崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

パチンコのレバーを打つ仕草

2009年04月21日 04時31分03秒 | エッセイ
 バスの中で50代の女性がパチンコのレバーを打つ仕草をしていて、パチンコ店の前で降りた。私はパチンコはできないがその仕草は間違いなくパチンコの仕草であろう。ピアノの鍵盤を打つ仕草をする人もいる。昔は算盤を打つ仕草もいた。最近最も多いのはゴルフ練習の仕草である。それぞれ指先か体で覚えていることを示すものである。
 日本でパチンコ産業は自動車産業より規模が大きい。その経営者はほぼ在日韓国・朝鮮人である。それはこの指先で覚えているほどの人や、パチンコが好きな人によって成り立っている。もともと鳥を撃つゴムパチンコからアイディアが出たといわれる。それが賭博性のあるゲーム、遊びになっているという。パチンコが生活化されている「パチンコ人生」とも言われる人もいる。
 赤の他人の人々が集まって音楽や騒音の中に一台の器械に向って「個人ゲーム」を楽しむということはデイヴィッド・リースマン著「孤独な群衆」を思わせる。私は今朝早くからコンピューターを打っている。ローマ字盤や韓国語の字盤を指先で覚えている。パチンコを打つ仕草の人と似ている。私はパチンコ(学問)の孤独さに没頭する人に似ているかもしれない。