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医療費のコスト~命の値段を付けられるか?(ちょっと追加)

2007年07月16日 00時37分28秒 | 社会保障問題
医療費の問題について、とてもよく判る記事がありましたので、書いておきたいと思います。

原田氏は、高齢化要因ということで医療費が増大するわけでもない、ということを述べておられる。GDP成長率よりも低い程度でしか増大しない、という推計を出しておられた(是非元の記事をお読み下さい)。

BizPlus:コラム:原田 泰氏「経済学で考える」第61回「『高齢化で医療費増』は本当か」

(一部引用)

医療費の増加が医療の進歩によるのであれば、国民の負担は増えていない。それで難病が治り、健康寿命が延びるのなら、実質的に国民は豊かになっているのだから負担にはなっていない。大きなテレビが買えるようになったから、負担が増えたと考える人はいないだろう。白内障が治ったら、それは生活水準が格段に向上しているのであって、負担が増えている訳ではない。これを企業の立場から見れば、売り上げの増大は高齢化によってではなく、医療技術の進歩によってもたらされることを意味する。

 ただし、医療の進歩には疑問を呈したい点がある。どんな産業の進歩でも、生活を快適にする進歩とそれを安価にする進歩の2つがある。薄型テレビは、大画面、高画質、高音質になりながら安価になった。ところが、医療においては、治癒向上の進歩はあっても、コスト低下の進歩が起きることがまれであるように思える。医療においても薄型テレビのような進歩を起こし、健康寿命を伸ばしながら医療費を安くすることが求められている。質とコスト両面からの技術進歩が進めば、懸念れているような医療費の膨張は、名実ともに回避できるのではないか。




医療費については実額が増大したとしても、「対GDP比は減少する」という推計を出しておられます。そうであるなら、厳しい医療費抑制策というのは、理に適っていないのではないかと思えます。政治家たちや厚生労働省は何とか考えて、過度な抑制路線を変更してくれ、と思ったりします。


これとは少し離れますが、引用部分のご指摘について検討をしてみたいと思います。
質の向上と、コストを低コスト化していく面と、両方が望ましいというご意見ですが、これはそうだろうなと思います。医療以外の多くの分野でそういうことが達成されてきましたから。では、医療においてはどうなんだろうか、ということを考えてみたいと思います。

例えばガン治療というのは、昔は大変難しかった。ほんのひと昔まえのドラマとかだと、「ガンだということは本人に言わないでおきましょう」みたいに、ひた隠しにしていたでしょう。要するに「死の病」というイメージだった。だから、「あなたはガンです」と言われりゃ、まさしく「ガーン」って(笑、オヤジギャグでごめんね)なっていたのです。告知するべきか、しないべきか、みたいな「社会派テーマ」で大問題となっていたわけです。それこそ数限りなく論争みたいなものがあったり、文化人とか識者たちがあれこれと「言うべきだ」「いや、本人の云々」「家族が~」「支える人が~」「生きるって~」「人生って~」となっていたわけです。でも、イマドキ、そんなテーマで大論争みたいなものとか、あんまりないと思うのですよ。それはどうしてそうなったかというと、方向性が定まったからだ、という部分はあると思いますけれども、それ以上に、「死の病」ではなくなってきた、ということの影響が大きいのではないのかな、と思うのです。

それは民間会社の医療保険の傾向などにも現れていて、3大疾病だの、ガン保険だのと色々と出ているわけです。住宅ローンにさえ、特約がついている時代です。それらは主に「死を前提」として商品価値のある保険ではないでしょう。治療して、その後の生活があるので、それらをカバーするべく保険制度となっていると思うのです。治療する、生きる、そういう為にある商品でありましょう。死を前提とするのであれば、「死亡保障」だけあればいいわけで、それなら普通の生命保険と同じ意味合いでしかありません。ですので、ガンという病は、ある程度克服可能な疾病であるということになってきたのです。

ここからは、あまりに酷い喩えといいますか、非人間的な仮定をしていくことになりますので、反感を憶える方々もおられると思いますので、予めお断りしておきます。私個人としては、「人間の命の値段なんて付けられないんだ!」という意見とか考え方には、共感できるのですが、それでも社会的には「意図的に考えねばならない時もある」ということをご理解下さい。交通事故で死亡したら、逸失利益として金額で出されてしまいます。それはやむを得ないのです。私自身、自分の家族とかに値段なんて付けられません。金じゃないんだ、命は地球より重いんだ、というのはそうだろうと思いますけれども、説明には金額が必要ですので、ご容赦下さい。


毎年人口も死亡者数も変わらず、一定の年齢で死亡していくものと仮定します。で、ガンで毎年20万人が死亡するとします。これは常に一定です。この疾病の発生確率は変わらないものとして考える、ということです。「昔」という時点と、「現代」という時点とを比較検討することとします。

