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RICHARD WRIGHTの俳句(28)

■先日の深夜、もう寝ようかなとベッドに横になったところで、幻の大詩人A・Sさんから携帯に連絡が入った。人類最後の恋愛について、いろいろ話し合った後で、石原吉郎に耳鳴りの詩があるよ、と教えてくれた。調べてみると、「耳鳴りのうた」という作品が確かにある。


耳鳴りのうた

おれが忘れて来た男は
たとえば耳鳴りが好きだ
耳鳴りのなかの たとえば
小さな岬が好きだ
火縄のようにいぶる匂いが好きで
空はいつでも その男の
こちら側にある
風のように星がざわめく胸
勲章のようにおれを恥じる男
おれに耳鳴りがはじまるとき
そのとき不意に
その男がはじまる

(中略)

いっせいによみがえる男たちの
血なまぐさい系列の果てで
棒紅のように
やさしく立つ塔がある
おれの耳穴はうたうがいい
虚妄の耳鳴りのそのむこうで
それでも やさしく
たちつづける塔を
いまでも しっかりと
信じているのは
おれが忘れて来た
その男なのだ


石原吉郎の詩集『サンチョ・パンサの帰郷』から



外出の行き帰りに、ライトの俳句を考えていた。今回の俳句は、否定的な要素は無く、切れに近い意識も見受けられる。

(Original Haiku)
In the summer haze:
Behind magnolias,
Faint sheets of lightning.


(Japanese version)
夏の靄
一面のほのかな光を背に
木蓮が咲いている


(放哉)
朝靄豚が出て来る人が出て来る


■放哉、恐るべし。ライトの三行詩も美しくていいが、放哉の句には俳味がある。西欧人は「俳味」や「諧謔」というのを理解するのが難しいのかもしれない。庶民あるいは生活の中に新しい趣向の美を見出すよりも、絵画的な美を描くことに重点を置いているような気がする。それはそれで、三行詩としては美しいのだが。
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