verse, prose, and translation
Delfini Workshop
西行全歌集ノート(12)
2014-01-25 / 短歌

1月25日
あくがるゝ心はさてもやまざくら散りなんのちや身に帰るべき
西行 山家集 上 春
※ この歌もいろいろ、考えさせられる。最初の言葉「あくがる」は、「心が身体から抜け出てゆく」ことである。あくがるは、漢字で書けば、憧がる。あの、なにかに憧れると基本的には同じである。つまり、対象に憧れるというのは、心が身体を抜け出て対象と一体化することを言うわけである。身体の側にポイントを置けば、うわの空になるわけだが、心の側にポイントを置けば、対象と一体化し、そのとき、対象の「理念化」が行われる。この点に注目したい。心が花に「あくがれれば」花は理念性を帯びる。心が、原発に「あくがれれば」は、原子力エネルギーは理念性を帯びる。非常に美しく高効率エネルギーの側面だけが現れる。原子力エネルギー構造の持つ対立や矛盾は、理念性を帯びると、不可視の存在しないものとなる。
花見という習慣が、ごく若いころから嫌いだった。今も嫌いである。花見は、数えるほどしか行ったことがない。花は一人で見れば十分。ずっとそう思っている。花見は、共同体を統合しないと都合の悪い人間が始めて広めたものか、もともとの死者の魂を静める習慣を、そのように利用してきたものだろう。靖国を見てみればいい。ものの見事に共同体内部の対立も矛盾も、英霊の前で存在しないかのようではないか。
心が身体を抜け出る運動は、対象への一体化(憑依)と関わるだけでなく、対象の理念化とも深く関わっている。心は、西行が歌で表現したように、言葉の働きと切り離せないし、言語に、そもそも、理念性を付与するという特徴があることに、注目したい。心の運動は、基本的には、倫理の彼岸にあると考えた方がいいように思う、好きなってはいけない人を好きになる。悪に憧れる。問題は、個人的な心の運動が、大規模な社会性を帯びるときだろう。
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西行全歌集ノート(11)
2014-01-24 / 短歌

1月24日
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき
西行 山家集 上 春
※ これを読んだとき「これだ!」と電車の中で小さく叫んでいた。ここに心の最大の特徴が出ているではないかと思った。「梢の花」だから、満開の櫻ではなく、初花に近い枝先の一輪だろう。その初花を見た日から、心が身体を離れてしまった、というのである。離れた心は、どこへ行ったか、「梢の花」へ行ったのである。満開の桜が待ち遠しくて、居ても立ってもいられず、心は、身体を離れてしまった。花に取り憑かれたのである。逆に言えば、心の中に、花が入りこんできて占有してしまったのである。
ロボット化した人々に「心」がないわけではない。アイヒマンを見てみればいい。モサドは、アイヒマンを確認して拉致するのに、アイヒマンが妻の誕生日に花を買ったのを決定的な証拠としている。アイヒマンに心がないわけではない。虚子を見てみればいい。俳句を詠みながら、その俳句は、決定的に「他者」が欠落している。心が共同体内部の存在で占有されているからである。経産省のお役人が短歌を詠む。大いにあり得る。その一方で、原発再稼働を粛々と進める。心がないからではなく、心が一つのことに取り憑かれているからだ。
花狂い、という言葉がある。心は、身体を離れやすく、また、何物かを身体に呼び込みやすい。
心の最大の秘密は、身体を離れて、外部の存在に取り憑き、同化することであり、外部の存在から見れば、身体へと呼び込まれることである。古代の感性、ミメーシスがここにはっきりと姿を現している。ミメーシスこそ、心の最大の秘密と関わっている。梢の初花に取り憑かれた西行。そのとき、西行は一輪の花なのである。
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西行全歌集ノート(10)
2014-01-23 / 短歌