昔:
・年間100人が治療により助かる
・治療費は一人当たり100万円
・治療後全員3年間生存し、その後再発で死亡する
・全員の生み出す平均利益は一人当たり300万円
こういう条件であるとします。すると、ガンにならなければ得られていたであろう利益というのは、死亡した20万人分があったはずです。毎年、300万円×20万人分あったことになります。けれども、ガンという疾病によってそれらは失われてしまう、ということです。

一人当たりの利益は300万円で3年間生存しますから合計900万円ですが、治療費を100万円投入しているので、差額の800万円が回復された利益ということになるかと思います。これが100人分ならば8億円です。収支は、治療費1億円で9億円を回収したことになります。

次に、時代を変えて見てみます。
今:
・年間10万人が治療により助かる
・治療費は一人当たり150万円
・治療後全員5年間生存し、その後再発で死亡する
・全員の生み出す平均利益は一人当たり450万円
条件が変わりました。
医療費も利益も1.5倍としています。
更に、生存率が向上して5年になっているとします。

一人当たり450万円×5年分=2250万円ですが、治療費150万円が投入されているので差額は2100万円となります。10万人が助かるので、全部で2兆1千億円となります。投入された治療費は全部で1500億円です。昔に比べて1500倍の治療費となっていますが、得られる利益は約2333倍です。命を買う、人生という時間を買う、ということは、本来的には「プライスレス」だと思うのですが、助けられる人の数が増やせるというのは、多くの場合に大きな経済学的利益を生み出すはずです。

医療において「低コストになっていく」ということはどういうことかと言えば、相対的に投資効率が良くなることで、以前には100人にしか提供できなかった医療技術や水準というものが、今では1000倍の10万人に提供できる、というようなことです。一人当たりの単価自体は若干上がってしまうとしても、得られる成果は大きくなるので、相対的にコストは下がっていると考えられるでありましょう。それは、言い方を変えれば、かつては「死」をもってそのコストを支払っていたことになるからだと思うのです。

近年、薬剤耐性の結核が問題になってきていますが、それでも昔のような「サナトリウムの美少年」みたいに、若くして死亡みたいなことが減って、結核で死亡する人たちは減少したでありましょう(最近は逆にやや増加基調だったかもしれません…ちょっと調べてないので判りません)。そうした時代の人々は結核自体の医療費は今よりも少なかったかもしれませんが、命でコストを払っていたからです。自分の人生という時間を削って、コストを払うことになっていたからです。ですので、低コスト化ということを達成するのは、目で見て数字で表すというのは難しい面があるかもしれませんが、「あなたの命、人生の時間で払ってもらえればいいですよ」と言われた時、お金ではなくそれらで払える人たちはどれほど存在しているでしょうか、ということです。死亡率の低くなった疾病の多くは、知識とか治療技術などが確立されていく過程で、「命で払う」「自分の時間の削って払う」ということがなくなり、「お金で払う」ということに変わっていったのだろう、と思います。昔の一人と、今の一人の命も時間も全く同じ価値であるなら、昔の多く死んでいっていた時代というのは、病気のコストが「凄く高かった」としか思えないのです。


変な例かもしれませんが、ここであるゲームというか遊びを考えてみます。
チェスの対戦をします。相手は史上最強の人工知能を持つ「ディープ・レッド」であるとします。AI に勝利すれば、あなたには「名声」「喜び」が手に入るとします。あなたが直接対戦することも可能ですし、代理人を立てることも可能であるとしましょう。勝利の確率を次のように仮定します。

対戦するのが
①自分の時:勝利確率は「0.1%」
②A級代理人の時:同 「1%」
③B級代理人の時:同 「50%」
とします。
負けた場合には、あなたの命を頂くことになっています。
この時、代理人AやBのコストはどのくらいになるでしょうか?

うまく考えることができないのですが、これって自分の命に値段を付けねばならない、ということなのではないでしょうか。
勝利しない場合には命を取られるので、代理人Aと代理人Bの値段を決めるとなれば、Bの方が相当高額になって当然なのではないでしょうか。でも、公定価格によって決まっていて、あまり上がってこなかったであろうと思います。それと、かつてはA級しかいなかったのですが、B級代理人の数が圧倒的に多くなれば、1回の対戦当たりでの勝利のコストは「下がった」ということになるのではないでしょうか。

