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飴山實を読む(76)

■7月23日、土曜日、、処暑

(写真)秋の川

この二三日、半袖じゃ寒いくらいである。夏期講習も残りわずか。9月からは、週4日、外に出て、週3日は、自宅で翻訳に専念する体制を組んだ。塾の日は、翻訳をやるには、まとまった時間が取れないので、いっそ創作に専念してしまおうかと思っている。

英国の社会派監督のケン・ローチが、新作を撮ったという記事を夕刊で読んだ。搾取されてきたシングルマザーが派遣会社を立ち上げて、移民労働者を搾取するストーリーで、搾取される側だけではなく搾取する側も、システムに翻弄されている状況を描こうとしたインタビューで述べている。システムに問題があるのは、マルクスの時代から自明であり、よほど、欺瞞に鈍感で金に執着のある人間以外なら、だれでも気がついている。問題は、システムをどう変えるか、ではないだろうか。そのプランはだれも描けない。ソ連、中国の国家社会主義は失敗だった。社会を根源的に批判し告発する映画も意義はあると思うが、システムをどう変えるのか、という視点からの映画があってもいいように感じた。




蚕豆に莢のかたちの生まれそむ
   「花浴び」

■蚕豆で夏。蚕豆の動きを詠んでいて惹かれた。対象をよく見つめていないとできない句だと思う。蚕豆という季語を使っていながら、蚕豆の変化・成長を詠んでいて、季語が常に時の変化の相の中にあることを思い出させてくれる。
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