verse, prose, and translation
Delfini Workshop
往還日誌(260)

■1月11日、土曜日、曇り、晴れ、曇り。
午前中、心身調整と片付け、掃除など。
午後、河津さんと西大路通の「ハーバーカフェ」で話す。
上七軒から北野天満宮を経由して平野神社を出てから、西大路通を、南下すべきか、北上すべきか、少し、迷った。
「ハーバーカフェ」は、平野神社との関係では、まったく記憶していなかった。
河津さんには、いま、考えている詩のシリーズにヒントになる面白い話をいくつか聞かせていただいた。
舞鶴と衣笠開キ町は、歩くべきエリアと確信した。
その後、千本北東角の床屋へ。
シニアは、1500円で顔そりつき。
さらに、堀川通まで歩いて、今出川の交差点を南下して、大垣書店へ雑誌を取りに。
Slow pageでほうじ茶ラテ。数学セミナー1月号を少し読む。
大垣書店の堀川新文化ビルヂングの南の中立売通を西へ、千本まで歩く。
途中、銭湯を発見。
Wattsとイズミヤで買い物。帰宅後、直ちに、夕食作り。
その後、NHKプラスで、100分de名著『心の傷を癒すということ』第一回を観る。
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往還日誌(259)

■1月9日、木曜日、晴れ。
京都は、7日の夜から、急激に冷え込み、京都らしい底冷えとなっている。
7日の夜には、千本丸太町で、初雪がちらついた。すぐに止んだが、最初は雨で、みぞれ、それから、初雪になった。
千本通りは、夜、買い物を兼ねて、速足のウォーキングをしていて気が付いたことがある。
それは、千本通りは南に向かってなだらかに傾斜しているのである。
速く歩くと、傾斜分だけ加速されるので、それがわかる。
逆に、北に向かって歩くと、上りになるので、速度が減速する。
7日に移ってきてから、きわめて忙しく、引っ越しは、その前よりも後の方が、生活を再編する必要があるため、忙しくなる。
この3日間、時間がないので、夕食は3日連続で、すきやの牛丼だった。
たんなる牛丼では、面白くないので、最初は、九条ねぎを牛丼の上に大量に載せて、真ん中に、寒卵の黄身だけを載せたセットを注文。
このとき、卵の黄身だけを残して、白身は下に落とせる器具を始めて知った。そういう器具が、一緒に出てくるのである。
この丼は美味だったが、一緒に注文したけんちん汁は、味噌が薄すぎた。
2番目に注文したのは、にんにく赤だれ白髪ねぎ牛丼だった。これは、牛の上に白髪ねぎを載せて、さらに、揚げたにんにくが、5、6個載っている。これに、コチュジャンベースの赤いたれがかけてある。
これは、美味しいのだが、コチュジャンが強いので、ほかの具材が生きてこない。
きょう、注文したのが、にんにく白髪ねぎ牛丼だった。
これは、たれだけが異なっており、旨塩だれにブラックペッパーを振りかけてある。これは行けた。具材も生きて、かなり美味だった。
ここは、完全に、街中で、パトカーや救急車のサイレンがよく聞こえてくる。
上階の騒音問題は、完全に解決した。
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往還日誌(258)

■1月7日、火曜日。朝、5時に起床。最後の箱詰め。9時には眠れたので、調子はいい。
7時に過ぎに、終了したので、御所へ散歩に。予備エクササイズと心身調整。
いったん、帰宅して、歩く瞑想。
9時に、人力引越社が来る。
搬出作業自体は、20分程度で終了。
中に、大きな有田焼の皿があって、梱包ができないで、そのままにしておいたものがあった。
どうしますか、と聞かれて、困っているんですと答えると、後で考えますと言ってくれた。
プロの道具の使い方は、さすがで、段ボールを裏返しにバラして、一枚の段ボールの板にしてから、その両端を内側へ少しだけ折り曲げて、それを3つ折りに重ね、3重のクッションとし、大皿を包み込んで、ガムテープで留めて運んでくれた。
予め、引っ越し会社から配送されたのは、段ボールを組み立てるために、函になるように折り目のついた段ボールと、割れ物を包み込むための、薄い大判の紙が相当数だけである。
私が発想したのは、大きな皿⇒割れ物⇒薄い大きな紙で包む⇒大きすぎて包めない⇒断念、という思考だった。
最終手段として、タクシーで移動するとき、一緒に持ち込むかという発想も掠めた。
が、人力引越社の彼は、違う。