1月22日
思ひやる心や花に行かざらん霞こめたるみ吉野の山
西行 山家集 上 春
※ ここにも、「心」が出てくる。この心は、自分の外の存在に向けられている。その向けた心が花には届かないのかと、嘆息している。心は、存在に対する想像力を伴うものでもあったのだろう。
ところで、虚子が、南京陥落の時に朝日新聞の求めに応じて詠んだ俳句を次に見てみよう。
12月9日 東京朝日新聞社より南京陥落の句を徴されて 寒紅梅馥郁として招魂社
昭和12年12月10日から、南京大虐殺が始まる。その前後の俳句を抜き出すと次のようである。
1月23日 マスクして我と汝でありしかな
4月9日 花の如く月の如くにもてなさん
6月5日 老い人や夏木見上げてやすらかに
7月24日 月あれば夜を遊びける世を思ふ
8月8日 夏山やよく雲かゝりよく晴るゝ
10月15日 老人と子供と多し秋祭
11月8日 秋天に赤き筋ある如くなり
11月14日 静かさに耐へずして降る落葉かな
12月8日 砲火そゝぐ南京城は炉の如し
12月8日 かゝる夜も将士の征衣霜深し
12月9日 東京朝日新聞社より南京陥落の句を徴されて 寒紅梅馥郁として招魂社
12月11日 女を見て連れの男を見て師走
12月24日 冬麗ら花は無けれど枝垂梅
12月25日 行年や歴史の中に今我あり
※ どうだろうか。虚子に心がない、と非難したいわけではない。むしろ、外部の存在(とりわけ自然存在)に対して、想像力は十分すぎるほど働いているのだ。ただ、戦争について、まったく、想像力が、あるいは理解が、届いていないことがわかる。それは、なぜなのか。社会的存在に対する冷淡とも言えるこの無関心は何なのか。
翻って、西行は、平安末期から鎌倉時代を生きた。戦乱の世でもある。彼の心は、戦乱をどう見たのか、戦乱でどう変化したのか。この辺りが、今後、「心」のありようを見てゆく時のポイントになると思う。心は流れる水のごときものなのかもしれない。
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西行全歌集ノート(9)
2014-01-21 / 短歌

1月21日
空に出でていづくともなく尋ぬれば雲とは花の見ゆるなりけり
西行 山家集 上 春
「空に出でて」とは、あてもなく出て。この歌を読むと、花は雲に近い上方にあるのが普通だったという山桜としての花のありように、今さらながら驚く。花見は山見、雲見、でもあったわけだ。平地に花が移行してくるのは、おもに染井吉野からだとすれば、それまでは、山に行かなければ、花には会えなかったわけだから、花を見る、花と一体になる、という機会の価値が、今とはすいぶん違っていたろうと想像される。貴重であったはずである。
谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』の夜桜は、不意打ちのように、現れる一本の櫻であるが、こういう花との偶然の出会いは、目的意識をもった出会い方よりも、はるかに、心に突き刺さるものであろうことは想像に難くない。
「かかる時、かかる谷あいに、人知れず春を誇っている花のもまた「夜の錦」であることに変わりはない。あたかもそれは、路より少し高いところに生えているので、その一本だけが、ひとり離れて聳えつつ傘のように枝をひろげ、その立っている周辺を艶麗なほの明るさで照らしているのであった」
出会いは、出会った双方を変えてしまう。それが出会うということの本質なのだろう。少将と出会った後は、花も変わっていたはずである。
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西行全歌集ノート(8)
2014-01-20 / 短歌

