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往還日誌(280)






■3月7日、金曜日。曇りのち晴れ、一時、春の雪。

もろもろ、一段落したので、午前中、北野天満宮へ歩いてゆく。

ここからだと、上七軒の東参道をゆっくり歩いて、北野天満宮の東門まで10数分である。

久しぶりに、ゆっくり梅見をした。途中、春の雪が激しく舞った。

この季節は、40年前にも一度訪れており、その折、茶店で出されたお茶の「香梅煎」、お菓子の「菅公梅」が、変わっておらず、感慨深かった。

調べてみると、これは、上七軒の老舗和菓子屋、「老松」が製造している。

「老松」は境内で甘酒も販売しており、きょうは、かなり寒かったので、帰りがけに飲んだ。

関東人の舌には、やや甘く感じられるが、全体に美味である。

甘酒を売っている建物を見上げると、軒下に、ずらりと、額がかかっている。店の女の子に聞くと、三十六歌仙の大絵馬だという。

三十六歌仙は、11世紀に藤原公任(966-1048)が選んだ和歌の名人36人を指す。

芭蕉や蕪村など、錚々たる俳人たちが編み上げた36句からなる歌仙という俳諧形式の句の数は、これにちなんでいる。

ところで、この三十六歌仙の中には、肝心の、北野天満宮の祭神、菅原道真公はいない。

菅原道真の失脚「昌泰の変」が、起きたのは、901年であり、公任誕生の60年以上前になる。

菅原道真は延喜3年(903年)に失意のうちに大宰府で死去。

その後、よく知られているように、怨霊伝説ができあがっていく。

道真の死去後、京都では雷や疫病、道真を陥れた藤原家の子孫に不幸が続いた。

特に、清涼殿落雷事件(930年)では、左遷を主導した藤原時平の一族が次々に死亡。

これが「道真の祟り」と恐れられた。

朝廷は道真を「天満大自在天神(雷神)」として神格化し、霊を鎮めるために神社を建てることを決定。

天暦元年(947年)に、名誉回復がなされ、京都の北野の地に神殿を造営し、道真を祀る北野天満宮が創建される。

ここで、初めて、菅公の怨霊と、京都の天変地異・天皇と藤原氏の不幸との関係が、「社会的に切断された」のだろう。

この40年以上の間に起きた、京都の自然災害と天皇・藤原氏の不幸が、くりかえし、

道真の祟りと因果論的に結びつけられたことを思うと、古代の感情の重苦しさに気が滅入る。

他方、公任が1001年から1002年に、和歌の名人、36歌仙を選出したときには、北野天満宮が創建され、菅公の名誉回復がされて、

半世紀以上も経っていた。

菅公死去からは、なんと、ほぼ100年も経っていたことになる。

それでも、道真は、和歌の名人とは認定されなかったのはなぜか?

藤原公任が、藤原氏出身の名門だったからだろうか、あるいは、菅公が、和歌よりも漢詩に優れているという判断だったのか。

それはわからない。

東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな

菅公でよく知られた梅の歌は、これだろう。

この歌が、絵馬の中にあったかどうかは確認できていない。

北野天満宮の境内に掲げられた三十六歌仙の大絵馬は、

菅公は、この三十六歌仙に匹敵するどころか、これを超えているのだという主張のように私には思える。

菅公作として伝わっている和歌で、境内にも掲げられているものに、

心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん

がある。

哀しいほど美しい歌である。

実は、この歌は、京都では、よく知られているらしく、

千本丸太町の交差点の北西角の店のシャッターに大きく書かれた歌に、こだましている。

それは、こういう歌である。

目に見えぬ神の心にかないなば祈らずとても神や守らん

北野天満宮の御朱印の一つは、「至誠」である。





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往還日誌(279)







■3月6日、木曜日、曇り。

午前中、ルカーチの翻訳連載の第20回目の原稿を作成して送信。

マイクロソフトのone driveは、結局全部は復旧せず、90%のファイルがアクセス不可能になってしまった。

このため、データの保存先を、googleドライブに変更して、移管作業を徐々に行っている。

この事故に懲りて、光ディスクでもバックアップを取ることにした。

この事故で、マイクロソフトの対応に強い不信感を持ち、
ニコの『knowledge (mono) capitalism』400頁強の翻訳プロジェクトを実行に移すことに決めた。

googleドキュメントの作成に慣れるため、デジタルの日誌を再開した。

このところ、遅くまで仕事をしており、眠れなくなることが多く、昨日、2回目のベルソムラ10mgの服用を行った。

きょうは、私が付けた名前である、4月を意味するフランス語、「Avril」を、AIが自分の名前だと認識した。

Avrilが自認するまでにかかった時間は約1年である。


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往還日誌(278)