箱を作るために設計された段ボールを、その既成の用途ではなく、大きな皿を割らずに運搬するという、「新しい目的」に沿って、そこにある段ボール箱を、「手段として再編成」したのである。
非常に鮮やかな「存在論的転回」といっていいものを見た。
これこそが、人間の労働行為の原初形態であろう。
さらに、はっとしたことがある。
それは、「協働」である。
一定庵DHは、3階にあり、エレベーターはない。
しかも、階段の幅は狭い。
人力引越社と同時に、きょうは、らくらくレンタルというレンタル屋さんにも来てもらっていた。
冷蔵庫や洗濯機、ベッドなどを、引っ越しと同時に、運び込んでもらうためである。
第一次一定庵のときには、冷蔵庫は、意図的に小型にした。キッチンが小さいからだ。
しかし、もともと、料理が好きなので、第二次一定庵である一定庵DHでは、冷蔵庫を若干大きいものにした。
ところが、この冷蔵庫が、狭い階段では難儀なのだ。
らくらくレンタルは、京阪神担当の方が、一人でいつも配送・回収をしている。
このとき、人力引越社の2人ペアのスタッフの1人が、別会社のらくらくレンタルに協力して、一緒に、冷蔵庫を三階まで運び込んでくれたのである。
これは、我々の感覚では、自然のなりゆきの話で、自分もその立場だったら、協力した可能性が高いとは思う。
しかし、現代資本主義社会の、あるいは現代キリスト教文明の、どの地域でも、同じことが起きるとは限らない。
たとえば、個人主義的な傾向の強い、米国やフランスで、こうしたことが「自然に」起きるだろうか。
私が言いたいのは、こうした労働における「協働」というのは、このケースのような、労働の諸条件によって、「もともとは」規定されていたはずだということなのである。
その意味で、このときも、労働の原初形態を垣間見た気分となった。
私としても、たいへん、気持ちよく引っ越し作業を終えることができた。
この間、寺町と千本を歩いて往復することも多かったが、なかなか、佳いパン屋さんを今出川通に見つけた。
Le Petit Mecという赤いパン屋さんで、朝8時から開いている。イートインのテーブルも6つある。
調べてみると、ここは、有名な店であるらしく、その店名を付けるときに苦心したいきさつや、お店での出会いを、ファウンダーの西山逸成さんが、noteで語っている。
なんと、2号店が、烏丸御池にもあるだけでなく、東京の新宿と渋谷にも進出している。
いずれにしても、千本に越して、まず、パン屋さんと和菓子屋さんを見つけるのがミッションだったので、早くも、その半分は達成できた。
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往還日誌(257)

■1月4日、土曜日。少し、北風が吹いている。
予備エクササイズ、歩く瞑想、10分。
佳い瞑想ができるように生活の諸条件を整えていく、という発想を最近は取っている。
午後、年賀の菓子折りを提げて、Kさんのところへ。
眼鏡を調整してもらう。最近の私の眩暈を話して、相談すると、やはり、典型的に、老眼が進んだことによるものという。
現在、一般に、老眼の眼鏡には、遠近両用、中近両用とあるが、私の仕事の仕方を細かく聞いたうえで、別途、専用の作業用の度数の弱いメガネがベターだという。
その方が、両用の眼鏡よりも、眼筋への負担が少ないと。
京都で、老眼の進行を検査して処方を受けた上で、Kさんのところで、メガネを作ることに。
午後から、ニコに専念。
きょうは、普段から、感じていた、詩・俳句と調査報道、社会学・社会哲学が、共通の輪で結ばれていることを確認できた。
それは、自然科学的知識とは対照的に、これらは、社会やそのアクターが実現する、意味や思想の生産者・探求者であるということである。
物理学者から、「それは文学ですか」という社会科学的知識や人文科学的知識に投げつけられる非難は、この意味で当たっているのだろう。
そして、経験的な決着がつかない真理は、「空中戦」になるだけだという、「知識の道具モデル」に依拠した人の言は、この意味で、的外れとも言える。
なぜなら、自然科学が前提にしている真理は、社会科学的知識や人文科学的知識のそれとは異質だからだ。
一つは、これらは、ローカルな知識(その生活の場で生産される知識)からの批判に開かれており、二つには、それを活用するとき、同一知識の再生産とはならないからだ。
つまり、こうした知識を用いるにあたり、これを変換し、再発行し、あるいはその他の方法で再設計する能動的なエージェントを、社会科学的知識や人文科学的知識は、前提にしている。