1月20日
おぼつかないづれの山の峰よりか待たるる花の咲き始むらん
西行 山家集 上 春
※ 「おぼつかな」は、はっきりわからないこと。これほどまでに待たれる花とは何のか。その年の豊作を櫻で占うとも言われるが、ここでは「花」という象形にこだわってみたい。この漢字の「化」は、白川静の「常用字解」によると、大変興味深いことが書いてある。
これは、人と七(か)を組み合わせた形で、七とは、人を逆さまにした形で、死者の形を意味する。頭と足が逆になった七(死者)が、背中合わせに横たわっている形が、化であり、人が死ぬことを言う。化は生気を失って変化すること。すべてのものは変化しながら、生と死を繰り返していくので、変化することを意味する。また、自然がものを育成すること、道徳・思想によって教え導くことを化という。化は「しぬ、かわる、したがう」の意味に用いる。
このように、見てみると、花は、生死、変化と関わっていることが見えてくる。花を待つ心とは、再生を願う心と、どこか、通じるものがあるのかもしれない。花に同一化することで、そのとき、生死を一体的に経験することになるのではないか。「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という梶井基次郎の想像は、花の本質を突いたものだったのだろう。
大日本帝国の「散る櫻」のイメージは、花の再生・変化の「死の相」を強調したもので、あながち、的外れで、櫻は政治的に利用されただけとも言えないのである。
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西行全歌集ノート(7)
2014-01-19 / 短歌

1月19日
たれかまた花を尋ねて吉野山苔ふみわくる岩伝ふらん
西行 山家集 上 春
※ 「らん」となっているから、西行は、吉野山以外の場所にいて、吉野山を尋ねる人を想像しているのだろう。この当時、花を観るには、苔を踏みわけ、岩を伝う必要があったのか、と驚く。いったい誰が吉野山を尋ねたのだろう。
古典文学を読んでいて、いつも滑稽に思うことがある。それは、古典を読む国文学者や読者が、すっかり、貴族に感情移入してしまっているからだ。その地平から、たまに出てくる庶民を見下すような口吻になるところが実に滑稽なのである。吉野山の花を愛でたのは、皇族・貴族か、西行のような僧侶か、いずれにしても、富裕層(なんのことはない、その本質は泥棒である)だったはずである。
1月19日
今さらに春を忘るる花もあらじやすく待ちつつ今日も暮らさん
西行 山家集 上 春
※ これはいいなぁ。四季の変化に励まされ、ときに畏れ、ときに敬う。自然的存在の中にともに住まう存在として、人間の「心」は養われてきたのだろうか。自然という箱が壊れたり、自然という箱から離れ過ぎると、人間の心は、狂うのかもしれない。
「やすく」は、安心して、の意。
名護市、南相馬市、本当に良かったと思う。
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西行全歌集ノート(6)
2014-01-19 / 短歌

1月18日
水底に深きみどりの色見えて風に波よる川柳
西行 山家集 上 春
※ 「川柳」は晩春の季語。西行は、川柳を、他のすべての文字を使って描写している。後世、多く俳句に詠まれる「柳」や「川柳」の原経験の形がここに現れている。水に映る柳のみどりの濃さ。風と柳の取合せ。しかも、水面に風が渡っている。これは、さまざまなヴァージョンで俳句にも詠まれている。季語の原経験は、やがて、季語の本意となるのだろう。それを核としながら、時代によって、季語の内実に幅が出てくるのだろう。
1月19日
待つにより散らぬ心を山ざくら咲きなば花の思ひ知らなん
西行 山家集 上 春
※ ここにも、「心」が出てくる。「散らぬ心」とは何か。注などを踏まえると、さくらの開花を待っているから、そのことだけを思っている心(その他のことに気が散らない心)という感じだろうか。注目したいのは、「花の思ひ」という措辞。これは、現代では、非常に少なくなった使い方だろう。花に思いがある。擬人法と言ってしまえば、それまでだが、ぼくは、ここに、古代から続く呪術性を見たい。人間以外の自然存在が、人格を持つという発想。言葉も持つと考えたのかどうか。この点を一番、今後知りたい。
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西行全歌集ノート(5)
2014-01-16 / 短歌

