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Cioranを読む(35)


■旧暦3月14日、土曜日、

(写真)夕桜

さて、この東日本巨大震災。これだけ、各地で、直下型の地震が多いと、プレートバランスに変化が起きたと考える方が自然な気がする。その変化によって、東海大地震等の新たな大地震が引き起こされることが最悪のシナリオだが、その可能性は排除できないのではなかろうか。この震災は「終りの始まり」なのかもしれない。自然科学者の過去データに基づく、「経験的な楽観ぶり」を見ると、科学の限界というのは、こういう形で現れるのかと思う。

今日は、朝まで、仕事をしていた。10時まで仮眠して、午後から、「哲学塾」。久しぶりに出席。夕方、麦酒を飲みながら、みなさんと雑談。春らしい陽気だった。喉が渇いて、東京の放射能入りの水をずいぶん飲むw。

永井龍男(1904-1990)の短編「黒い御飯」(1923年 19歳!)読了。やはり、相当な力量の作家と思う。



Un patrimoine bien à nous: les heures où nous n'avons rien fait... Ce sont elles qui nous forment, qui nous individualisent, qui nous rendent dissemblables. Cioran Aveux et Anathèmes p.25

われわれの大きな遺産。それは、無為の時間である。われわれを作り上げ、個性化し、他と違った存在にするのは、無為の時間なのである。

■こういう断章を読むと、嬉しくなる。日ごろ、ぼーっとすることが好きだからだ。シオランは、西欧世界では異端なのがよくわかる。無為は、仙郷に通じる。

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4月15日(金)のつぶやき

07:27 from goo
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一日一句(86)






さて今朝は何を作らん春の皿





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