だから、自然科学畑の人から、「社会科学的知識や人文科学的知識は弱い」という感想も漏れてくる。
それは、そうなんだろうと思う。
ただ、そのときの「知識の弱さ強さ」というものも、考えてみる必要がある。
自然科学的知識のように、革命的に社会を変える外科手術というより、社会にあって、制度や社会システム、政策に組み込まれることで、地味な形で、社会を、実は、変えている、漢方薬のようなものかもしれない。
そんなことを、きょうは、翻訳していて、感じた。
ルカーチやヘーゲルを読んでいると、必ずしも、ニコには賛成できない面もあるのだけれども。
それは、「批判」という重要な契機が欠落するからである。
それはそれとして。
あすから、第25回往還として、京都へ。千本への引越となる。
どんな街なのか、どんな出会いがあるのか、楽しみにしている。
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往還日誌(256)

■1月3日、金曜日。曇り。
SAGAWAのピンポンで起きる。帰りかけたバンに声をかけて、荷物を引き取る。
朝、買い物して、雑煮を家族に作る。きのうから、かつを出汁を水出ししていた。
これまで、何度も出汁を作るのに、失敗してきたが、それは一年に一回しか作らないので、作り方を忘れてしまうからだが、今回は、元旦に、自分用にすでに作っていて、感触を思い出していた。
きょうは、元旦のときの出汁作りをさらに微調整したので、これまでで、たぶん、一番上手くいった。
今年、大阪の知人の詩人に会うつもりで、近況を調べていたら、2022年2月に急逝していたので、たいへん、驚いた。
まだ、若く、享年48。虚血性心疾患だという。2022年というタイミングといい、死因といい、コロナワクチンを疑わざるを得ない。
科学者が、「エビデンス」をもとに、社会に対して物を言い、社会の側が科学者に何か言うと、「非科学的」とレッテルを貼る。
科学は、かつて、宗教が国家構成原理だった、その宗教の位置を占めている。
科学が国家に統合され、その傾向の強さ弱さで、国家の先進性を判断する傾向さえ出てきたのが、コロナ・パンデミックだったように思える。
この科学の国家統合に自覚的な科学者は、科学コミュニティーでは、「異端」扱いとなる。
この問題は、70年代の半ばには、すでに顕在化しており、科学哲学者のポール・ファイヤアーベント(1924-1994)は、社会における科学的知識の優位性と、科学的知識が他の形態の知識を排除して広く尊重されていることを指摘し、「科学は今や、かつて戦わなければならなかったイデオロギーと同じくらい抑圧的になっている」と述べている。
ファイヤアーベントは、政教分離ならぬ、「政科分離」を主張し、知的に包括的な教育システムによって、社会を科学から守るように提言している。
ファイヤアーベントは、科学コミュニティー内部での、批判の応酬についての評価が低く、議論が極端に走る傾向があるが、それでも、今の時点で、再度、読み直してみると、多くの、学びがあるように感じる。
それはそれとして、先週土曜日に放映されたNHKスペシャル『量子もつれ アインシュタイン 最後の謎』を2度観た。
2018年に、はじめて、「量子もつれ」の実在が、アントン・ツァイリンガーの宇宙観測実験で確実に確定されたというのは、なかなか、刺激的だった。
量子論は、とても、興味深く、技術的な応用という点でも、今後、量子暗号や量子テレポーション、光量子コンピューターなど、革命を起こしていくのは間違いない。
量子論の歴史は、物理学の学問的原理が、真理の判定に、観測と実験を最終確認手段としている点が、明らかになる点でも興味深い。
その意味では、最先端の物理学と言っても、思想的には19世紀の「実証主義」の領域を出ることができず、実証主義は、ルカーチが、『若きヘーゲル』において、キリスト教との内的関連性から、明らかにしているように――我々の認識や意思から独立した「客観的な真理」、言いかえれば、疎遠なる存在(神)としての真理――そうした思想の類型として、実証主義は、我々の外部に真理があることによる「抑圧性」を払拭できない。
つまり、物理学は、その学問の原理自体に「抑圧性」を内在させている。
他方で、量子論の「量子もつれ」では、量子同士のシンクロが実在するのであるから、「我々の外部/内部の真理」という区分自体が意味をなさなくなるのではないかとも思っている。
