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往還日誌(270)





■1月26日、日曜日、晴れ。

きょうは、朝から、ルソーの『社会契約論』を読む会。

無理して、準備すると、前回のように、眩暈で欠席するはめになるため、きょうは、無理はしなかった。

4月からルソーの『言語起源論』のテクストを読むことに。

たいへん、楽しみである。

昼食後、探梅しつつ、買い物へ。

やっと、団地の寒紅梅が咲き始めた。

レジのBさんと、梅がようやく咲いた話をして笑いあう。

夕方から、家族に、夕食を作る。

京都でも作る予定の根野菜、ごぼう、にんじん、大根の味噌汁などを実験的に作る。

根野菜の味噌汁は、野菜の煮込み時間がかかることが判明。

ニシンとアジを塩焼きにしたが、なぜか、ニシンが水っぽくて美味しくなかった。

夜は、少し休んでから、ニコの仕事を行う。



きのうは、『社会操作論』の原稿が意外に早くできたので、午後から、井の頭公園へ。

田中庸介さんの詩誌『妃』のみなさんの、朗読会へ。

かなり天気が良く、井の頭公園の池は、春の気配が濃厚だった。

ほかの詩人のみなさんの朗読を聴く機会は、めったになく、参考になった。

俳人の辻村麻乃さんとも、俳句のお話しをさせていただいた。

朗読会に参加して思ったのは、ともかく、詩誌『Es』を稼働させないと仕方がないな、ということだった。

どうやって、編集の時間を確保するか、だけが問題。

朗読会の帰り、新宿で途中下車して、紀伊国屋のズールカンプの棚にあるルーマンの本5冊すべてを買い占めた。

大枚をはたいたが、今後の思索を進めるための参考資料として有用と判断。

ただ、かつて、石塚先生が言っていたように、ルーマンは、「理性の統御を外れる存在」への理論的価値づけが低いようにも感じる。

それは、「感情」であり、「無意識」であり、「夢」であり、これらは、とりも直さず、文学的テーマとなる存在と言っていいように思う。



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往還日誌(269)







■1月24日、金曜日。晴れ、夜に雨。

久しぶりに新宿経由で六本木の事務所へ。

大江戸線は深いので、上り下りに、階段を利用。

そういう人は、子ども以外にはいなかった。

その子どもでさえ、ママに叱られていた。

六本木から地上へ上がると息が切れ、ほんのり、汗をかく。

日中は、暖かかった。

帰りは、さいたまでは雨だった。

きょうは、事務所で、メルケルの回顧録『自由』と、キッシンジャー最後の本『ジェネシス』の2冊を借りてきた。

帰りに、小腹がすいたので、恵比寿駅構内の「そばいち」で海苔蕎麦を食べた。

美味だが、ずいぶん、量が減っていて唖然とした。

温蕎麦でも、わさびがついてきて、試しに一緒に食べると、乙だった。




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往還日誌(268)

新宿南口







■1月23日、木曜日、晴れ。

南側の寒紅梅の蕾がかなり膨らんできた。

午前中、掃除、買い物、仕事。

睡眠不足でややきつい。

午後から、六本木の仕事。



社会操作論について、人類学専攻の友人から、グレゴリー・ベイトソンの「情報概念」、特に、「差異」と「閾」について、引用だけでなく、自分の言葉で説明してくれないとわかりにくい、という指摘をしてくれた。

もっともな指摘で、ありがいことである。

「情報」は、「情報操作」の要の概念なので、2月の公開講座までに、加筆すべき課題となった。

「情報」を「情報操作」との関りの中で、再定義する必要があるのだろう。

それは、情報が依存する文脈と関わる。

その文脈を改変・編集するだけでなく、元の文脈そのものを抹殺し、元の文脈とはまったく別の文脈に編み替えてしまう。

そのとき、「情報同一性」は破壊される。

しかし、同時に、「情報同一性の破壊」、言い換えれば、「情報非同一性」こそ、社会科学や人文科学、芸術などの創造性の源でもある。

結局のところ、当該の情報操作の「目的」あるいは「結果」が問題となる。

「一般意志」の実現を阻む――たとえば、党派性や排除、差別を形成することで、――ような(つまり、そのように、「機能」する)「情報同一性の破壊」こそが、問題なのだと思う。



