崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

愛憎

2006年07月05日 06時25分26秒 | エッセイ
 拉致、殺人事件の裁判で被害者側の憎しみがマスコミに満ち溢れている。憎しみの顔にも殺意が表れている。彼らは如何に被害を受けた家族を愛したかを語る。そして愛から犯人を憎しむ。つまり愛憎のダイナミックである。私は大学生時代心理学者カールメインの『愛憎』を愛読したことを思い出す。愛することが憎しみの前提になるということである。愛する人が殺されたことにより、憎しみが生まれ、殺意を創生させ、愛憎は弁証法的に増幅していく。多くの民族紛争がそうである。イエスは人を愛して、十字架にかけられて殺されても相手を許した。聖書では「復讐は神がやってくれる」という。世俗的には罪や憎しみを処理するために裁判制度が成り立っている。いろいろな事件を含めてマスコミがあまりにも強調報道しているように思う。少し控え目にすべきであろう。