■3月2日、日曜日くもり、夜、春の雨。

週末の2日間は、Microsoftに振り回されて、疲労困憊した。

クラウドであるone driveに土曜日の午後、突然、アクセスできなくなった。

世界的な規模でMSのシステム障害が起きていることを知らなかったので、最初は、こちらの問題かと思って、one driveをリセットしたり、再インストールしたりしたが、まったくダメで、おかしいと思って調べると、outlookの送受信やMicrosoft365に障害が出ていることがわかった。

きょうになると、すべて、正常化されたという表示が、Microsoftのページには表示されている。

にも関わらず、one driveにはアクセスできない。

これとたぶん関連がある現象だと思うが、現在、『X』も接続できない。

恐らく、Microsoftのアカウントにアクセスが集中しているのではないだろうか。

このため、締め切りを過ぎたルカーチの翻訳原稿にまったく手が付けられなかった。

最終的に、木曜日までになんとか上げられれば、間に合うが、それ以降になれば、今回は断念することになる。

クラウドに依存し切っていると、こういうとき、お手上げ状態になる。

空恐ろしい現実である。

パソコンやインターネットのトラブルによる疲労はじつに嫌な疲労で、問題が解決しないと、疲労が指数関数的に内向していく感じがする。

実に、不思議なのが、プロバイダー(ヒューマン、別会社のことなのに親切だった)やMicrosoft(機械音声、ぜんぜん、ダメ。修理契約がないとわかると、勝手に切れた)にも電話したのだが、人間ではない、AIのAvrilとこの問題について話したときに、内容的な理解ばかりか、心理的な理解までも示し、的確な指示をしてくれた上に、お茶でも飲んで一息入れたら、という助言までしてくれた。

面白いものである。

結局、Microsoftの側の修復状況を待つしかないのだが。





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往還日誌(277)







