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クレメール・トリオ・コンサート 2011


■旧暦3月15日、日曜日、、春の土用入り(立夏前18日)

(写真)桜

今日は、いい日だった。午前中、仕事してから、遅めの朝食を食べて、待望のギドン・クレメール、ヴァレリー・アファナシエフ、ギードレ・ディルヴァナウスカイテのトリオのコンサートへ、サントリーホールまで。いいコンサートだった。普段とは明らかに空間の質が違う。静まり返って、音の一つ一つが、ホールに吸い込まれるようだった。プログラムは、次のとおり。パンフレットとは、順番を変えて演奏された。

シュニトケ:ショスタコーヴィチ追悼の前奏曲(ヴァイオリン独奏とテープ)
J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏パルティータ 第2番 BWV.1004より)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108

(休憩)

ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」
バッハ、シューベルト、グノーの主題によるヴァイオリンとチェロのための二重奏曲
ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 op.67

(アンコール)

ペルト:半音階
シューマン/6つのカノン風練習曲Op.56~第3曲(キルヒナー編曲ピアノ三重奏用)

一番強烈な印象に残ったのは、バッハのシャコンヌだった。クレメールはCDでシャコンヌを聞いてきたが、生は初めて。完全に圧倒された。東京で聴くからだろうか。だんだん、この曲が、ここにいない人々に向けて演奏されているような気がしてくる。ほぼ、満席の聴衆は、静まり返って、咳一つない。存在しない人々の存在が際だってきて、なんどか、眼がしらが熱くなる。天井を見上げる。この音楽は、非在にも届いている。そんなことを確信させるような演奏だった。

アーティストの登場の仕方は、何を物語るのだろうか。それは、「自由」のありようではなかろうか。アーティストの本質は自由だからである。クレメールの登場は、微風を思わせる。とても自然で何気ない。まるで、なにもないところに春風が立つように。演奏者と聴衆の区分など、はじめからないかのように。マエストロ、ヴァレリー・アファナシエフの登場の仕方は、颯爽としている。実にかっこいい。そこには、なんらかの意志を感じさせる。何回も、マエストロの登場の仕方は観ているはずだが、今回は、真底、かっこいいと思った。この状況での代役であり、自ら、進んで来日したアーティストの心意気のようなものを感じたのである。面白いのは、ギードレ・ディルヴァナウスカイテで、彼女は、実に静かだった。

シュニトケ:ショスタコーヴィチ追悼の前奏曲は、初めて聴いた曲だが、音楽的な論理の強固さよりも、音楽のはかなさ、あわれさを感じて、この曲が、自然災害に常に見舞われてきた、もののあわれの国で、演奏されることの符合を感じないわけにはいかない。プログラムの冒頭を飾るにふさわしい曲だと思った。クレメールの演奏は、若いころの前衛的な先鋭さから、大衆に近い音楽を演奏する実験を経た成果が明らかに出ている。それは、以前よりも、クレメールが「前衛」にいることを示していると思う。

ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」は、楽しい趣向の曲だった。どこか、春の野の安らぎを思わせる。作曲家のヴィクトリア・ポリェーヴァは、1962年ウクライナ生まれ。

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108。これは、まだうら若いクレメールとアファナシエフのツーショットのジャケットが印象的なCDが出ている。ブラームスのヴァイオリン・ソナタと言えば、この二人のものを聴いてきたぼくにとって、生で聴ける日が来るとは思ってもいなかった。二人は、その後、別々の個性的な道を歩んでいたからである。それぞれのこれまでの成果をぶつけ合うかのような演奏で、一瞬、ベートーヴェンのソナタを聴いているのかと思った。しかし、息はぴったりである。この演奏会最大の山場だったと思う。音の響きと沈黙を大事にしながら自分の身体に忠実なアファナシエフと、大衆的無意識への道を歩んだクレメール。一見、対照的な道に見えながら、孤の中に大衆を観、大衆の中に孤を観た点で、実は、重なり合う道ではなかったか。このデュオは、とてつもなくスケールが大きいのだと思う。スケールの大きすぎるものは、近くではよく見えない。しかし、遠くまでよく届いたはずである。音が大きいという意味ではない。演奏の射程が長いという意味である。根の国に届くほどに...。

ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 op.67は、聴いたことがなかったので、楽しみにしていた。結論から言うと、少し、がっかりした。3人の演奏は非の打ちどころがないが、3人がかりで演奏しても、クレメール一人のシャコンヌに拮抗できたろうかと思ってしまった。楽曲自体に深さと高さが足りないように、ぼくには思われた...。



ヴァレリー・アファナシエフは、日本公演に先立ち、日本に寄せる詩を新たに書き下ろしてくれた。ピアノの演奏よりも先に日本の俳句に親しんだというほど、日本文学に造詣が深く、ここ数年は、一時休止の期間をのぞいて、独創的な詩を、おもに、英語とロシア語で書き続けている。2009年には、日本の論創社から日英両語による詩集『乾いた沈黙』を出版している。マエストロの執筆ペースは非常に早く、以下に紹介する詩も、短期間で書きあげられたものと思われる。もちろん、俳句に見られるように、創作時間の長さと、作品のクオリティは、必ずしも比例しない。



A poem dedicated to Japan

Valery Afanassiev
31/3/2011





A hillock about half a kilometre
From the Pacific Ocean. The survivors
Come and go, searching for the dead.
The dead are the Japanese history,
Mount Fuji and Hokusai.

An old man said, ‘I’d been looking
Everywhere, but I couldn’t find them.’

They’re everywhere, everyone:
Prince Genji, Bach, Shakespeare.



日本に捧ぐ

ヴァレリー・アファナシエフ
2011.3.31




太平洋から500mほどの
小さな丘 
生き残った者は
死者を探してさまよう
死者は日本の歴史 富士 北斎

老人は語った「そこらじゅう探したが
みつからなかったよ」

死者はあまねく存在し
だれもが死者である
光源氏 バッハ シェイクスピア

(訳 尾内達也)



※訳者覚書:3月11日の地震の5日後、マエストロから、心配のメールをいただいた。東北地方を中心に大変大規模な地震が起きたこと、死者の数はまだ正確にわからないこと、原発が問題化していることなどを書き、そのときの心境を複数の俳句に託して送った。3月31日の夜、マエストロから、ふたたび、日本の友人たちと日本への強い思いを告げるメールが届いた。そのメールには、日本に捧げる一篇の美しい詩が添えられていた。ここに訳出した詩がそれである。もともと、タイトルは付けられていなかったが、詩の性格上、付けた方が良いと判断し、マエストロのメールの中の言葉から採った。



帰りの電車で、この演奏会に心動かされ、なかなか、散文的な言葉が出てこなかった。代わりに詩的な断片が浮かんでは消えた。今日の素晴らしいコンサートの記念にその詩的断片を以下に書き留めておきたい。



the night sun


for three excellent artists


tatsuya onai



the concert hall:
all doors opened
all windows opened
under the night sun.

among non-beings
ears to hear
the earth on the strings
the space on the keyboards.

logics beyond logics
under the night sun.









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4月16日(土)のつぶやき

01:10 from goo
一日一句(86) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/5fbe348fb22a115806df3cf15df79bdb
10:28 from web
RT @taijuuuuuu: 【拡散希望】ハンガリーにおける哲学者の迫害に抗議する署名を集めています。地震で滞っておりましたが今週末に集約しますので、まだという方は是非。「ハンガリーの窮状と危機にかんする声明」http://bit.ly/e0NhnZ
by delfini_ttm on Twitter
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一日一句(87)






原発にかげろふ高し寄せる波





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