京都は、ほうじ茶が有名だが、一口に、ほうじ茶と言っても、商う店によって、材料の葉と茎の比率や、炒り方の違いがあり、ほうじ茶の味わいはまったく異なってくる。

京大の東の竹村玉翠園は、もっとも、京都らしい深い味わいのほうじ茶を提供する店であるが、最近、やや、味が落ちた。

千本に移って遠くなったこともあり、一定庵DH近くの梅寿堂のほうじ茶を買ってみた。

かなりスッキリしている。

深い味わいはないが、爽やかで夏場に冷やして飲むといっそう引き立つようなほうじ茶となっている。

妻が、茶葉を多めに入れても、やはり、すっきりしていると言っているので、炒り方と材料の比率の問題なのだろう。

これは、もう、好みの問題となるだろう。





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往還日誌(267)


京都御所の一月の松林






■1月22日、水曜日、晴れ。

午前中、『社会操作論』連載第2回の原稿を書き終えて送る。

第1回と第2回において、それぞれエピグラフとして、J.J.ルソーの『社会契約論』から訳出して、掲示している。

この2つのエピグラフは、私の『社会操作論』の趣旨を端的に表しているので、ここに、転載しておきたい。

一般意志は、常に正しく、常に公益性をめざす。しかし、人民の熟慮は、常に同一の正しさを持つとは限らない。ひとは、常に福利を望むが、常にそれを見出すとは限らない。人民は決して腐敗することはない。しかし、騙されることはたびたびある。そして、人民が悪を望んでいるように見えるのは、このときだけである。

J.J.ルソー『社会契約論』

十分に情報に通じた人民が熟議する場合、市民たちが事前にしめしあわせることがまったくなければ、多数の小さな意見の相違から、常に一般意志が生じるだろう。そして、その決議は常に善いものとなるだろう。

J.J.ルソー『社会契約論』

午後から、六本木の仕事。

夜、『傷を癒すということ』の第3回を観る。




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往還日誌(266)


西口公園の朝10時の翳






■1月21日、火曜日。曇り。

朝起きると、眩暈。動くものを見ると気分が悪くなる。

午前中、六本木の仕事を休み、眠る。

午後、気分が持ち直したので、午後2時の会へ、「門 variation 3」を発表。

全部で9つのvariationsを書いたが、連作ということに凭れて、ひとつあたりのクオリティーが低くなっているような気がした。

その後、新年会。

夜、『社会操作論』の執筆を少し行う。


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往還日誌(265)







■1月20日、日曜日。曇り。

午前中、ヘーゲル『精神現象学』を読む会。

午後、衣類を買いにマインへ。

カフェで、文庫化されたヴィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』を再読。

この本の訳者の鬼界彰夫さんには、『ヴィトゲンシュタインはこう考えた』という実証主義的なテキストクリティークで、ずいぶん、ヴィトゲンシュタインの読み方を、教えられた。

夕方、家族に、料理を作る。

夜、『社会操作論』の連載第2回を執筆。

ドイツ系の学者のように、脚注が好きで、注だけで、2頁弱書く。

テキストを作るのは、楽しい。

きのうは、朝早く京都を立ち、午後から、浜離宮朝日ホールで、高橋望さんのピアノで、ゴルトベルクを聴く。

演奏中、ゴルトベルクの演奏に触発された3句を書く。

この3句を、あとで、高橋さんにメールで送る。

コンサートの終了後、次の公開講座まで、時間が少しあったので、新宿紀伊国屋南口店へ。

メルロ=ポンティの『Causeries 1948』など、数冊を購う。

その後、公開講座『ルカーチの存在論』32周年第10講「JAZZの歴史」。

東京は、京都と対照的な街で、とても面白い。



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往還日誌(264)







