verse, prose, and translation
Delfini Workshop
猿蓑:「鳶の羽も」の巻(27)
2012-12-25 / 芭蕉
■旧暦11月13日、火曜日、クリスマス
(写真)無題
身の回りのスナップ写真は、面白いけれど、段々限界を感じて来た。一応テーマは、人間の背中と雲と水だったが、いつのまにか、テーマが希薄になって来た。なにか、別のテーマを持って、取材に行きたくなってきた。もとより、観光系の写真は心が動かないので興味はない。民衆の権力との闘いの痕跡をカメラで写すとどうなるのか。同時代史的なドキュメンタリーではなく、今はない痕跡を求めるとどうなるのか。そんなことを漠然と考えている。容貌や風や光や木々のアウラに危機の痕跡を観ることができるはずだと思っている。
2009年以来、出版不況と無名の壁に阻まれて、なかなか翻訳書が出せないで来たが、ここへきて、どうにか、2冊、スタートを切れる状況になってきた。ただ、消費されるだけの本は、もちろん、訳さない。だから、苦闘するのであるが、人間、どうせ死ぬのである。死を隣に置いたとき、価値あるものとそうでないものは自ずと選別されてくるのではないだろうか。
☆
おもひ切たる死ぐるひ見よ 史邦
青天に有明月の朝ぼらけ 去来
■安東次男の理解と、その他の理解は対照的で面白い。安東次男は、去来の正客としてのポジションに重きを置いた理解になっている。他の理解は、前句との間に何らかの脈絡を観て、そこに重きを置いている。つまり、安東次男の理解は連衆間の社会関係を見据えたものであるが、他の理解は、句の言葉の表面の理解に留まっている、とも言える。俳諧は、存在論的なものだと思う。だからこそ、霊鎮めにもなったのだろう。
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