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マキアヴェッリ

水曜日、。星野之宣の自選短編集・歴史篇を読んだ。なかなか、面白い物語ばかりなのだが、その中でもっとも印象に残ったのは、チェーザレ・ボルジアを描いた短編だった。チェーザレ・ボルジアは、ニーチェも言及していた記憶がある。この物語の中には、ダヴィンチとマキアヴェッリも登場する。マキアヴェッリは、学生の頃、『君主論』を文庫で読んだという記憶はあるが、ほとんど内容は覚えていない。後は、権謀術数を肯定し結果のためには手段を選ばないといった政治屋のバイブル、現実世界の中にうじゃうじゃいるマキャヴェリストたちの元祖―そういう邪悪な印象しかない。

自分と肌が合わない。意見が違う。そう感じるときは、それを黙殺してしまうことも多いのだが、逆に、言い分を聴いてみる、というスタンスもあると思う。もしかしたら、自分が見ている世界や歴史とは違ったありようがあるかもしれない。

まあ、そう構えたわけでもないのだが、塩野七生の『マキアヴェッリ語録』を読んでみた。塩野というおばちゃんも、ぼくはあまり好かない。なぜかと言うと、統治者・支配者・権力者に感情移入して歴史を見ている気がするからだ。まあ、それはそれとして、言い分を聴くのは良かろうと思った。

『マキアヴェッリ語録』という本は、マキアヴェッリの主要な著作から、煩雑な歴史的事例をカットして、背景知識がなくても理解可能に編集した本で、君主篇、国家篇、人間篇に分けて、その世界観・歴史観を浮き彫りにしている。おもな出典は『君主論』、『戦略論』、『政略論』、『フィレンツェ史』などである。出典が異なるせいか、書かれた時期が異なるせいか、互いに矛盾することも言っている。翻訳は、塩野さんなのかどうか、明記されていないが、たぶん、塩野さんであろう。かなり達者な日本語になっている。ただ、「階級闘争」など、近代になって出現した概念をルネサンス期に当てはめて翻訳するのはどうかと思った。まあ、それは細かい話になるので、ぼくが言いたかったのは、この本を虚心に読むと、マキアヴェッリは第一級の政治社会学者で、しかも、かなりのリベラリストだということ。これは、政治学の常識なのかもしれないが、ぼくには、意外だった。

いくつか、興味深い言葉を抜き出してみる。

なぜ古代では秩序が保たれ、現代(16世紀)では無秩序が支配しているのかの理由解明は、これまた簡単である。すべては昔は自由人であったのだが、今では奴隷の生活をするしかないことにある。前にも説明したように、自由に生きることのできる国では、社会全体が繁栄を享受できるようになるとは、歴史が示してくれる真実である。そのような社会では、結婚を避ける傾向もなく、財産を減らすおそれももたずに子孫を増やすことができたので、人口は健全な増え方をしたのであった。…このような社会では、自由競争の原理が支配的になる。私的な利益と公的な利益の両方ともが、ごく自然な形で追求されるようになる。結果は、両方ともの繁栄につながるのだ。「政略論」(『マキアヴェッリ語録』pp.148-149)

■ホワイトハウスにはマキアヴェッリ全集が揃っているらしい。上の文章など、合衆国大統領の就任演説に出てきてもおかしくないのではないだろうか(いくぶんの皮肉を込めて)。

国家にとって、法律をつくっておきながらその法律を守らないことほど有害なことはない。とくに、法律をつくった当の人々がそれを守らない場合は、文句なく最悪だ。「政略論」(『同書』p.151)

民衆というものは、善政に浴しているかぎり、とくに自由などを、望みもしなければ、求めもしないものである。「政略論」(『同書』p.153)

これだけは、民衆に言いたい。このことだけは肝に銘じて覚えておいてほしい。為政者であろうと指導者と呼ばれようと、支配者の存在しない社会は、あったためしはないのである。だから、それをする人を選ぶときには必ず、その人々が権力を濫用しようにもできないような、制度を整えておくことだ。「政略論」(『同書』pp.166-167)

わたしは、はっきりと言いたい。運は、制度を変える勇気をもたない者には、その裁定を変えよとはしないし、天も、自ら破滅したいと思う者は、助けようとしないし、助けられるものでもないのである、と。「若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言」(『同書』p.203)

次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、と思ってはいけない。「政略論」(『同書』p.212)

人の為す事業は、動機ではなく、結果から評価されるべきである。「政略論」(『同書』p.212)

はじめはわが身を守ることだけ考えていた人も、それが達成されるや、今度は他者を攻めることを考えるようになる。残念だが、これが現実だ。「政略論」(『同書』pp.231-232)

ある人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、その人物がどのような人々とつきあっているかを見ることである。なぜなら、親しくつきあっている人々に影響されないですむ人など、ほとんど皆無と言っていいからである。「政略論」(『同書』p.236)

良い面を残そうとすれば、どうしたって悪い面も同時に残さざるをえないのである。だからこそ、盛者は必衰なのだろう。「手紙」(『同書』p.243)

天国に行くのに最も有効な方法は、地獄に行く道を熟知することである。「手紙」(『同書』p.244)

■いかがであろうか。『君主論』を再読してみようと、新訳版を買ってきた。






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