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蕪村の俳句(118)




■旧暦2月8日、水曜日、晴れ。

きのうきょうと、籠原駅の信号装置の漏電火災で、高崎線が大きく乱れた。この一年、高崎線を使うようになって、それまでの常磐線とどうしても比較してしまうのだが、端的に言って、乗客の柄がいい。われさきに、という人がいない。育ちのいい高崎線。その北上尾駅と上尾駅の発車メロディーがユニーク。上尾市歌が使われている。この二つの駅は、発車メロディーに凝ってきた歴史があるようだ。



衣手は露の光や紙雛

明和七年 遺稿ほか



■蕪村の明和七年の発句を読んでいると、現在と過去、ここと別の場所、現実と非現実といった二重構造が句に現れている。この句もそれで、百人一首の天智天皇の歌、「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」を踏まえている。眼前の紙雛の衣手(袖のこと)から、この歌が連想され、「露の光」が呼ばれたものと思う。この言葉の呼び方は、滑稽感をあまり感じない。和歌を笑いに転化するのは、俳諧の得意なところだが、「露の光」の哀れさが、紙雛の存在のはかなさと響き合い、哀切である。


蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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角川学芸出版






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蕪村の俳句(117)




■旧暦2月7日、火曜日、晴れ、春日。

午後から、近所の「埼玉文学館」で、詩人の野村喜和夫さん主宰の「午後二時の会」へはじめて参加。みなさん、とても熱心で、よい刺激になりました。3時間以上、詩について考える幸福な時間が流れた。



沓おとす音のみ雨の椿かな

明和7年 落日庵



■この句は、画賛であり、絵のテーマも張良と決まっている。句の背景を知り張良のことを知ると、「沓おとす音」が伝説の一部であることに気がつくが、それを知らずに読むと、蕪村の時代の「沓」という言葉にやや違和感を持つが、沓の落ちる硬い音が聞こえてくるような気がする。それは措辞「のみ」の効果が大きい。よく読むと、春雨の音もしているはずだが、それは、「のみ」の効果で後退している。代わって、雨の椿の白と葉の深緑がくっきりと浮かんでくる。椿は、赤でもピンクでもいいかもしれないが、白と言ったのは、沓の音の硬いイメージが、白を呼び起こすからであり、深緑と白の対比が、山に残る雪を思わせ、響きの奥行きを暗示するからである。



蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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角川学芸出版









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蕪村の俳句(116)




■旧暦2月6日、月曜日、春雨。

きょうは、非常に寒い一日だった。椿の葉の深緑は、椿の花に欠かせないと、きょう、雨で光る葉を見ながら思った。葉の生き生きした深緑は、どんな色の椿も引き立てる。



蕪村は、書簡も面白い。蕪村の人となりがにじみ出ているし、周囲にどんな人がいたのか、よくわかる。明和7年3月21日付、召波宛書簡では、なにか物語に関連した人形を召波から贈られて、娘が大喜びしていると言っている。また、同書では、くしあわびを贈られ、それが大好物と見えて、大喜び。ほほえましい。召波は、蕪村の弟子のひとり。明和7年5月13日付の書簡では、楼川という俳人に宛てて書いている。江戸の俳人で、京都へ上る噂があったが、結局、会えずに残念がっている。この当時、蕪村周囲では、図大、泰里など、蕪村や太祇と親交のあった江戸の俳人たちが、短期間だが、上洛して旧交を温めている。その楼川に宛てた書簡の中に記されている句。



一日の春を歩いて仕舞ひけり




■まだ、寒暖が混じる今頃かもしれない。本格的な春にはならないが、ときどき、思いついたように、春日になる。そんな春の一日を、歩いてしまったという。それは、しみじみ春の日を楽しんだというのとは違って、なにか、目的があって、忙しく移動したということだろう。気がつけば、そんな一日だったと、やや後悔に似た吐息も聞こえる。だが、「一日の春」という措辞で、それが紛れもなく春だったことが、感得される。それでも春だったのだ。


蕪村書簡集 (岩波文庫)
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岩波書店






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蕪村の俳句(115)




■旧暦2月5日、日曜日、曇り

朝から、松戸へ出かけて、引っ越しの残務整理。ようやく終わりが見えてきた。遺品整理と合わせると、10ヶ月を要した。

古いマンションの7階に住んだが、ここから、春には江戸川と富士が、秋には、花火がよく見えた。

ここからの春の山河も見納めか

冬には雪景色が、夏には、風がよく通った。

さて、いよいよ、本格的に生活の拠点が埼玉へと代わる。



帰る雁有楽の筆の余り哉

明和7年 落日庵




■この句は、「筆の余り」といういい回しに惹かれた。織田有楽斎については、信長の弟で茶人、武将というくらいしか知らないが、コミック『へうげもの(最新刊)』 での印象が非常に強い。このシリーズを読むと、信長亡き後、権力者の間を絶妙に泳いだ、やや調子のいい人、という感じが残る。実像は違うのかもしれないが。