病気の時(=対戦する時)は避けられないのですし、代理人(=医療従事者)は法外な報酬を請求してきたりはしないのです。公的に決まっているからです。勝利コストを確実に下げてきたとしても、多くの人々にはそれがあまりに当たり前過ぎて判らないのであろうと思うのです。もしも判っているのであれば、例えば、周産期死亡がこれほど減ってきたことの意味が理解できていたはずで、医療ミスを責め立てるようなことにもならなかったでありましょう。


結局のところ、自分自身(それとも家族とか?)の命の値段、自分の人生の時間の価値、それらが安価であるなら低コスト化ということには繋がらないでしょう。逆に、価値が高ければ高いほど、低コスト化が達成されているということになるのではないでしょうか。生命、健康、時間、それらをベットして、勝利を手に入れるゲームに参加しているのですから。代理人の報酬と成果は、もたらされた利益―すなわちベットされたものの価値―の大きさとの比較に過ぎないのです。



ちょっと追加ですが、以前にも似たようなことを書きましたので、参考まで。

医療費の分析~その1(追記あり)

医療費の分析~その2

介護問題を考える~「時は金なり」



全然エコじゃないじゃん!!

2007年07月15日 16時00分30秒 | 社会全般
やっぱ、「エコ活動」みたいなものの多くに、怪しい活動が紛れているんだよね。これだから、何が正しいのか余計に判らなくなっていくんですよ(笑)。

Yahooニュース - 産経新聞 - お宝エコバッグ狂想曲 「人気度」読めなかった? 小競り合い警官出動も

(一部引用)

バッグはコットン素材で価格は2100円(税込み)。レジ袋削減をうたって英国の女性デザイナーがデザインし、人気モデルや映画女優ら“セレブ”が持つバッグとして世界的に人気が沸騰。今春のロンドンでの先行販売では1時間で2万個が完売、ネットオークションで定価の10倍以上の値がつくなど話題を呼んだ。この日は銀座店など都内3カ所で午前11時に限定販売を開始。銀座店前には前日深夜から行列ができ、「通りに人があふれている」との通報で築地署が警察官約20人を出動させた。




滑稽ですね。いい大人のくせに、一体何をやっているのでしょうか。
とか書くと怒られるかもしれんが。布で自分で作ればいいんじゃないの?似たような感じで。それじゃ、パクリか。海賊版か。ダメだね。
似てなくていいから、作ればいいのだ、手提げカバンくらい(笑)。

昔あった、「ドラクエ」の発売日の混乱に似ているような。一度も買ったことなかったけど。
それとか、遊戯王の「レアカード」発売か抽選か何かで幕張に5万人集結して混乱、みたいなのとか。一度も行ったことないけど。
話が逸れました、関係ないのに。失礼。


まあ、エコエコ言ってても、大体が微妙ってことは判るような気もする。ロハスとかも。
前にチラッと書いたけど>重農主義に学ぶ

同時代の人、ルソーが「自然にかえれ」と本当に言ったかどうか知らないが、ルソーも「自然偏重主義」的なことを言っていただろう。自然崇拝までいかないにせよ、現代人のエコエコ一派(エコエコアザラクとは関係ないよ、自然かぶれ、健康かぶれ、スピリチュアルかぶれ、みたいな人々)と似ているようだね。自宅出産とか自然出産の信奉者たちとも通じるものがある。どうも自然崇拝的な思想傾向というのは、回帰性があるのかもしれない。あれだ、「3歩進んで2歩下がる」(チーターに興味はないけど)。歌は成功もあれば失敗もある、というような意味であったと思うけど、ここでは敢えて違う意味を与えた。「自然にかえれ」というのは技術や社会の進歩を感じ取ると、それへの懐疑というか不自然さへの疑問が湧いてくる、というような人間の心理が関係しているのかもな、と。そういうのが時代を超えて、似たような思想が何度も繰り返し起こってくるのかな。

それが、3歩進むと、どうしても少し下がってみたくなる、というようなことなのかな?と。

まあいいや。よく判らんし。


ところで、今選挙戦の真っ最中だが、ルソーはこうも言っていたそうだ。レモンソーダ。カセイソーダ。

ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』

「イギリス人民は自由だと自分では考えているが、それはとんでもない誤解である。彼らが自由なのも、議会の構成員を選挙する期間中だけのことで、選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となり、なきに等しい存在となるのである」

まさしく、この通りであろう。
第三者機関から発表された年金給付決定で、「選挙があるからよね」と言っていた主婦の方の言い分と同じだ(笑)。

所詮国民なんて、選挙が終われば、奴隷と化し、無の存在となるしかないのだ。




社会保障改革を推進せよ・3

2007年07月15日 13時47分41秒 | 社会保障問題
何度かコメントを頂いたのですが、もうちょっと調べてみました。
給与を貰っている人の場合には、給与所得控除後の「給与所得」を用いるとのことでした。
国民健康保険の保険料算定について、誤りであったのでお詫びして訂正致します。

