崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

民主党大統領立候補者のディベート

2008年02月23日 06時18分19秒 | エッセイ
 主に形式的な会話としてディスカッション(discussion)とディベート(debate)がある。ディスカッションはある主題に意見、異見などを合わせていく形式であるが、ディベートは相手の意見とは違ったところを強調しながら聴者にとって全体が分かりやすいようにしていく形式である。日本人は前者が一般的な形式であるが、アメリカ大統領選ではディベートが有名である。昨日オースティン大学でアメリカ民主党のオバマ氏とクリントン氏のディベートの生中継を視聴した。相手の良さを認めながら差をつけることのうまさには感動した。多くのディベートは口喧嘩のようになり、幼稚な感を持つ場合が多かった。二人のエチケットとジェントルマンシップを守りながら防衛と攻撃の話術は世界的にトップであった。最後にクリントン氏は二人のこのような競争やディベートなどの選挙戦はアメリカ民主主義にも有意義であろうといって聴衆全員が立って拍手をして座らなかった。まるでシンフォニーの光景であり、うらやましいアメリカそのものであった。