■1月17日、金曜日、曇りのち晴れ

先日、久しぶりに、西大路今出川を東に入ったところのケンタッキーに入った。

たんぱく質をチキンバーガーで補おうと考えたのである。

注文は、店員はいるが、すべて自動で、かなり速い。

かかっている音楽は、アメリカンである。

お客は、ほとんど、10代、20代であり、中に、ひとり、白髪の紳士がコートを着て席に座っている。

年齢は70代半ばか。この人がなぜか気になった。

見ると、珈琲一杯で、かなり粘っているようだった。

なにをしているのか、それとなく観察すると、ノートPCを開いて、画面を見るともなく見ている。

集中して作業しているのはなく、時折、流れてくるアメリカンな歌を口ずさんでいる。

ひとりの世界に入り、ご機嫌のようだった。

結婚指輪をきちんとつけて、昔ながらのコートをきちんと着て、スーツ姿である。

その日は、祝日だった。

だが、仕事の帰りという雰囲なのである。

詮索はやめて、話しかけてみれば良かったのだが、あいにく、引っ越し関連の作業をスマホでやっていて、余裕がなかった。

あとで、気になった理由を考えてみると、10年後の自分の姿のような気がしたのだろう、という結論に落ち着いた。

気になると言えば、隣人であるが、この建物は面白い設計で、隣室との間に広いスペースがある。

なので、ほとんど、顔を合わさない。その意味で、気楽なんだが、隣室に人がいるのかいないのか、照明で判断するしかない。

その照明も、はっきりしたものではない。

あるとき、彼あるいは彼女がドアから半身を見せたのだが、とっさのことで、男性か女性かわからない。髪は長めなんだが、男の子にも女の子にも見えた。

ひとつ、特徴があるのは、バイクに乗っているということで、バルコニーに愛車を置いている。

この子について、いろいろ、考えを巡らせているのだが、謎が多すぎる。

きょうはっきりしたのは、お母さんらしい人と一緒に住んでいるらしい、ということ。

これで、また、謎が一つ増えた。

謎は多いほど楽しい。

それはそれとして。

あすは、朝から若宮へ。

途中、東京で用を2件。




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往還日誌(263)







■1月14日、火曜日、晴れ。

きょうは、一覚もせず、連続で8時間以上眠った。

起床後、瞑想の条件を整えるため、まず、掃除など。

午前中、「金閣 variation 1」を書く。第一稿。

ゴミの置き場所がようやくわかった。

生ごみと資源ごみに分かれている。すぐ、目の前の電柱2本だった。

午後から、六本木の仕事。

季報『唯物論研究』が届く。

執筆依頼をいただいたので、3000字ではあるが、『社会操作論』の概要をまとめようと思っている。

この雑誌は、会員になると、12000字の論文を送ることができることがわかった。

ここで、社会哲学の三部作を形にできれば、と思っている。





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往還日誌(262)







■1月13日、月曜日、成人の日。曇り、晴れ、曇り。

きょうは、さほど寒くない一日だった。

ようやく、千本の生活も整ってきた。

朝、歩く瞑想20分。

かなり集中できており、生活が整ってきたことを示している。

その後、ニコの仕事に入る。

午後からは六本木の仕事。

妻に頼まれたほうじ茶を、「梅寿堂」へ買いに行くが、祝日で閉まっていた。

京銀のデビットカードを始めて使用。すき家、ワッツ、イズミヤ。

21時19分頃、南海トラフエリアの、日向灘で、震度5弱、マグニチュード6.9の地震が発生。

嫌な感じである。

しばらく、南海トラフエリアは、注意が必要だろう。

22時25分、100分de名著『心の傷を癒すということ』第2回を観る。




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往還日誌(261)






■1月12日、日曜日、曇り。

やや睡眠不足だったが、起きて、即、洗濯。洗濯機があるのは、非常に便利。

心身調整、そうじ、風呂のそうじ、歩く瞑想を20分。

上七軒のコインランドリーに乾燥だけ掛けに行く。

ここは、寺町と仕組みが異なっており、カードにチャージするシステムがない。その代わり、両替機を用いて千円札を両替するか、プリペイドカード3000円あるいは5000円を購入して乾燥機・洗濯機を使用する。

システムは、寺町の方が新しいのだろうけれど、価格は、上七軒の方が若干安い。記憶では、寺町の乾燥機は、100円で8分、上七軒は、スタンダードが100円で10分、ただし、大型乾燥機は、100円で8分。