1月14日
春雨に軒たれこむるつれづれに人に知られぬ人の住みかか
西行 山家集 上 春
※ この場合の、「つれづれに」は「つれづれなり」(形容動詞)の連用形。「もの寂しくぼんやりしている」という意味で、閑だ、手持無沙汰だ、という例の有名な意味の方ではないと思う。春雨の様子を言っているのだろう。
「人に知られぬ人の住みかか」という4句、5句にとくに惹かれた。この表現は、何か事情があって、世間を避けて隠れ住んでいる人を思わせる。この個所は、春雨が軒を落ちる様子から、その家に住む人のありようを想像しているという点で、ここ何首か検討した想像力の方向性と同じものである。自然的存在の様子から、そこに住まう人間存在の様子を想像する。この発想は、歌だけではないのだろうと思う。
この想像力は、こうも言える。自然的存在は「目に見えるもの」であるが、人間存在は、常に、隠されている。目に見える自然的存在から、そこに住まう眼に見えない人間存在を想像すると、その人間存在は、理念性を帯びてくると一般的には言えるのではなかろうか。
1月16日
何となくおぼつかなきは天の原霞に消えて帰る雁がね
西行 山家集 上 春
※ 以前、西行の和歌は煩いと書いた。季語が多くて。しかし、考えてみると、西行の時代に「季語」の概念があったわけではなく、むしろ、季語の母体の一つであるから、季語生成の現場に立ち会っていると考えた方がいいのだろう。いつから、季語は季語として使用されるようになったのか。江戸の芭蕉の頃には、すでに存在した。東山文化の宗祇の時代にも、あったと思われるが、この辺、調べてみたい。
ちなみに、「帰る雁」は、春の季語で、江戸期には、すでに次のような俳句が詠まれている。
雨だれや暁がたに帰る雁 鬼貫 「婦多津物」
巡礼と打ちまじり行く帰雁かな 嵐雪 「己が光」
雁行て門田も遠くおもはるゝ 蕪村 「自筆句帳」
歸る雁田ごとの月の曇る夜に 蕪村 「蕪村句集」
きのふ去ニけふいに鴈のなき夜哉 蕪村 「蕪村句集」
風呂の戸をあけて雁見る名残りかな 几董 「井華集」
雨夜の雁啼き重なりてかへるなり 暁台 「暁台句集」
かりがねのあまりに高く帰るなり 前田普羅 「定本普羅句集」
季重ねは、ほとんどないが、蕪村の「月の曇る夜に」は、朧月のことだから、季節を表す言葉が二つと考えてもいいだろう。季重ねという現象は、「季語」という概念が出来上がると、重きがどちらかに置かれるようになるが、西行の和歌に見られるように、主従の関係はもともとなかったのだろう。ただ、俳句と和歌が違うのは、季節を表す言葉を説明(あるいは描写)する傾向が和歌には強く、俳句には弱いという点だろうか。
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西行全歌集ノート(4)
2014-01-13 / 短歌

1月12日
柴の庵にとくとく梅の匂ひきてやさしき方もある住みか哉
西行 山家集 上 春
※ 松戸へ帰還、今夜は寒い。
「柴の庵(いほ)」は、柴で屋根をふいた粗末な小屋。「とくとく」は「早くも」。別のバージョンでは、「よるよる」。別バージョンでは、やさしき方(優雅なお人)は、女性のように感じられてくる。いずれにしても、庭木から、主の人柄をしのぶ感性の方向性が、今よりもずっと厚かったのではないかと思われる。現在では、目的合理的で効率的な行為が中心になってきているから。資本主義の発展と感性のありようには関連性があるからだろう。
1月13日
ひとり寝る草の枕の移り香は垣根の梅の匂ひなりけり
西行 山家集 上 春
# とても印象に残る。これも散文と言っていい歌。 A は B である、と言っている。その内実は普遍的に妥当する真理ではなく具体的な梅の匂いである。日本語の論理は歌の中で熟成されてきた面が大きいのではないか、という気もしてくる。
1月13日
何となく軒なつかしき梅ゆゑに住みけん人の心をぞ知る
西行 山家集 上 春
※ 「なつかし」は、心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。現代語の「懐かしい」と同じ意味もあるが、第一義的には、現在のプラスの感情を表している。その意味で、「ゆかし」と同じである。現代でも、見知らぬ街や人を指して、「懐かしい感じがする」という言い回しがある。これが、もともとの「なつかし」の使い方に近いということで、時間的な過去を回想するようになったのは、むしろ、後代のことである。もともとは、目の前のことに対して、プラスの感情を表現するときに用いられた。
軒下近くの梅に惹かれたのだろう。5句目の「心」とはなにか。これにこの句では、一番興味がある。住んでいる人の心がわかる、ということだろうが、西行には、この言葉、「心」が頻出する。その影響だろうか、芭蕉にも多い。その「心」とは何か。すぐに、答えを出そうとせず、しばらく検討してみたい。ここでは、文脈から判断すれば、「なつかし」に呼応して、好ましい何か、その人をその人たらしめる何か、つまり本質、と言えるだろうか。梅のありようを観て(感じて)、主の心のありようを想像する。こういう想像力の方向性は、今よりずっと強かっただろうと思う(ちなみに、マイナスの感情も当然考えられる。和歌ではあまりマイナスの想像力の方向性は見たことがない。物語や随筆にはあったと思う)。この歌では、梅の香に限定せずに、梅のありようという存在全体に視点が向いている点も注目される。
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西行全歌集ノート(3)
2014-01-12 / 短歌