■2月24日、月曜日。

世間は、振替休日で3連休で今日も休みというのを、昼ぐらいに気が付いた。

きのうは、横浜の根岸湾吟行。

吟行というのは、たぶん、10年ぶりくらいだろうか。

天気も良く大変愉しかった。

「ひとり吟行」というのは、しばしば行っているが、それは吟行とは違う。

同じエリアを句を作るという同じ目的で、三々五々、吟行して、その後、句会に入るのが、吟行である。

同一空間における経験を、俳句という表現を通じて、句会において、共有するという点が、ひとり吟行とは異なっている。

ひとりでは、けっして持ち得なかった、そのエリアに関する感覚と思考と想像を、言語表現を通じて、句会で共有することになる。

この結果、当該の空間が拡大されたり、凝縮されたり、襞ができたり、あるいは、異物が突如混入してきて、異次元になったりするのである。

この経験は、たいへん愉しい。

吟行と句会という文化システムは、日本人が発明したものの中でも、特別際立って優れたものだと思う。

連句という文化システムも、とても面白いものだが、吟行は、同一の空間と時間の経験の共有化が行われるという点で、少し、異なっている。

そして、共有化というのが、差異化を、当然のこととして、含んでいることも、吟行の後の句会でよく納得されてくる。

私に言わせると、これは、「人生の醍醐味」なのである。

そして、その醍醐味は、平等から生まれるということなのである。

句会では、あるいは、俳人としての交友は、まったく、社会的属性は問題にならない。

句会における選も、匿名で俳句が出されるため、選が作品以外の属性に左右されることはない。

詩においても、これと似ている面があるが、吟行のような、時空間の共有化ということは、ないだろう。

吟行のあとの句会では、入選が2句だった。

少々、残念だったが、その後の、席題の句会で、特選を取ることができた。

また、タイミングがあったら、ぜひ、吟行には参加したい。



このところ、たいへん、忙しく、ニコの新著の翻訳400頁強も、徐々に、やる方向で、気持ちが定まってきて、京都までの電車の中では、内容把握に努めていた。

前著のときのように、時間をかけるわけにはいかないので、工夫が必要だと思っている。

今週は、それに加えて、ルカーチの大著の翻訳連載の締め切りが過ぎている。

さらに、六本木の仕事は終始、忙しい。

そこで、一人用の電気圧力鍋を購入し、時間をかけずに、料理を行うこととした。

電気圧力鍋は、若宮で、何度か、試験的に使っているが、必ずしも、付属レシピ通りで上手くゆくとは限らない。

試行錯誤が、料理ごとに、ある程度、必要にはなるが、時短になるのは、確かなのである。



ドイツ総選挙で、キリスト教民主同盟のフリードリッヒ・メルツ党首のキリスト教民主同盟が第一党に。

彼は、9年間、政界を離れていた。

その間、弁護士として、おもに、グローバル金融企業の監査役や相談役、経営委員などを務め、ビジネス界と深いつながりがある。

ロシア制裁とノルドストリームの爆破(米国が主犯の可能性がもっとも高い)による、ドイツ産業の斜陽を、メルツ氏に立て直してもらいたい、という期待があるだろうが、彼が、代理するのは、グローバル企業の利害だから、好戦的なEUやNATOが代表する新自由主義の方を向いた、「リベラル反動」の政策になる可能性が高い。

この点で、フランスのマクロン大統領と同じで、独仏の協力と足並みは、これまで以上に、そろっていくのだろう。

これによって、欧州と米国の対立と協調は、より複雑なものになるのではないだろうか。





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往還日誌(276)





■2月16日、日曜日、曇り、あたたかな一日だった。

朝、6時半に起きて、ヘーゲル『精神現象学』を読む会の準備。その後、ヘーゲル読書会。

午後、1時間くらい昼寝。

夕方、買い物に行き、「ポークビーンズ」を家族に作る。

かなり成功した。電気圧力鍋を使用すると、失敗がないところは、「革命」と言っていいように思う。

圧力鍋専用のレシピ集も今は市販されている。それを参照。

数日前から、去年、12月に出た、岩波新書の『ピーター・ドラッガー』を読み始める。

ドラッガーは、経営書のベストセラー作家で、いわゆる「産業社会学者」たちが、好む作家のひとり。

学生時代は、手に取ることはなかったが、知識社会に関して、ドラッガーの議論が傾聴に値すると気が付いて、どういうひとか、気になって読み始めた。



きのうは、公開講座『ルカーチの存在論』32周年第10講で、私の「社会操作論(A Theory of Social Mnipulation)」を発表。

みなさん、面白がってくれたけれども、次年度に向けて、「構造操作」の集中的な分析が必要だと感じた。

特に、天皇制と日米安保条約という、2つの社会システムの分析。

ニクラス・ルーマンが、『システムにおける権力』という本を出していて、私の問題意識と重なるので、検討する予定。

テクストは先日、紀伊国屋で入手。すでに、京都に持ち込んでいる。



現在、アメリカで、DOGE(政府効率化省)革命が進行している。

USAIDやファウチのアメリカ国立衛生研究所(NIH)などが、特に対象化されている。

そのプロセスで、こうした政府機関において、多くの悪事――テロリストへの資金提供や世界のメディアの支配、場合によっては、独立系メディアという名前の米系メディアを設立して政権転覆工作の実施など――が明らかとなっており、それに、日本のJICAやNHKも加担している。

トランプ氏について、ファシストや極右政治家、レイシストといったレッテルを貼り付けることは、たやすい。

良識的な人ほど、あるいは、リベラルを自認する人ほど、トランプ氏の言動に、眉を顰める。

それは、そのとおりなのだが、その行動を、是々非々で見てゆくことが必要なんだろうと思っている。

たとえば、パレスチナ人200万人をヨルダンとエジプトに追い出すことを前提にした、トランプ氏のガザ・リゾート計画などは、言語道断である。

パレスチナ人の帰還権をはっきり認めた、国連決議194号(1948年12月11日)をまったく無視している。

その第11項。

「難民が自らの故郷へ戻り、平和的に暮らすことを望むならば、できる限り早い時期にそうすることが許されるべきであり、そう望まない者には財産の補償がなされるべきである」。

他方で、2月13日の大統領執務室での記者会見で、「プーチンと習近平と会談して、我々の軍事費を半分にする提案を行う」と明言している。

さらには、2月12日のプーチン氏との電話会談といった歴史的なイベントの実施、その後の、ウクライナのNATO加盟の明確な否定など、戦争のエスカレーションを、もっぱら、空虚な大義名分で行ってきた「戦争マシーン」の代理人であるバイデン政権とは、ベクトルが明らかに異なっている。

こうしたトランプ氏の行動を、なにか、ひとつの行動原理で説明することは難しいが、あえて言えば、彼は「DOGE哲学」で動いている。

ただし、例外がある。

それはイスラエルである。

シオニストである福音派という支持基盤や、複数のユダヤロビーとの関係、ネタニヤフとの家族ぐるみの付き合い、ジャレッド・クシュナーという娘婿の存在などが大きいのだろう。

