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蕪村の俳句(127)




■旧暦6月21日、日曜日、河童忌。陽ざしは夏らしいところもあったが、全体に、うすら寒い。長袖でいられる。



ポケモンGOが配信されて、世界中で、いろいろな問題が起きている。たとえば、それは「侵入」という形で起きている。

「アメリカでは子どもたちが原子力発電所の敷地に侵入。ボスニアの地雷原やインドネシアの軍用地に入り込んでしまったプレーヤーたちもいた。トルコではモスク内でのプレーに、イスラム教指導者たちが反発。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡地では、博物館がプレー地域から外すよう開発会社に要請した。」(出典「時事通信 7月22日配信」

ポケモンGOを利用すると、開発会社のNiantec経由で権力に多様な一般市民の情報が集まるのは確かだろう。監視社会は、視覚と数量に特化した社会だが、匂いや肌触りやオーラなどは、デジタル情報には載ってこない。存在の本質は、むしろ、こちらにあると思う。ポケモンGOのプライバシーポリシーおよび利用規約を読むと、位置情報は、プライバシーポリシーで収集すると明言している。個人情報も収集するが、第三者とは共有しないと謳っている。しかし、フェイスブックやGoogleなどのSNSから、アメリカのNSC(国家安全保障会議 )へ個人情報が大量に流れているのは、スノーデンの仕事で明らかになっている。ポケモンGOの開発会社のNiantecには、CIAが出資している。個人情報が権力に流れないと額面どおりに捉えるのは、不合理だろう。だが、本質的な問題は、むしろ、別のところにある。

Pokémon GO サービス利用規約
Pokémon GOプライバシーポリシー



いままでも、電車の中で、ゲームをしている人は多かったが、ポケモンGOはゲームがスマホの中だけにとどまらない。スマホの中でリアルとヴァーチャルが融合している点が新しいと思う。こうした融合型のゲームは、非融合型に比べると、格段に、ひとをゲーム世界へ没入させる。ゲームと自分だけの関係になり、他者との社会関係は破壊される。つまり現実が破壊される。ゲームという装置は、人間個人をばらばらにする。集団で協力してポケモンを探すゲームは、登場しない。人間をその本質―社会的活動性―から疎外する形のゲームしか商品化されない。ここには、政治的な意図が働いていると見ていいと思う。ゲームに操作され、街を彷徨っている姿は、夢遊病者のように見える。

ポケモンGOの問題は、結果的に、国際国家利権村による民衆操作ツールになるところにある。若い人(中年もはまっているが)をゲーム漬けにすれば、政治に、社会に、ますます関心が向かなくなる。現在でもゲームは強力なイデオロギーとして機能している。自民党本部の下には、「永遠の与党」の刷り込みまである。投票所をポケストップにして、投票したらアイテムが入手できるようにしたらいい(マックは全店ポケストップにしている)。相当、投票率が上がるだろう。各ポケストップには、原発と基地についての、当該のポケストップがどう考えているか、表示されるといい。マーケティングの手法で一大操作が敢行されているのだから、逆に、それを投票率アップや政治意識の覚醒に活用できればいい。それこそ、商品の使用価値というものだろう。





みじか夜の闇より出て大ゐ川

安永三年(蕪村59歳)句帳ほか



■この句は、時間が空間的に捉えられている。「出て」という動詞に、その空間性が集約されている。夜から朝への時間の推移が、川が闇から出てくる、という空間性で表現され、季語「みじか夜」が生きている。そして、この時間と空間の根源には、自然に働きかける人間の社会的な労働活動が存在する。




蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
クリエーター情報なし
角川学芸出版












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