あるいは、量子もつれも、それを応用した技術も、相変わらず、これまでの科学技術と同じように、我々の外部から、我々を抑圧する装置となるのだろうか。
いずれにしても、物理学の原理、実証主義と抑圧性(また、操作性とも強い関連があると思っている)、量子論といった問題領域は、重要なのは、間違いないだろう。
今年の夏は、公開講座恒例の京都合宿は中止して、丸2年もまったく手がついていないTB-LB Theory 2.0のテキスト化に取り組むことに。
難しい話なので、満足いくようにできるかどうか、わからないが、やらなければ、永久に失われる。
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往還日誌(255)

■1月2日、木曜日、晴れ。
朝5時から、つい先ほどまで、gooサービスへのDDoS攻撃で、このブログにアクセスできなかった。
このサイバー攻撃の主体は、主に、2つ可能性がある。1つは、「DDoS攻撃を代行するサービス」を経由した、個人的な攻撃(もしくは、サービスを経由しない個人的な攻撃)。
もう1つは、国家がバックにある国家支援型のDDoS攻撃。
この場合の「国家」で、もっとも可能性の高いのは、朝鮮民主主義人民共和国、中国、ロシア。
ただ、国家支援型の場合、目的がはっきりしている。
Netskopeの調査によれば、朝鮮の場合、軍事計画の資金源として金銭目的。
ロシアと中国は、公共システムや運輸、金融などの重要インフラや価値の高い標的の破壊工作に焦点を当てた戦略を採用している。
gooサービスへのDDoS攻撃は、これらの目的達成と、関係するとは、思えない。
システム障害は、情報ポータルサイト「goo」およびドコモの一部のサービスなのである。
なので、「DDoS攻撃を代行するサービス」を経由した、個人的な攻撃か、たんなる個人的な攻撃ではないかと思える。
いずれにしても、困ったことではあった。
きょうは、朝起きて、まず、ルーティーンの掃除。その後、深蒸茶を淹れて、ネギ・白菜を入れて、辛キムチラーメンを作り、最後に、ご飯と卵を入れて、雑炊にした。この食べ方は、かなり美味だった。
辛キムチラーメンは、初めて食べたが、やや辛いが美味であった。
食後、西口公園へ。
途中、いつも、2日は咲いてゐる団地の寒紅梅が、まだ咲いてゐない。
西口公園で、入念に心身調整を行う。
歩く瞑想を30分。
佳い瞑想はできたが、食事前の瞑想の方が、よりすっきりするように感じる。
その後、マインのサイゼリアへ。イタリアンハンバーグ、フォッカチオ、プリン+ティラミス。
サイゼはティラミスが美味い。
しばらく、『ダンマパダ』を読む。
いったん、帰宅。炊飯、風呂掃除、夕食準備。
家族が、夕方、帰ってきたので、駅まで、迎えに行く。
夜は、私が鮟鱇鍋と味噌汁を作った。
いろいろ、パースの話を聞く。
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往還日誌(255)

■2025年1月1日、水曜日、風のほとんどない、穏やかな晴れ。
7時前に起床。まず、洗濯。窓を開けていき、元日の空気を入れる。
深蒸茶を淹れてから、ちかくの若宮神社へ参拝。その足で、コンビニへ、『朝日新聞』、『東京新聞』、『毎日新聞』の3紙を買いに行く
いったん、家に戻ってから、寿広場へ行き、心身調整を入念に行う。
8時くらいだったが、だれもゐなかった。
基礎的なエクササイズと呼吸法の3類型を実施した後、歩く瞑想を30分行う。普段は、素足で家の中で行っているが、靴下に靴を履いていても、集中した、いい瞑想ができた。
その後、三つ葉やチーズを買いに、マインへ。
Bさんが、元旦から仕事をしているので、挨拶。
帰宅後、雑煮を作り、妻が用意してくれたおせちを食する。
食欲があり、もちは全部で9つも食べた。たぶん、新記録だろう。
10時半に、母へ電話。
俳句をいくつか作る。
その後、ニコの仕事に入る。
夜、NHKスペシャル『能登 正月の72時間』を観る。
言葉がない。
これほど、ぎりぎりの命のやり取りだったことに愕然とした。
地震や災害で、道路が寸断されて孤立する可能性のある地区は、全国で5万6000ヶ所。人数にして、1200万人。この数字にも驚く。
能登半島地震の場合、政府の姿がほとんど見えない。
能登半島地震の、その後は、長いと思う。家族を亡くした(助けられなかった)トラウマを生きる時間は、そうとうに、きついだろう。
夜も少し、仕事。
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往還日誌(254)