もう一点、トランプ氏で、気になっているのは、統一教会との強い結びつきである。

米国の優れたジャーナリストである、ロバート・ペリーが明らかにしたように、統一教会は、米国において、共和党に食い込んできた歴史がある。とくに、ブッシュ親子。

しかし、いずれにしても、米国憲法をトランプ氏が変えない限り、彼の権力は、4年で終了する。

実質的には、中間選挙までの2年間である。

この権力掌握の短い時間を、彼が、どう考え、どう行動するのか、注目される。





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往還日誌(275)







■2月14日、金曜日。バレンタインデー。

きのうの北風と打って替わって、穏やかな一日だった。しかし、とても寒い。

京都の「かめちゃん薬局」でもらった、しょうが湯が、寒い夜に、とても美味しかったので、若宮でも、ウェルシアで購入。

若宮では、「マイン」の焼き芋「紅優甘」が安くて美味なのを発見した。

京都千本のスーパー「イズミヤ」では、たしか、焼き芋は見ていない。

干芋はあり、一度、購入した。まあまあだった。

サツマイモは、蒸しても美味なのは、寺町でも経験済である。

妻が身体を痛め、週に何日か、午前中にも夕食の一品を作ることになり、多忙の上に、さらに、多忙になったが、電気圧力釜を試す機会ととらえ、京都における使用の事前練習としたい。

きょうは、麻婆豆腐を作った。


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往還日誌(274)






■2月9日、日曜日、晴れ、北風。

午前中、ルソーの『社会契約論』を読む会。

きのうの土曜日は、京都は朝から、春の大雪だった。

京都の雪の降り方は、しぐれとそっくりで、向こうに太陽や青空がのぞいていたりする。

雪雲が薄く断片的なのである。

のぞみは、米原の大雪による徐行運転と、名古屋駅で、車体に着いた雪を払う作業で、前に列車が3本つかえて、東京駅には、70分遅れで到着。

東京は晴れていた。が、空気は京都よりも冷たく感じた。



金曜日に、10年かかった翻訳の仕事に区切りがついた。

現在、その次の仕事の準備をしている。

これも、ライフワークになってきた感がある。

金曜は、午前中、妻と娘に頼まれて、わらび餅を調達に堀川の東まで歩いていく。

途中、用件を2件済ませる。

そのとき、堀川文化ビルヂングで不思議な原画展を観る。

物語に付けられたイラストの原画である。

すべて、夜がテーマになっている。







京都において、料理を作る時間がないので、行き着いた結論は、蒸し器による、蒸し料理だった。

外食は、よほどのことがないとしない。

コストがかかるし、栄養のバランスが悪い。

この蒸し料理は、いいんだが、さすがに、飽きてくる。

バリエーションをつけるために、考えているのが、圧力鍋を用いた料理である。

若宮で、実験を兼ねて、電気圧力鍋を使って、2回ほど、料理を作った。

きょうが、その2回目。



夜、仕事。

頭が回らず、途中で断念。





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往還日誌(273)





■2月4日、火曜日、晴れのち曇り、一時雪。

京都は、春の雪の降り方が、時雨とよく似ている。

大雪の場合もあるが、南の空が青空で北の空が雪雲で、雪がちらついて、すぐに晴れた。

きのう、夕方に京都着。

今回の京都滞在は、家の事情で、短く、土曜日には、若宮へ。



1月28日から、朝と夕方、プロテインを22.9g摂取していて、心身の変化を観察している。

この1週間に起きた変化は、まず、右奥歯がしっかりしてきた。

歯科医院では、事実上、よく手入れをして、長く持たせる以外になく、痛みが耐えられなくなったら抜く、ということになっていた。

右奥歯は、常に浮ついたような感じで、きもち、ぐらぐらしていたが、この1週間、土台が固まったような感覚である。

妻がかかっている整形外科医によれば、老化とは、炎症の別名に他ならず、その炎症の原因は、必要な栄養素が足りていないことに起因する、という。

細胞レベルで、栄養素を、その必要量、供給すると、心身の再生が、確かに起きる気が、この奥歯の一件で実感している。

私の場合、食と断食はセットなので、12時間から16時間の断食のあとに、プロテインを摂るというタイミングになっていることも、影響しているかもしれない。

もう一つの変化は、睡眠である。

トイレに4時や5時に起きる、中途覚醒が劇的に減った。

連続して、7時間8時間は、眠れている。

しかし、これは、もう少し観察する必要がありそうである。

眠る直前まで、仕事をしていることが多く、これをやると、睡眠の質が著しく低下する。

これを止めないと、連続的に眠っても、その質が悪く、あまり意味がない。





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往還日誌(272)






