verse, prose, and translation
Delfini Workshop
北と南(7):小夏日和
■旧暦10月11日、火曜日、
(写真)Untitled
なかなか難しい。睡眠薬の分量と耳鳴りの程度と仕事の進捗。この3つをうまく調和させるのがなかなか難しいのである。薬の量が多すぎると、眠くて仕事にならない。少なすぎると、耳鳴りが激化する。適当にやるしかないのだが…。
少しずつ英語で書いたり考えたりするようになって、「俳句を詠む」という基本的な表現をどう英語で書いたらいいのか、しっくりこないままできた。今までは、単純に「to write haiku」あるいは「to make haiku」、「to create haiku」はたまた「to compose haiku」などと書いてきたのだが、実作している側から言うと、どうも、実感とずれる。俳句を目の前に置いて、いろいろ、推敲していく作業は、もっと手作業的な感じがある。そんなことを感じながら、先日、必要があって、ライトの娘さんがライト句集の序文に寄せた文章を読んでいたら、彼女は、なんと「to craft haiku」と書いているではないか! 「craft」をロングマンで引いてみると「to make something using a special skill, especially with your hands」と定義してある。確かに、パソコンのキーボードは両手で打つな(笑)。write, make, create, compose:たぶん、「俳句を詠む」と言いたいときに、通じると思う。これらに加えて、craftという動詞は、「詠む」行為に立体感を与えてくる。そんな気がして、箱の中にしまっておくことにしたのだった。
◇
小夏日和
11月の立冬を過ぎてからの暖かい日を本州では「小春日和」と呼んでいる。沖縄では、これを「小夏日和」と呼ぶ。季節風の「新北風(みーにし)」が吹き出した後、暖かい夏が去り、急に秋らしい涼しい陽気になる。長袖を纏い、衣替えをする。ところが、立冬前後に移動性高気圧に覆われると、風が南寄りとなり、日中の温度が三十度にあがる。夏が戻ったようで、半袖やノースリーブの服装がふたたび目につく。衣替えの衣替えである。沖縄本島では、小夏日和を「十月夏小(ジュウグヮチナチグワ)」と言い、宮古島では「十月ガマ」と言う。
北米では、同じことを「Indian summer」ドイツでは、「der Altweibersommer(老婦人の夏)」と呼ぶ。
小夏日の潮吹き上ぐる一枚岩 本部弘子
※『語りかける日本 ゆるやかな日本』(宮坂静生著 岩波書店 2006年)より
(写真)Untitled
なかなか難しい。睡眠薬の分量と耳鳴りの程度と仕事の進捗。この3つをうまく調和させるのがなかなか難しいのである。薬の量が多すぎると、眠くて仕事にならない。少なすぎると、耳鳴りが激化する。適当にやるしかないのだが…。
少しずつ英語で書いたり考えたりするようになって、「俳句を詠む」という基本的な表現をどう英語で書いたらいいのか、しっくりこないままできた。今までは、単純に「to write haiku」あるいは「to make haiku」、「to create haiku」はたまた「to compose haiku」などと書いてきたのだが、実作している側から言うと、どうも、実感とずれる。俳句を目の前に置いて、いろいろ、推敲していく作業は、もっと手作業的な感じがある。そんなことを感じながら、先日、必要があって、ライトの娘さんがライト句集の序文に寄せた文章を読んでいたら、彼女は、なんと「to craft haiku」と書いているではないか! 「craft」をロングマンで引いてみると「to make something using a special skill, especially with your hands」と定義してある。確かに、パソコンのキーボードは両手で打つな(笑)。write, make, create, compose:たぶん、「俳句を詠む」と言いたいときに、通じると思う。これらに加えて、craftという動詞は、「詠む」行為に立体感を与えてくる。そんな気がして、箱の中にしまっておくことにしたのだった。
◇
小夏日和
11月の立冬を過ぎてからの暖かい日を本州では「小春日和」と呼んでいる。沖縄では、これを「小夏日和」と呼ぶ。季節風の「新北風(みーにし)」が吹き出した後、暖かい夏が去り、急に秋らしい涼しい陽気になる。長袖を纏い、衣替えをする。ところが、立冬前後に移動性高気圧に覆われると、風が南寄りとなり、日中の温度が三十度にあがる。夏が戻ったようで、半袖やノースリーブの服装がふたたび目につく。衣替えの衣替えである。沖縄本島では、小夏日和を「十月夏小(ジュウグヮチナチグワ)」と言い、宮古島では「十月ガマ」と言う。
北米では、同じことを「Indian summer」ドイツでは、「der Altweibersommer(老婦人の夏)」と呼ぶ。
小夏日の潮吹き上ぐる一枚岩 本部弘子
※『語りかける日本 ゆるやかな日本』(宮坂静生著 岩波書店 2006年)より
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
« 飴山實の俳句(41) | RICHARD WRIGH... » |
○ craft という語はいいですね。俳句にもなじむし、シナリオなんかでもしっくりきますね。シーンの貼り絵みたいなとこありますから、シナリオって。craft 、頭でっかちじゃなく、実践的な感じがします。
○小夏日は知りませんでした。高知の姉から送ってくる「小夏」というミカンは大好物ですが(笑) Indian summer って好きな英語だなぁ。ドイツ語だと老婦人の夏ですか。老婦人みたいに穏やかな、ってことでしょうか。
たぶん、老婦人の穏やかな感じを喩えなのでしょうね。古き良き時代に出来た言葉なのかもしれません。米国、ドイツともに人間が喩えに使われているところが面白いですね。
俳句の作者も読者も少しの曖昧があってはいけないと思うこの頃です。
話は違いますが、
17日の読売新聞の編集手帳に
カフカ去れ一茶は来れおでん酒 加藤楸邨
が紹介されていました。
「一献傾ける相手には、額にしわを刻んで人間社会の不条理を描いた作家よりも、
腹の底をあけすけに語った俳人がありがたい」と。
さすが、人間探求派だなあと感心しました。
松島の佳景へ行ってもできません。/
夢の中の恋のように/プラトニックに頭が制作スルのです>
高校3年生の寺山修司の言葉だということですが、
すでにcraftしていたのですね。
今、ようやく納得できました
寺山については、よく知らないんですが、そういうことを言っていたんですか。最晩年、三橋敏雄らと俳句誌を出す計画があったらしいですね。ぼくは、若干、寺山と意見を異にしますね。現場で感じる、現場で考えることは、そのとき、作品にならなくとも、言葉以前の何かが体に入るように思うからです。craftは、その後の作業プロセスにあたるように感じるんです。