社会保障改革を推進せよ

所得割の計算に用いられる「収入」は「給与所得」で、年収180万円の人であるなら40%が控除される為に、給与所得は180万円×0.6=108万円となります。基礎控除33万円を引いた残り75万円の9.37%が所得割保険料ということになります。これで計算しますと、年間保険料は月額で約10900円(年間130800円)となります。前の記事に書いた201600円とは大きく違いました。

この場合には、年間の国民年金保険料+国民健康保険料=294000となり、年収180万円の約16.33%となります。厚生年金+健康保険の人の11.45%の負担に比べれば「重い」ことは確かであるし、受取年金額も厚生年金に比べれば少なくなることに変わりありません。
保険料以外の1506000円を消費に回すとすれば、消費税負担は75300円で、保険料+消費税=369300円で年収の20.52%を占めることになります。
もし消費税が15%になったとしても、180万円を消費して27万円ですから、今よりもお得なことに変わりはないと思われます。

国民健康保険料は政府管掌健康保険等に比べれば同じ年収であっても、かなり高いことは確かです。労使折半ですから、180万円×4.1%=73800円で済みますからね。国保の人は、約1.8倍の負担をしていることになります。


いずれにせよ、計算方法が間違っていましたので、申し訳ありませんでした。


「悪意の受益者」と推定されうる貸金業者

2007年07月14日 19時03分43秒 | 法関係
さすがは最高裁判決です。
借り手の無知ということを利用することになりかねないので、貸し手には当然ハードルが課せられるということになりましょう。

asahicom:灰色金利利息の請求、過払い発生時から可能 最高裁 - 社会

同時に2つの判決が出されたとのことで、両方とも拝見致しました。若干内容は異なっていますが、判決の核心部分は同様でありました。(参考までに、裁判長は異なっておりましたが、両判決の裁判官はメンバーが同一でした。同種事件ということで、そのような形となったのかな、と思いました。)

で、判決文を「判例Watch」で探すと出ておりました。

平成18受276不当利得返還等請求事件

判決文を読んで、私のような下賤の者でも、「何を示したか」ということがよく伝わってきました。できるだけ多くの方々に判決文をお読み頂ければと思います。法学的な理屈を知らないとしても、判るように書かれていると思いました。これについて書いてみたいと思います。判示された部分は『』で引用しています。

まず、基本的な原則が述べられておりました(判決からは一般原則は読み取れない、ということでもないように思えました)。

『貸金業者は,同項の適用がない場合には,制限超過部分は,貸付金の残元本があればこれに充当され,残元本が完済になった後の過払金は不当利得として借主に返還すべきものであることを十分に認識しているものというべきである。そうすると,貸金業者が制限超過部分を利息の債務の弁済として受領したが,その受領につき貸金業法43条1項の適用が認められない場合には,当該貸金業者は,同項の適用があるとの認識を有しており,かつ,そのような認識を有するに至ったことについてやむを得ないといえる特段の事情があるときでない限り,法律上の原因がないことを知りながら過払金を取得した者,すなわち民法704条の「悪意の受益者」であると推定されるものというべきである。』

そもそも、貸金業者は、「みなし弁済」規定である貸金業法43条1項を知っている、という(前提である)ことです。そうであるから、
同項の適用がない場合には、
・残元本があればそれに充当
・残元本が完済になれば過払金は不当利得として返還するべきもの
であることを十分認識しているというべき(原則1)

この原則1に沿って考えると、
・貸金業者が制限超過部分を受領(=利息債務の弁済)
・受領が43条1項の適用条件を満たしていない
という場合には、「悪意の受益者」と推定される(原則2)ということです。
但し、
・43条1項の(条件を確実に満たしているので)適用と認識
・その認識を持つに至るやむなき特段の事情がある
を同時に満たす場合には、単なる受益者となるであろう(原則3)ということです。


民法の規定を見ると、次のようになっています。

第703条
法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。

第704条
悪意の受益者は、その受けた利益に利息を付して返還しなければならない。この場合において、なお損害があるときは、その賠償の責任を負う。

「悪意の受益者」とは704条規定の通りで、この場合には「利息を付けて返還せよ」という義務を生じます(損害賠償を負う可能性もある)。そうでない場合には、703条の受益者で不当利得返還だけで済む、ということになります。もしも、この悪意の受益者である場合には、民法規定の年利5%の利息を付けて返還しなさい、ということになりましょう。