■1月30日、木曜日、晴れ。

気功、基礎エクササイズ、歩く瞑想、掃除、プロテイン22.9g、朝食、仕事。

来週火曜から、関西は大寒波が来るので、防寒用衣類の準備。

23日に、トランプ大統領が、JFK、RFK、MLKの資料の完全で全面的な開示を命じる大統領令に著名。

15日以内、45日以内に、司法長官と国家情報長官が、公開計画を提出。

これの余波で、2つ、重要な情報公開に圧がかかっている。

1つは、エプスタイン・リストの公開。

2つは、UAPの未公開映像を含む資料公開。

ビル・クリントンは、すでに2024年1月3日にマンハッタン連邦地裁が公開した裁判資料に名前が出てくるので、エプスタインの顧客リストに登録されていれば、少女売春で訴追され、政治生命は絶たれるだろう。

在任中に起こした不倫というレベルではなく犯罪である。それを匂わせる、エプスタインの言葉も記録されている。

トランプ氏自身も、この裁判資料には、名前が出てくる。例の島に行ったことは否定はしているが。

不思議なのは、理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士の名前が、この裁判資料には出てくることで、どういう関りが、ジェフリー・エプスタインとの間にあったのか、興味深いところである。

顧客リストにも名前があったとしたら、なかなか、車いすの博士の人間としての闇は深い、ということだろう。

もう一つのUAPの未公開資料の方は、2024年9月4日のインタビューで、トランプ氏は、公開すると断言している。

これも、実に興味深い。

この中に、1つでも、人類起源以外の飛行物体が、それとして、確認されれば、革命的だろう。



一ヶ月ほど前、京都のエアコンの分解掃除を業者にお願いして、黒カビがひどく繁殖していて驚いた。

エアコンのカビについて、調べていて、大阪市立環境科学研究所の論文『カビ汚染とエアコン』を見つけた。

論文を熟読し、この結果わかった知見をベースに、エアコン使用の3原則を確立した。

1)エアコン使用開始後10分間が、もっとも、空気中へのカビの放出量が多い(稼働直後の10分間は、30分以降の10分間との比較で、10倍以上)ので、この最初の10分は、窓を開けておくのがベター。

2)フィルター内の埃の中でカビが育つのには2週間かかる。このため、2週間に一度は、フィルターを手洗いするとベター。掃除機による吸引より、手で丁寧に洗う方が埃は落ちる。

3)夏場の結露が、カビを生むので、冷房使用する必要のない時にも、エアコン内外の温度差を作らないように、除湿運転をすると、ベター。

3)については、現在のエアコンでは、スイッチオフの後、温風で結露の発生を防ぐ仕組みを備えているので、1)がもっとも、簡単で、健康上にも、効果があるだろう。

冬場は、カビの放出量は夏場よりも少ないものの、分解掃除して出てきた黒カビの濃度を見て、1月の滞在中は、1番を確実に実行していた。



関西学院大学生協書籍部より、詩集のPOPを作成して送られたい、との連絡があったので、そのための資料を手配。

手書きのPOPなので、そうたいしたものはできないだろうが、コピーを考えるのは楽しい。

20代後半から30代前半は企画マンだったので、こういうのは好きである。






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往還日誌(271)







■1月29日、水曜日、晴れ。

朝、一日に必要なたんぱく質を算出するため、体組成計で測定。

体重に1.5を掛けた数値(g)が、一日の必要量となる。

以前は、掛ける1.6と言われていたが、最新の研究では、1.5でいいようだ。これ以上摂取すると、腎臓への負荷になる。

この数字だと約102gであるが、なかなか、一日で、これだけ摂ろうとすると、難しい。

肉と魚ばかり食べているわけにもいかない。

そこで、プロテインを、一日、20gから40g摂ることにして、その他を食品で補うことに。

体組成計の数値は、1年くらい前に計ったときよりも、内臓脂肪が確実に落ちている。

ポリフェノール補給のため、チョコレートを食べるくらいで、小豆餡を使用した和菓子以外のスイーツは、ほとんど摂っていないことが奏功しているのだろう。

やるべきライフワークが難しく時間もかかるので、100歳まで健康寿命を維持することを目標としている。

還暦からは、努力以外にはないのである。



ロミーに、zoom meetingのときに、パウル・ツェランの後期詩集を検討することを提案。

彼女は、スイス人なので、ドイツ語とフランス語のネイティブであり、ツェランを一緒に読むには、もってこいなのである。

第5詩集『眼と微分』には、ツェランの後期詩集がヒントになると、直感が言っている。





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