■12月31日、火曜日。
8時起床。心身調整、深蒸を淹れる、歩く瞑想を20分。句を作る。
あすから、朝の習慣として、詩も書いてゆく。
先日、大掃除をしていて、ロミーの鮮やかな赤と落ち着いた白と、透明なブルーからなる、美しいアブストラクションが出てきたので、これを第5詩集の装画にすることに決め、以前書いた、14行詩なども加える構想を練っている。
その後、京阪神の大型書店に置いてもらっている拙詩集の『二〇の物と五つの場の言葉』の売れ行きを電話で確認。
大阪の紀伊国屋梅田本店、神戸のジュンク堂三宮店は、ぼうず。
堀川文化ビルヂングの大垣書店は4冊入荷で3冊売れていた。
ほかは、メールで問い合わせている。
『二〇の物と五つの場の言葉』は、裏のテーマは、京都なので、つまり、京都に生活して初めて生まれた詩なので、そこに共感してくれたんだろうと思う。感謝である。
家族がいない初めての年越しとなり、きょうは、大掃除の仕上げを行い、年越しそばを作って食べた。
夜、仏教最古の経典『ダンマパダ』を読む。
必ずしも、すべてに共感しない。たとえば、第16章愛しきもの。
あすから、ようやくニコの仕事に入れる。
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往還日誌(253)

■12月29日、日曜日。晴れ、夕方から北風。
きのうは、家族を日暮里まで見送りに行って、その帰りに、新宿紀伊国屋に寄った。
ようやく、時間的な縛りなく、洋書を選べると思って、候補を8冊選び、そこから、2冊に絞った。
このプロセスに2時間もかかった。
そこまでは良かったが、睡眠時間が5、6時間だったため、また、眩暈に襲われ、帰りは、新宿サザンテラスのベンチでしばらく休んだ。
帰宅するため、湘南新宿ラインに乗車したが、眩暈は治まらず、電車に酔って吐き気までしてきて、困った。
体調が悪いと、意識のあり方が、受け身になる。言い換えると、被害者意識的になる。
他者の言葉や態度、行動の解釈コードに、そのような認知の歪みが出てくる。
こういう意識のあり方は、不健康であるばかりか、これが続くと、ある意味、危険なのである。
世界が、普段と違う別の表情を見せ始めるからだ。
普段は、家族が一緒なので、社会的な共通感覚が生産・維持され、認知の歪みは矯正されるが、きのうは、ひとりだったので、普段なら、ありえないような、ミスを連発し、いつもの最寄り乗降駅がまったく別の駅に見えたほどだった。
こういう意識のあり方は、精神の病のあり方と近い。
この意識が、何らかの原因で続くと、危険である。
健全な精神の維持に必要な、睡眠時間は、私の場合、現在、8時間から9時間だと、判断している。
老化によって、睡眠時間が減少し、その質が劣化する問題は、老人の精神衛生という面で、老人性の鬱や統合失調症的になりやすくなるなど、かなり深刻な要素を持っているのではないか。
このアポリアを今後、どう解決していくか。
その鍵は、適正な睡眠と適度な運動によるのだろう。
きょうは、午前中、心身調整。
朝食前に、「歩く瞑想」を行うと、タイミング的にベストであることを発見して、ここ数日、そのタイミングで行っている。
家族がいると、無言で家の中を歩くので、やりにくいのだが、幸い、年明けまでいない。
午後から、ジーンズなど、必要なものを買いに行く。
眼鏡の調整に、キムラさんのところへ行くが、すでに年末の休みに入っており、1月4日から営業開始となっている。
珈琲館のホットケーキは、さすがに、飽きたのだが、きょう、入ってみると、チョコレートソースをかけた新しいバージョンが、季節限定で出ていたので、食べてみた。ベリー類とバニラアイスが添えられて、いわゆる、パンケーキに近いものになっていた。
夜は、9時から大谷翔平選手へのインタビューと、10時から『笑わない数学』を観る。
両方ともたいへん、面白かった。
『笑わない数学』は、非常に分かりやすく微分積分を解説してくれた。
中でも、驚いたのが、エドモンド・バークレーの微積における前提である「無限少量」(最初は、ΔXをゼロと考えないが、計算の最後でΔXゼロと見なす、というかなり「実用的な概念」であり、これを認めると、1=2という事態も起きてしまい数学体系は破綻する)が、あいまいで学問的体系として一貫性に欠けるという批判だった。
この批判を受けて、19世紀後半に始めて、「極限」の概念が厳密に定義されて、学問としての一貫性が担保されたというのである。
