだろうか。私は以前、国立大学で聖書勉強会のための教室使用の許可を得ることができなかったことを覚えている。それはそれなりに納得をした。学校行事に座禅を取り入れることは教育的には悪くないとはいえども問題点はある。慎重に考えるべきであろう。それともすでに座禅は宗教儀礼ではなく慣習だというのであろうか。クリスチャンを含む他の宗教者としては座禅を公式に学事に入れることには抵抗感をもつだろうと思う。