帰宅後、朝食。

12時半より、金閣寺へ歩いて向かう。

今後、金閣寺は、繰り返し探訪する予定で、その第一回目となる。

金閣寺までは、徒歩で、30分くらいで、ちょうどいい、ウォーキングコースとなる。

上七軒、北野天満宮、平野神社を抜けて、西大路通を北上すると、左手に金閣寺となる。

きょうは、この時間帯、女子駅伝が、西大路通で行われており、交通規制と沿道には、応援の人たちが大勢いた。

金閣寺は、外国人に人気で、日本人より中国人や欧米系の人たち、インド人などが多い。

訪ねたのは、数十年ぶり。金閣に池があることも忘れていた。

金閣は、むしろ、池に浮いている。

金閣の入り口を入ると、すぐ右手が、写経場になっている。

ほとんど、人は見向きもしない。

金閣に参拝する前に、写経をしようと思い立ち、引き戸をがらがら開けて、その建物に入り、畳の部屋に通されて、3種類の写経から1つ選んで写経した。

その3種類とは、四弘誓願文(しくせいがんもん)、延命十句観音経(えんめいじっくかんのうんきょう)、般若心経である。

それぞれ、写経の所用時間が書かれていて、15分、30分、1時間となっている。

畳の部屋で、係りの尼さんと対面して、写経を選びながら、少し、話をした。

まず、私が述べたのは、四弘誓願文(しくせいがんもん)の願いの巨大さであり、これを写経するのは、正気とは思われない(そうは言わなかったが)ので、1時間も時間はないので、観音経にするということだった。

それぞれの経には、現代文で翻訳が書いてあり、それを見て、四弘誓願文が、凄まじいことに気が付いたのである。

次に、私が聞いたのは、観音とは何か? ということだった。

尼さんが答えて言うには、ブッダになる手前の人間的な面を残した存在が観音だという。

ブッダというのは、悟りを開いた人という意味の一般名詞なので、一人ではなく、何人も出ているが、我々がブッダというときには、ゴーダマ・ブッダ、いわゆる、お釈迦様一人を指している。

ブッダになる手前で人間的な感情を残し、その意味で、極めて人間的で人間のことを理解しながらも、ブッダに近い存在が観音と言える。

金閣寺の本尊は、この観音なのである。

宗派的には、臨済宗なので、栄西は観音経をもっぱら勉強したのかと問うと、それはわかりませんという答えだった。

延命十句観音経(えんめいじっくかんのうんきょう)というのは、その内容は、観音に取りすがって礼賛して一体化するというような御経で、実は私の考えには合わない。

神仏がゐてもゐなくても、やるべきことに変わりはない、というのが私の基本的なスタンスだからである。

それはそれとして、写経は般若心経でも良かったのだが、そして、この御経は、良寛の複製を一定庵DHに額装して置いてある。

この御経も、初めから完成されたものではなく、後代に、何人もの手によって、書き加えられた結果、統一性と首尾一貫性に欠けると言われている。

しかし、観音経よりも良かったかもしれない。

般若心経の写経は次回の楽しみとした。

金閣寺を参拝して、帰路につくと、出口付近で、金閣限定の清酒を販売していた。

ここしか、このお酒は売っていません、としきりにアナウンスしている。

よく知られているように、もともと、仏教徒が守るべき5戒の一つは禁酒である。

別に非難する気はない。買わなければいいだけのことである。

ほかの4つの戒は、殺さない、盗まない、嘘をつかない、不倫しないである。

この5戒は、今、世界や日本社会を見ると、実によく出来ていると思うがどうだろうか。

金閣は、一大ビジネスエリアとなっており、長い帰路は、お守り、御札、キーホルダー、わらび餅、飲み物、御朱印など、さまざまなものが、売られている。

それぞれ、高額というわけではなく、高度消費社会・高度情報化社会における、寺院の維持経営には、必要なのだろうと推測される。

帰宅後、かなり疲労。

少し休んで、ニコの仕事を行う。かなり面白いところへ来ている。





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