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往還日誌(106)





■11月12日、日曜日、曇り。大宮氷川参道。

若宮へ帰還して早くも1週間。若宮は鳥の聲が静かである。19日に市議会選挙があるので、選挙カーが毎日来ている。気になっているのは、極右の参政党の候補者の宣伝カーが、毎朝、巡っていることである。地方議会から浸透してゆこうとするのは、維新と同じである。

珈琲がまた毎日飲めなくなったので、四条烏丸の紅茶専門店でアッサムとダージリンを購入し、若宮にはアッサムだけ持ち込んだ。

金曜日の朝、医院から帰り道、右目にも飛蚊症が現れた。これで両眼とも飛蚊症となった。眼のケアを本格的に考えないといけない。

土曜日、京都にいるときから念願だったMELLOW BROWNのパンケーキを久しぶりに食した。UCCフードサービスシステムズ株式会社が運営主体で、神奈川や埼玉などに店舗展開している。関西では、今のところ、イオンモール京都桂川にだけある。

土曜日は、免疫学者で科学哲学者の矢倉英隆さんのセミナー「サイファイ・フォーラムFPSS」へ出席。
とくに英国の社会学者、ハリー・コリンズの「『専門知を再考する』を読む」に関心があった。発表を聴いた後、議論を行う。かなり活発な議論が行われた。

セミナーのあとに、矢倉さんに送った私のコメントは、今時点での「知識と操作性」に関する関心を反映しているので、記録しておきたい。このコメントは、サイファイ・フォーラムFPSSのHPにも掲載されている。

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コリンズの「専門知を再考する」がとくに興味深いものでした。

私は、知識そのものが、社会的意思決定と直接つながる時代は終わったと見ています。

基本的に、「知識が個人の自由な選択のために使える条件」を整えることが、
当該の知識の内容の妥当性とともに、問題となるべき時代になったと思っています。

現代でも、形式的には、知識は個人の選択の自由のためにありますが、事実上、
そこには、本来の意味で「自由」は存在しません。

原発問題にしても、ワクチン問題にしても、我々が気がついたときには、始まっていた、
というのが現実です。

現代において、知識は、意図的か否かは別として、
必ず何らかの操作性を帯びています。

これを回避するために、知識は、当該知識の知識社会学的な分析と一体で提示されるのが理想ですが、原理的にそれは難しいので、知識の操作性が抑制できないのだと思います。

たとえば、当該知識が、物事を進める統治権力の代行として「機能」しているのか、原発被害者やワクチン被害者の救済として「機能」しているのか、見極めるために、知識社会学的分析は必須です。

これは、「知識の機能性の問題」です。

さらに、民主主義は単独で存在していません。必ず、資本主義とセットです。物事を進める統治権力は、業界票や献金、あるいは、諸々の国の専門委員会を通じて、産業界から強い規定性を受けています。

この規定性が、統治権力が採用する知識の「使い方」をゆがませています。たとえば、原発推進政策において、数学の確率論が、原発のシビアアクシデントが現実的に起こりえないことの根拠とされました。

また、民主主義は、一国で完結していません。日本の場合、必ず、日米同盟あるいは西側同盟国との軍事・経済同盟の大枠があり、産業界による規定性以外に、統治権力が民意を反映しにくい要因の一つとなっています。

こうした国際関係の大枠も、統治権力が採用する知識の「使い方」に大きな影響を与えています。

これらは、「統治権力による知識の使い方」の問題です。

社会において、知識が問題となる場合、第一義的には、知識の内容の妥当性が問題となります。
しかし、知識の機能性(だれの、何のために機能しているのか)や使い方(たとえば、恣意的な時間区分や空間区分など)は、あとから、問題にされることが多く(場合によっては、後からわかることもあります)、こうした知識社会学的な知見が提供されるまでにタイムラグがあります。

提供された時には、社会には、別の新しい問題が起きており、古い問題解決は注目されないので、こうした知識社会学的な知見が、制度設計や政策になかなか反映されない、という現実があると思います。

こうした広い意味での知識批判は、主に社会学者やジャーナリストの仕事ですが、知識の生産者である科学者(社会科学者も含む)と知識の消費者である市民も、この作業に参加することで、「知識の知識」の重要性が社会的に認知されてゆくのではないでしょうか。

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知識の問題について、土曜日のセミナーで、改めて、関心を深めた。矢倉さんから、来年の発表を打診されているので、ニコの仕事を早く仕上げて、知識の問題と操作論とをリンクさせてみたい。

きょうは、朝7時に起きて、ルソー読書会の準備と読書会。いくつかの読書会と、カード・システムをリンクさせる試みをしようと思っている。

午後から、松戸市へ。小説家の黄英治さんと2時間くらいカフェで話し込む。

夕方から、竜ケ崎へ墓参に向かう。竜ケ崎の夜は深い。

夜、8時前に帰宅。

夜、詩「ウトロ、あるいは燃える鳥」を黄さんとの会話を踏まえて、推敲してver.4を作る。

週末、ニコの仕事ができなかったので、明日朝に回すことに。


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一日一句(3105)


さいたまの道






落葉またわが身ひとつで生まればや






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