「筆の余り」というのは、余分、なくてもいい部分、遊び、といったところだろうか。そうした生き生きした筆の遊びが、大空を帰る雁たちの姿に似ているという。蕪村は、おそらく、有楽斎の書を直接は見ていないだろう。雁書(手紙)という言葉から、「帰る雁」という季語を呼び出したとも考えられる。


蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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角川学芸出版












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蕪村の俳句(113)




■旧暦2月3日、金曜日、曇り。旧暦では、きょうが節分。冬から春に替わるときの節分の意味づけが、体感的に理解される。

今夜、国会前は、まさに、年の神が入れ替わる戦いの場であった。時間の隙間からあふれ出て、これまで長く悪行を重ねてきた鬼を追い出すデモで盛り上がったのである。










蕪村ともあろう人が西行を笑いものにするような発句を作ったのが、どうも納得できないでいた。釈迦の入滅(命日)を詠んだ蕪村の句をきょう見つけて、ひとつわかった気がした。それは、こんな句である。

西行の慾のはじめやねはん像

落日庵句集


浄土宗の僧侶でもあった蕪村は、西行の執着(願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃:望月は釈迦の入滅の日でもある)が、仏教的に見て、我執に思えたのだろう。それを慾のはじめと詠んでいる。では、芭蕉は? 蕪村は芭蕉に私淑し、東山に芭蕉庵を再興したほど入れ込んでいる。芭蕉は俗人とはいえ、禅に造詣が深く、僧形で旅を重ねてきた。芭蕉の最後の旅の句[旅に病んで夢は枯野をかけ廻る]は、そんな自分の執着を相対化しているとも見ることができる。ただ、芭蕉と西行はタイプが近いが、蕪村と西行は、人間が異なるような気はする。蕪村と芭蕉。その違いは、俳画に一番出ているように、わたしには感じられる。



蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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角川学芸出版



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蕪村の俳句(112)




■旧暦2月1日、水曜日、春雨。旧暦では、きょうから2月で、2月のイメージが現代とは違って、ずいぶんやわらかいものだったことがわかる。

昨夜は、第三回カフェフィロPAWLへ参加。哲学カフェと言っていいかと思うが、パリ在住で、ことしから、トゥールのフランソワ・ラブレー大学で研究されることになっている矢倉英隆さんが主宰するもの。もともと、生命科学者だった矢倉さんが、哲学的営みを科学に取り入れたいとする願いから、日本で開いているカフェのひとつ。毎回、学びや発見のきっかになるカフェで、昨夜は、エピクテトスの現代的意義について、議論を交わした。




西行は死にそこなふて袷かな

明和7年 落日庵


■一読、驚いた。蕪村の発句は、以前に、すべて検討しているが、見逃していたか、記憶にない句。西行を笑っているので驚いたのである。俳句の俳は、もともと、二人のひとが戯れ演じることを意味している。ここから「たわむれる、たわむれ、おどけ」の意味になった。だから、笑いが、俳句・俳諧の本質と言ってもいいと思うが、問題は、その笑いの質である。たとえば、自分を笑ってみせる、偉い人(権力者)を笑う、自然存在を笑う。こういう笑いは、難しいけれど、上手くいく可能性が高い。しかし、他者を笑うのは、見下すことにもなり、その笑いが低劣になってしまうものである。読んでいて気分のいいものではない。西行は笑いの対象になるような人なのかどうか。そう思ったのである。蕪村の生きていた当時、西行の歌どおりの死に方が、広く知れ渡っていたことがうかがわれるが、芭蕉が慕った古人のひとりだったことも当然知っていたはずである。蕪村と西行。芭蕉と西行とは違った、やや距離のある、そしてやや屈折した複雑な感情が、そこには、あるのかもしれない。ただ、当時、西行が神のように神格化されてしまっていたとしたら、こういう発句を作りたくなる気分もわからなくはない。



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蕪村の俳句(111)




■旧暦1月27日、土曜日、うす曇り。埼玉へ移って、この5月で丸一年になる。ここへ至るには、うちのドラマが、それなりにあるのだが、いまは語らない。

ここ数日、公開講座『ルカーチの存在論』の終身顧問のTさんと、来期26周年のプログラムについて、メールのやりとりしながら、運営委員会で決まった骨格を確認し、修正していった。26周年に呼ぶ、講師の方々に、講座の全体像を示す必要があるからだ。来期も、非常に面白くなる。われわれは、本気なのである。

2011年の1月から、「一日一句」をはじめて、丸5年経ち、6年目に突入した。2011年の3月11日は、千葉に住んでいたわたしの生活も直撃し、介護の問題もあって、このとき以降、非常に多忙だった。ブログは、ここ数年、「一日一句」と写真が中心になり、あまり長い文章は書けないできた。そろそろ、諸々再開していきたい。なにより、日記のような記録をつけておくのは、あとで、参考になる。



ことし、2016年は、蕪村生誕300年である。蕪村は、若冲と同い年、若冲も生誕300年である。ことし、2012年2月12日以降、止まっていた蕪村の句の検討を再開したいと思う。明和7年の発句から再開することになる。蕪村55歳。ちょうど、いまのわたしと同じ歳である。このとき、どこまで行っていたのか。不遜と思われるかもしれないが、蕪村もひとりの人間である。テクストは、4年前と同じ『蕪村句集』(角川ソフィア文庫 2011年)を使用。