1月10日
若菜摘む野辺の霞ぞあはれなる昔を遠く隔つと思へば
西行 山家集 上 春
# これも散文的だが、印象に残る。霞の向こうに昔の時空間が広がっているという想像は、目の前にあるものを詠むのだが、それだけでなく、存在の奥行きを醸し出している。蕪村の感性と近いものを感じた。
1月10日
片岡にしば移りして鳴く雉子(きぎす)立つ羽音とて高からぬかは
西行 山家集 上 春
# この歌、感覚的で目立った。片岡は、二つ並んだ丘の片方。歌枕で、奈良県の北葛城郡の丘陵地帯も意味するが、ここでは、前者だろう。雉が一方からもう一方の丘へしばしば鳴きながら飛び移る。その羽音を詠んでいる。その音が春の柔らかに湿った空気の中では、もう高く響かないと詠んでいる。音の響きで春の到来を詠んだ歌だろうと思う。鋭い感覚が感じられる。
1月11日
心せん賤(しづ)が垣根の梅はあやなよしなく過ぐる人とどめけり
西行 山家集 上 春
# 西行と言えば桜だが、梅も詠んでいる。その香が歌の中心であることが多い。この歌の中心は、「あやな」ではないかと思う。「あやなし」のことで、理由がわからない、不思議だ、といった意味。「よしなし」とは、縁もゆかりも無いことで、言わば通りすがりの人。そういう人の足を止める不思議な力を梅は持っているから、心せん、つまり、注意しようと歌っているのだが、これはレトリックで、その秘密は、梅の香の良さにある。この歌の前後には、梅の香をテーマにした歌がある。ぼくが、不思議に思ったのは、「垣根」という言葉。家の領域の内外を仕切るものだが、梅を仕切りしていたことが、現代ではない風習と思う。何本くらい植えていたのだろうか。一本でも仕切りにはなるだろうけれど。また、「賤が垣根」という言い回しは、客観的にみすぼらしい垣根というのではなく、謙遜だろう。自分の住いの垣根だろう。
1月11日
主いかに風渡るとていとふらんよそにうれしき梅の匂ひを
西行 山家集 上 春
# これも、梅の香をテーマにした典型的な歌。主が風に梅が散って隣家へ、花びらが舞うのを嫌がるだろうという。いい香りが行ってしまうから。ちょっと笑える歌である。
1月11日
梅が香を谷ふところに吹きためて入り来ん人に沁めよ春風
西行 山家集 上 春
# 梅は、蕪村や一茶など江戸期の俳諧師の句を読んでいると、むめと表記されていることがある。少し調べてみると、梅は mmeと渡来当時の日本人は発音したらしい。鼻音を軽く重ねた。これを文字に起すとむめとなり、これが mume と発音されて、頭のm が取れたようなのである。ただ、諸説あって、確定的ではない。ただし、始め、軽く鼻音を重ねたというのは、むめという表記や方言にのこっているから、ほぼ確かだろう。
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