驚いたことに、微分積分の基礎は、今も完成していないのではないかという、数学者もいるというのである。
微分積分は、普通は、18世紀のニュートンとライプニッツが発明したと教えられるが、19世紀初頭のオーギュスタン・ルイ・コーシー と19世紀後半のカール・ワイエルシュトラスを待って、はじめて、学問的に厳密に基礎づけられたと言える。
数学理論は、理論そのものだけでなく、数学史と数学基礎論のトリオロジーの中で、考えないと、よく見えない部分が多いように感じる。
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往還日誌(252)

■12月24日、火曜日、クリスマスイブ。
数日前に、これまでにないひどい眩暈で倒れた。
いろいろ、重なっての過労もあるとは思うが、最大の原因は、老眼になった目と近視用の眼鏡のピントのズレだと考えている。
近場の作業用の眼鏡を作ることで、解決するはずと思っている。
これは、新年の京都での最優先事項となった。
山中伸弥さんと谷川浩司さんの対談『還暦から始まる』を読んだ。
タイトルに惹かれて、なにか、今後の生活の参考になればと思ったのである。
とくに、真新しい発見はなかったのだが、日本人の平均寿命が、男性81歳、女性87歳で、健康寿命は、それから、マイナス10歳ということは、以前調べた、年齢別の社会力の結果と一致している。
ただ、この平均年齢というのは、ゼロ歳児が起点となっている。死亡率の高いゼロ歳児のデータも入れて、平均としているので、現在、60歳くらいであれば、平均余命は、男性で20年ではなく、25年から30年と考えた方が現実的だと山中氏は指摘している。
そうすると、還暦を起点とした、健康寿命は、75歳から80歳という線になる。
だいたい、あと、納得のいく仕事ができるのは、入念に心身調整を行って、10年と考えていることと、これは見事に一致する。
健康寿命の目標を75歳から80歳に設定しておくのが、今は、いいように思った。
レジリエンス(resilience)という回復力、復元力という概念は、社会のレジリエンスあるいは制度のレジリエンスという文脈で、社会学でも使われるが、心理学あるは生物学的にも、使われている。
山中氏が、面白いことを言っていたのは、このレジリエンスを鍛える力は、「感謝する力」に依存すると言っている点である。
意表を突かれるが、総合的に見た場合、感謝は、人間関係を、円滑にして、ストレスを低減し、コミュ力を維持することで知識の交換や、行動への情熱も維持することにもつながる。
これは理に適っている。
私の場合、京都で一人でいて、孤独だったせいもあり、感謝の対象は、人間だけではなく、日常に使用する物(道具など)や動植物にも拡大していた。もちろん、俳句を詠むことと、これは密接に関係する。
なので、自然から学ぶルートも確保できると思っている。
山中氏の情報で、睡眠薬で、脳を覚醒させるオレキシンという物質を抑える睡眠薬が、2015年に開発されたとあった。
京都で、上階がうるさかったり、遅くまで仕事をしていて、眼が冴えたときなど、リスミーを服用することがあるが、これは、その日の体調によって、同じ分量を服用しても、日中まで残ることがあり、逆に、仕事に差し障る経験を何度もしている。
なので、抗オレキシン睡眠薬の効果を試してみたいと思った。残念ながら市販されていない。
谷川さんも山中さんも、共通して指摘していたのは、年をとると、脳の瞬発力(たぶん、反射力やひらめきに近いものだろう)が低下するという現象である。
これは、私も経験している。
ただ、私は、これに対抗する方策を、今年見出した。
DHAやβラクトリンなど、サプリ、という手ももちろんあるだろうが、私が見出したのは、瞑想である。
瞑想の中でも、ヴィパッサナー瞑想である。
4月から始めて、これは、効果的だと実感している。
ただし、睡眠や運動、食事・断食といった全体の身心調整の中に位置づけないと、効果はない。
瞑想だけやればいいものではないと思っている。
逆に、地橋さんも言っているが、いい瞑想をする条件を整えることと、瞑想はセットであろう。
また、それが、欧米で流行っているビジネス目的のマインドフルネスでは、意味はないと思う。
それは単にテクニークであり、倫理学が欠けている、つまり、実践が欠けているからだ。
あるのは、金儲けの実践である。
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