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往還日誌(231)







■11月2日、土曜日、雨、写真は湖西線、午後4時。

きのう、数十円の違いで管理費が落ちなかったので、郵便局から振り込み。

ATMに寄って、豆大福を買うため、栄屋菓子舗へ。なんと、10月下旬から、新装開店した新店舗で営業していた。

若いお客さんも入っていた。奥さんと立ち話。おばあちゃんも、店に出てきていた。

中で菓子を作っている若い旦那さんも出てきてレジ打ちをしていた。

奥さんに、インスタで商品を発信するように言う。京都のふたばよりも、私は、ここの豆大福が旨いと思っている。

奥さん曰はく、お客さんは、ぜんぜん、SNSやらないお年寄りばかり。

私曰く、インスタで新規顧客の開拓になる。現に、今、若い夫婦が子連れで来たと。

帰宅後、句をいくつか。

年金請求書類や団体口座の確認書類の作成、カードの更新など。

夜、久しぶりに、母へ、家族で電話。

その後、門のシリーズ1から9まで打ち出しして推敲。


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一日一句(5415)







酒焼けの釣り人とゐて秋惜しむ






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往還日誌(230)







■11月1日、金曜日、晴れのち曇り、雨。

若宮へ戻っての一週間はあっという間に過ぎた。

珈琲を完全に断って、3週間になった。絶ってみると、たいして飲みたくなくなっている。

3週間前に、朝食のときに飲んだ珈琲が原因と思われる、激しい胃の痛みに瞑想中に襲われて、一気に止めることにした。

その後、胃の痛みはない。

酒も完全に断って、10年になる。

こちらは、放射能の関係で家族と別居していて、一人でいると、飲みだしたら、止まらなくなってきたので、一気に止めた。

では、何を飲むか。

もっぱら、深蒸茶である。今のところ、これが一番いい。

京都にいるときには、宇治茶も愛飲する。

水が良ければ、白湯も美味しい。

若宮へ戻って、妻に、琵琶湖のことを話しているときに、私も面白いと思い、妻も面白がったのが、白髭神社のおみくじの文句である。

関東で、たとえば、大宮の氷川神社でおみくじを引くと、たいては、このみくじを引いたものは、〇〇神社(氷川神社内の神社名)を信心せよ、というようなことが書いてある。

白髭神社は、違うのである。

次のような生き方を指定してくる。

曰く「快活に陽気に進取的に生きることが、神様ご先祖様の思し召しである」。

これには、驚いた。

そして、深く納得したのである。ここは、近江商人の本拠地だったと。

近江商人こそ、進取の気性に富んだ快活な集団だった。

近江からは、冒険家もたくさん出ている。





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一日一句(5414)







赤だしに秋深きもの沈みをり






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一日一句(5413)







じやがいもの乾いた土のしづけさよ






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一日一句(5412)







安曇川や天の刹那に蜻蛉あり






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往還日誌(229)






■10月29日、火曜日、曇りのち雨。

日曜日は、午前中、ニコの仕事を行って、午後、ウトロの平和祈念館で、ジャーナリストの中村一成さんの『今日に抗う 過ぎ去らぬ人々』(三一書房)出版記念講演会へ参加。

民族差別の問題は、世界の植民地主義-体制の問題と、直結している。

中村さんは、日本に於いて、連帯を含む個人のレベルでの、多様な抵抗のあり方を、その個人の生き方として、提示している。

我々の目に見えない、あるいは、見過ごされてしまう抵抗のあり方と、その社会的な成果を、伝えてくれる。その意味で、たいへん勉強になる。ここには、その意義を過小評価、あるいは、ネグレクトする社会操作が絶えず入るからだ。

我々が、社会批判を行う場合、多くの場合、社会システムの巧妙な悪を抉ることのみに専念しがちだが、それでだけは、足りないことを教えてくれる。

つまり、たくましく、したたかに、戦っている、そして、戦ってきた主体を、絶えずフォーカスし、自らのアンチ植民地主義-体制の主体形成に活かしてゆく、その契機にするという視点が欠けてしまうからだ。

同時に、国家レベルでは、帝国主義、植民地主義-体制に、アンチを唱えている国家連合のBRICSと、リンクさせて考える必要があるとも感じている。BRICS内部には、インドのように、レイシスト国家も、あるにしても。

朝鮮の人々の戦い方に謙虚に学ぶことは、理論的にも実践的にも、大きな恵みをもたらしてくれるだろうと予感している。

私の第4詩集『二〇の物と五つの場の言葉』も、ウトロ平和祈念館のライブラリーに置いていただいた。

日曜日は、その後、新幹線で、若宮へ帰還。

月曜は、終日、仕事。

火曜のきょうは、清水さんの夢を見た。清水さんに道案内をしてもらう夢。途中ではぐれてふたたび追いつくが、坂の上のガードレールで、見ず知らずの男性と話していて、ふたたび、見失う。その後、清水さんとは会えなかった。

場所は、京都のようでもあり、滋賀のようでもあり、吉祥寺のようでもあった。

その後、門 variation 8と9をほぼ完成させる。

書き下した順番がベストとは限らないので、しばらく寝かせて、詩の順番を考える作業に入る。

これによって、新しいシリーズに入れる条件は整った。

11月は、TB-LB theory 2.0を、矢倉さんのところで発表する予定だったが、準備の時間が作れず、発表は断念した。その代わり、テクスト化して、発表することになった。一回で、全部、一気に書き下すのではなく、連載のような形式で、深めていくのがベターかもしれない。






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一日一句(5411)







秋聲に色艶出でて来たりけり






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一日一句(5410)







変化また変化や昼の月ひとつ






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一日一句(5409)







晴明の行く手を舞ふや秋の蝶






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