寝た人に眠る人あり春の雨


明和7年 落日庵



■夜の春の雨という点にまず惹かれた。夜も更けているので、蕪村は部屋の中にいるのだろう。雨は耳で聴いているはずである。深夜に春の雨音だけが聞こえている。その音から、もう寝た人、眠るところの人へ、蕪村の想像力は飛翔していく。春の雨音は、やわらかい。受け止める地面もやわらかい。そして、甘い匂いがかすかにする。なにか、ものを書いたり、創造したりするひとは、都にいても、旅にいるように辺境にいて、自分や社会を観ているものである。時代の中にいても、時代の外から、いまを観ているものである。春の雨の音は、いのちの気配に包まれている。孤独な人がその気配に触れたとき、思い出すはずである。孤独ではなかったということを。


蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
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角川学芸出版










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蕪村の俳句(110)


■旧暦1月21日、日曜日、

(写真)サッカー

ドーナツは、揚げドーナツから焼きドーナツへ、完全に移行した観があるが、また一つ、旨い焼きドーナツ屋に遭遇。娘が池袋で、Ring Ring Ringなるドーナツ店で、3種類、買ってきたので、食してみた。これは、もはや、ドーナツの概念を超えている。まあ、揚げドーナツには揚げドーナツの良さがあるのだが。

図書館で、仕事をするつもりが、『モンテーニュとの対話』(荒木昭太郎著 2007)という本を読みふけってしまった。モンテーニュ(1572-1592)は、その思想が、温厚・中庸でどうも物足りなく、また、社会的に恵まれた人の思想、というイメージがあって、敬遠してきたが、この本を読んで、少し、じっくり読んでみるか、という気になった。たとえば、モンテーニュは、こんな言葉を残している。

もし、わたしがもう一度生を享けることになるなら、わたしが今まで生きてきたようにまた生きたい。

◇ニーチェが、モンテーニュを評価するのも頷ける。案外、「永劫回帰」は、この辺を発想の源泉にしているのかもしれない。

世界は永遠の変動の場でしかなく、すべてのものがそこでたえず変動している。大地も、コーカサスの岩山も、エジプトのピラミッドも、全体の変動と自らの変動で変動している。

◇変化する、という思想は、弁証法的だが、モンテーニュがエセーを書いたのは、16世紀である。先駆的な人かもしれない。

きみは病気だから死ぬのではない。生きているから死ぬのだ。死は病気の助けがなくても十分きみ殺せる。

◇よく引用される言葉なので、聞いたことがある。温厚だが、芯が強く度胸が据わっている。そんな印象。

エセーは、モンテーニュの死後、英国で英語版がすぐに出て、それに呼応するかのように、フランシス・ベーコン(1561-1626)が『随想集』Essaysを刊行している。ベーコンは、シェイクスピアの同時代人で、同一人物という人もいる。また、そのイドラ論は、イデオロギー論の源泉なので、とても、興味を持っている。パスカルは、モンテーニュのことを、あまりよく言っていないが、パンセが、エセーの系譜に連なるのは明らかで、18世紀のルソーの『告白』Cnfessionsも、荒木さんによれば、この系譜だという。なんだか、日本の私小説にも繋がりそうで、親近感を持った。



春雨や小磯の小貝ぬるゝほど   明和六年

■すでに濡れている小貝が、春雨によって、新たに濡れる。同じ水でも、しっとりとしづかで艶っぽい春雨の雨の様子が見えてくる。



Sound and Vision











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蕪村の俳句(109)


■12月24日、火曜日、、阪神淡路大震災忌

(写真)路地

ハイゼンベルクの不確定性原理の欠陥が実証された、というニュースを昨日から読んでいる。ここから>>> ハイゼンベルクの不確定性原理の式に30年も異を唱え、今回実験で実証された「小澤の不等式」を修正式として提唱してきた小澤教授には敬意の念を抱きますね。小澤教授は数学者。



春雨にぬれつゝ屋根の毬哉     明和六年

■詩的な情景に惹かれる。明るくもけだるい春の雨と屋根に忘れられた毬の取合せは、詩の一行のよう。



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蕪村の俳句(108)


■旧暦12月22日、日曜日、、小正月、左義長

(写真)無題

正月は、現実逃避にコミックばかり読んでいた。とくに、諸星大二郎先生の西遊妖猿伝は面白く、一気に、三巻読む。写真に載せているのは、「西域篇」で、ここに至る物語「大唐篇」が10巻ある。この物語は、西遊記をベースにしているが、西遊記と言えば、玄奘に孫悟空、八戒、沙悟浄が西域を天竺まで冒険する物語だが、諸星西遊記は、唐を出発するまでの顛末が「大唐篇」で描かれている。とても面白そうだ。原典も読みたくなる。



子を寝かせ出行闇やはちたヽき   明和五年

■鉢叩き。ここから>>> 上・中の措辞の深さに惹かれる。「子を寝かせ」がとくに効いている。この鉢叩きは若い女性なのだろう。出てゆく闇はどんな闇なのだろうか。






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