これらに照らせば、
『これを本件についてみると,前記事実関係等によれば,貸金業者である被上告人は,制限利率を超過する約定利率で上告人に対して本件各貸付けを行い,制限超過部分を含む本件各弁済の弁済金を受領したが,預金口座に対する払込みの方法による支払がされた場合には18条書面を交付しなかったというのであるから,これらの本件各弁済については貸金業法43条1項の適用は認められず,被上告人は,上記特段の事情のない限り,過払金の取得について悪意の受益者であることが推定されるものというべきである。』
という結論が導き出される、と判示しているものと思います。


更に、判決では原則3の「特段の事情」について具体的に判示した部分があります。

『少なくとも平成11年判決以後において,貸金業者が,事前に債務者に上記償還表を交付していれば18条書面を交付しなくても貸金業法43条1項の適用があるとの認識を有するに至ったことについてやむを得ないといえる特段の事情があるというためには,平成11年判決以後,上記認識に一致する解釈を示す裁判例が相当数あったとか,上記認識に一致する解釈を示す学説が有力であったというような合理的な根拠があって上記認識を有するに至ったことが必要であり,上記認識に一致する見解があったというだけで上記特段の事情があると解することはできない。

したがって,平成16年判決までは,18条書面の交付がなくても他の方法で元金・利息の内訳を債務者に了知させているなどの場合には貸金業法43条1項が適用されるとの見解も主張され,これに基づく貸金業者の取扱いも少なからず見られたというだけで被上告人が悪意の受益者であることを否定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。』

これによれば、認識を有するに至ったことがやむを得ないといえる「特段の事情」とは、
◎「合理的な根拠」があって認識するに至ったことが必要
で、「合理的な根拠」とは、具体的に言うと
・認識に一致する解釈を示す裁判例が相当数あった
・認識に一致する解釈を示す学説が有力であった
ということです。

そして、認識に一致する「見解があった」というだけでは「特段の事情」とは認められない、ということです。
これは何を言っているのかといえば、「(複数裁判官によって)複数例の判例が形成されている」か、「有力な学説」といった、「合理的根拠」が必要なのであり、それがあるのであれば(43条1項の適用条件を満たしているという)「認識を持つに至らしめる」のはやむを得ないですね(=特段の事情)、ということだろうと思いました。

もっと平たく言えば、どこの誰が言ったのか知らないが、「○○を交付しておけば、これは18条書面の要件を満たしているから、43条1項が適用される」「17条書面はこれでいいのだ、43条1項はクリアだよ」=利息制限法の上限を超えても大丈夫、というような(オレ流?トンデモ?)「見解」というのは、正しくありませんよ、合理的根拠じゃありませんよ、ということですね。

法令を正しく解釈していない「(トンデモの)見解」が主張され、その誤った見解に基づいて業務を行っている貸金業者が多数存在しているとしても、それを理由として「悪意の受益者」を否定する根拠とはなり得ない、と最高裁は考えたものと思います。これは良く判る気がしますよ。だって、ポップみたいな値札にデカデカと「200円」と書いてあって、200円かと思って払ったら、レシートの隅っこに凄く小さい字で、「但し、150円を超える部分はサービスみたいなもので支払は任意です。超過分は返金できません」みたいに書いてあって、本当は150円払うだけでよかった、ということであるなら、騙されたとしか思えないでしょう、普通は。この「但し、150円を超える~」みたいに書いてある時点で、ヒッカケであることを売り手は知っている(=悪意の受益者)ということが十分推定されるわけで、もし本当にルールを知らなかったなら初めから150円と大きく書いておくか、200円を受取ったとしても50円をお釣りで返すに決まっているからだ。
それとも、間違えたルールを覚えていた、ということならば、その間違いの原因となった「ルールブック」はどこかにありますよね、あるなら見せてごらんなさい、ということなんですよね。間違った認識に至らしめた「ルールブック」が、判例や学説というようなものではなく、単に「みんながやっていいと言っていたから」というのは合理的根拠にはなり得ないですよ、という当たり前のことを示したのですよね。


大企業を含めて、これまで「悪意の受益者」としてやってきた企業は、しっかりと反省してもらいたいもんだね。企業の顧問弁護士とかたくさんいたであろうに、どうしてこれほど「悪意の受益者」の立場を放棄することなく、しかも社会的に批判も受けずにこれたのか不思議ではあるね。それだけ、多くの人々が「本当のルール」ということや「金利水準」ということに気付かないで来たから、無知につけ込まれてきたから、ということなのであろうか。


でも、自分自身オレ流解釈を並べてしまっている(例えば、日本の憲法学者の真意を問う)のであって、人のことを言えないんですよね、実は(笑)。

これは、決して悪意があるわけではないんです、少ない脳みそをふり絞って真剣に考えた結果なんです(笑)、信じて下さい!
だからといって許されるわけでもないのであるが。



