goo

芭蕉の俳句(109)

日曜日、。旧暦、7月20日。

午前中、伯父の新盆、午後、掃除と買出し。新盆の後、従弟にイタリアンをご馳走になった。びっくりした。今まで、料理などしたこともない男がキッチンでせっせと洒落た料理を作っているから。意外に旨かった。



種芋や花の盛りを売り歩く  (泊船集)

■花の盛りという風雅、種芋という生活そのもの。この二つの対比に惹かれた。句は一物仕立てであるが、発想は取り合わせというより対比的である。「奥の細道」以降、はっきり作風が変わってきた。文学史上は、「かるみ」と言われている。この変化の一つは、「時間の感覚」にあるように思う。以前は、句は「過去を含んだ今」という時間の二重性が基本だった。謡曲や和歌や事跡を踏まえた句作りに、それは現れている。この句の時間は、現在だけである。「奥の細道」以降、時間の二重性は解消されたのか。この点を一つの問題意識にしてみたい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 芭蕉の俳句(108) 芭蕉の俳句(110) »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。