年金の第三者機関が総務省に置かれたワケ

2007年07月13日 20時57分42秒 | 社会保障問題
総務省に設置された「年金記録確認中央第三者委員会」という非常に長い名称(笑)の第三者機関ですけれども、何故総務省に置いたのか、ということがようやく判りました。ゴメンね、総務省。文句ばかり言って。
核心部分としては、厚労省や社保庁管轄では「全く当てにならん、信頼できない」ということなんでしょうけどね。

というのも、総務省は政策評価をやる、ってことになっていて、それなりに頑張ってくれていたんですね。ホント、今まで気付かなくてスミマセン。国民側も文句ばかり言うだけではなく、理解しようと努力することも必要ですよね。ごめんなさい。
マスメディアの人々とか、政治的なことを研究している人たちとか、そういう人たちが広く情報を提供してくれると有り難いのですけどね。そもそも、野党の議員たちとか、「情報を隠している」とかよく言うんだけれど、確かに判らないものもあるけれど、結構調べれば出てくるものもあるので、まずは自分たちで全力で調べてみろ、とか思うよ。それでメシを食っているのだから、それくらいの労力は当然だろうと思うのですけれどもね。その権限もあるのですからね。


偶然発見した文書がコレ>年金に関する行政評価・監視結果に基づく第2次勧告

第1次勧告において指摘したとされる内容とともに、重要なことが書かれていた。以下に一部引用する(P4~5)。

『住民基本台帳ネットワークシステムを活用して把握される第1号未加入者とともに、第1号種別変更未届者の加入手続を早急に行うことが必要となっている。
また、社会保険庁が適用業務(国民年金への新規加入や既に国民年金に加入している者の被保険者種別の変更等に係る業務)を的確に実施することは、国民年金保険料の安定的な収入の基礎となるばかりではなく、年金を受給できる資格を得られない者の発生の防止や年金受給権者に対する確実な年金給付など、国民皆年金の実現を図るための基本的かつ重要な対策の一つとなっている。』

全く仰せの通りでございます。総務省の言ってることは正しいです。平成16年秋時点で、住基ネットを使おうね、ということを総務省も言っているわけですね。しかも、国民側が手続関係とか仕組みをよく知らないで過していて、年金制度から漏れてしまうようなことになると困るから、社保庁側から手続を進めるようにしなさいよ、ということを指摘してくれているのです。

それから、電話での納付督励は1件かけると平均単価210円だそうだ。最低は142円、最高は385円とべら棒な違いがある。「何件かけたか」ということでカウントされるので、案外適当なのかもしれない。「ワン切り」みたいに、即切っても1件なのかもね(笑)。実態は知らんけど。電話番号列に沿って電話をかけ続けたら、それだけで金を貰えるのかも。これも業者との「オイシイ関係」がありそうな感じだけど、どうなんでしょうか。勘繰りに過ぎないんですけど。

国民年金推進員の業務実態も怪しいね、とか指摘されてるし。でも、徴収業務を頑張ってる人もいて、年間約224万円の給料で2700万円以上の保険料を徴収した人がいたそうだが、214万円の給料を貰っていたのに一円も集められなかった人もいたんだって(笑)。意味ないじゃん。金を捨ててるのと一緒だね。全体で見れば、徴収にかかっている人的コストは「少なく見積もって43.9%」に達しているのだそうだ。徴収員が集めた保険料を100とすると、これにかかる費用が43.9ということ。100億円集めるために、43.9億円も使わないとならないんだそうだ。無駄だらけ、ということだ。やっぱりそうだったんですね。

保険料徴収コストは100円につき3.17円だそうで、国税は1.66円、地方税2.63円に比べると高い。社保庁は無駄が多い、ってことだろうね。国税徴収の2倍くらいコストがかかっている、ということなんだよね。


ま、総務省から見ても「かなり問題あるね」というのが社保庁だった、ということに違いはないでしょうね。あの頃に社保庁問題というのが確かに噴出していたし。



社会保障改革を推進せよ・2

2007年07月13日 11時24分46秒 | 社会保障問題
昨日コメントを頂きましたので、もう少し考えてみたいと思います。
かいつまんで申し上げますと、年間180万円の給与所得者においては、40%が控除されるので、控除後所得は108万円ではないか、というご指摘と理解しました。そうであるなら、国民健康保険料の負担額というのも、もっと低いはずだ、ということかと思います。


社会保険料の計算に給与所得控除があるとは知らなかったのですが、これは本当なのでしょうか?税額(所得税、住民税)計算の為に用いられるのが給与所得控除額ではないかと思っておりましたが、これが年金や健康保険料の算定にも用いられるとなると、納付額は随分下がるのではないでしょうか。私自身も正確な保険料算出ができるわけではありませんが、普通に考えて、年収500万円とか600万円のサラリーマン世帯で夫+専業主婦という場合に、年金額が50%の所得代替率であると信じている国民は多いのではないかと思われますが、どうなのでしょうか。すなわち、250万円とか300万円といった年金がもらえるものと推測しているのではないかな、ということです。

しかし、給与所得控除後の所得で計算となれば、年収600万円の人であっても給与所得控除が174万円ですので、控除後所得は426万円となってしまいます。これを元に年金保険料が決定されているのであれば、代替率50%として213万円の年金額しかもらえないことになるのではないでしょうか。標準報酬がずーっと年収600万円のままならば月額50万円ということになると思いますが、給与所得控除後の426万円が算定基準であるなら355000円となってしまう、ということです。保険料率が約14.7%の折半であると、前者なら保険料は50万円×7.35%=36750円、後者であれば355000円×7.35%=26092円となって、保険料差額が10658円も生じることになります。

年収180万円なら40%が給与所得控除になるので、月額15万円だったけれども、控除後所得は9万円になる、ということになります。厚生年金や健康保険料はこれに応じた負担ということになるはずだ、という主張をされておられるということです。

年金保険料や健康保険料の計算方法はどれも複雑ですので大変判り難いですし、私自身正解を確実に知っているわけでもありません。ですので、給与所得控除後の金額を使うんだ、と言われれば、そういうことってあるのかな、とも思いますが、どうも現実的に合ってないとしか考えられません。給与所得控除を社会保険料算出に用いるというのは、間違っているのではないかということです。



女性の選ぶ車とは…

2007年07月12日 18時58分40秒 | 俺のそれ
そういえば、この前、どんな車だったら買いたいか調査したことがある。
といっても、ウチの妻に聞いただけなんだけど。
すると、普段車のことなんて何も知らなさそうなのに、何故か直ぐに答えてきた。

「マツダか、ミニならいいよ」

って、全然違うじゃねーか、と。
ミニはわかるけど。
マツダって、会社名なんだけど。

(参考例として、お菓子は、例えば「きのこの山」がどこのメーカーかあまり知らないんだって。割と多くの女性が商品名でしか覚えてないんだそうだ。これは周囲の女性複数に訊いて調査してみたので、「確からしい」ですよ。笑)

こういう知識はどこで仕入れているのか、と疑問に思って、更に聞くと、次のような答えだった。
「マツダと言っても色々あるよ」
「あのね、玉木くんの出てるヤツ」
「あー、アレね。あっそう(麻生親分には関係ないよ)」

そっか、女性はCMキャラで安易に靡くんだ。
玉木くんがカッコイイから、だって。あーそうですか。
年甲斐もなくそんなことをぬけぬけと…(笑)
車がどうなのかはあんまり関係ないのかな?
でも、新型デミオは確かに気になる。


で、ミニは「かわいいから」だって。
これ訊いたのってミニの広告出る前だから、あんまり目立っていなかったのに。
よく知らないけれど、何となくのイメージで捉えているようなんですよね。
男性だと詳しく資料などを見て考えると思うのだが、女性はそうでもないのかも。
要するに、見た目?外見?
ってことなんですかねえ…


それと、もしこんな車だったら嬉しいな、というのは私の乏しい想像力で考えたことがあるよ。
それは…
話せる車?みたいなものかな。

参考までに、我が家の車には「名前」を付けて呼んでいる。
「はりお2(ツーor2世と発声する)」という、極めて安易なネーミングだ。
先代が「はりお」だったからだ(笑)。
(因みに、みなさんは車に名前を付けませんか?どうなんでしょう)
なので、車といえども「個別性」を重んじる傾向にあるかも。
ペットとかと同じで愛着がある、というようなことかな。

なので、車が個別性を持てば面白いのに、と。
昔、「ナイトライダー」というテレビドラマがあったけど、「キット」という車載人工知能が出てた。
イメージはまさにあれだ。
これなら、ドライバーが一人であっても、寂しくないぞ。
名前を付けてあげて、会話したりするとちゃんと答えてくれるんだ。
ナビのツマラナイ声よりは、格段にいいと思うんだけど。
ウザイ?

キャラを与えたくない人は、機械的な音声にしておけば従来通りのナビと同じく使えることにしておけば。
あと、持ち主が変わった場合とか、完全消去しちゃって、昔のキャラを消すんだ。

あー、でも、そういうのがあったら、タチコマみたいな感じに育ってくれ、とか願ってしまったりして。
別れが悲しいというのも、困るかな。データを移しかえられるようになっていればいいんだが。
冗談の積もりだったのに、意味なく真剣に想像してしまった。
バカだな>オレ
妄想癖は昔からだから(笑)。



社会保障改革を推進せよ

2007年07月12日 16時22分01秒 | 社会保障問題
いよいよ選挙戦がスタートらしいですが、演説は邪魔だな。交通障害でしかない。渋滞は環境悪化の原因となるよ、きっと。
それと、以前に「参院選は格差問題がないと戦えない」とか何とか言ってた人々は、ありゃ一体なんだったのよ、とは思うね(笑)。格差云々を前面に押し出しているところはあるのかね、よく知らんけど。


話変わって、私は過去に社会保障の一体的改革を行うべき、と何度も主張して来まして、これは現時点でもそう考えています。当然税制についても、抜本的に見直すということです。徴収方法を変えていかざるを得ないからです。

社会保障番号導入についても、何度もお願いして参りましたが、実現に向けての動き出しは大変鈍うございました。ですが、降って湧いた年金不安(笑)が、これまでの障害を一気に取り払ってくれそうな勢いです。政府側の意志としても、「導入を前提として進める」ということでしたので、何とか目鼻が付いてきたのかな、と思っております。私の基本的な考え方は、収入が少なく支援が必要な人々に対しては「行政サービスを付加」することで対応し、ある程度余裕のある方々については自力で色々と対応可能でしょうから、行政サービスを必ずしも必要とされなくてもいいでしょう、ということです。給食費や保育料未払い問題などについても、現金で与えると未払い金なってしまうので、住民税と相殺とかそういった形で行うのが望ましいと思っています。徴収コストも減らせますし。なので、行政サービスの現物給付の形を多くして、現金給付は減らし、住民税との相殺などを積極的に行っていくことが望ましい、ということを書いてきました。公営住宅の運営にしてもそうです。住宅補助を支給しておけば済む話ですので、順番待ちとかヤクザに占拠されるとか、そういった問題はなくせるはずです。

これらは、住基ネットの活用とか、社会保障番号導入などが必要なので、それを前提として考えています。ブログを書き始めた頃からのテーマです(カテゴリーの社会保障問題の項目に入っています)。

参考記事:
社会保障番号の導入

住基カードの使い方

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」 年金一元化を再び取り上げる


私がなぜ一元化に拘るのか、改めて書いておきます。
厚生年金や健康保険の加入から漏れている人たちというのは、かなり存在しています。特に問題なのは、非正規雇用の人たちでそれら社会保険がない人たちだ。夫の扶養に入っているパートの主婦とかならまだいいけれども、本人単独で国民年金と国民健康保険などに加入せねばならない人たちがいるのです。しかも雇用保険もないんですよ。失業したら、終わりではありませんか。そういう人々は本当に困っている人も多いのですよ。

また例で申し訳ありませんが、大雑把に仮定してみたいと思います。
税込み年収300万円程度の独身者がいるとしましょう。フリーターの中でも、かなり頑張っている方の人です。自分で国民年金と国民健康保険に加入せねばならないとします。すると、
国民年金:13600円×12ヶ月=163200円
国民健康保険:25000円×12ヶ月=300000円
くらい払うことになります。合計は463200円となります。
推定収入300万円の15.44%が「年金保険料+健康保険料」負担ということです。

ところで、国民健康保険の保険料は居住する市町村によって保険料率が異なりますが、控除後の総所得額が250万円、均等割+平等割+所得割(9.37%)で、京都市水準くらいの保険料としました。所得割の料率は8~9.5%程度と思いますが、自治体の状況によるでしょう。

こうして見ると、収入に対する負担は決して軽くありません。この他に所得税や住民税を払わねばならないのです。
条件を変えて、200万円に届かない水準の人ではどうなるか見てみましょう。
税込み年収が180万円ちょっと程度の人を想定してみます。月収は15万円でボーナスなし、みたいな感じですね。
国民年金:13600円×12ヶ月=163200円
国民健康保険料:16800円×12ヶ月=201600円
ということになります。合計は364800円です。推定年収180万円で負担率は約20.27%となります。
(所得割の控除後年収が150万円として概算で計算してみました)

つまり、低所得者ほど「社会保障負担が重い」ということなんですよ。国民健康保険料の上限は53万円ですから、年収が2000万円の自営業者の負担額は53万円で年収に対する負担率が2.65%にしかならないのです。年金保険料を払ったところで、全然大したことありません。日本の社会保障負担は、高額所得者ほど有利になっているのです。低所得者たちは、逆に高負担の為に「払えない」ということが起こりがちになっているのです。

もしも年収180万円であっても、厚生年金と社会保険のある会社に勤めているとしたら、どうなるか見てみます。
厚生年金の保険料率は14.7%くらいですので、従業員は折半ですから年収の7.35%払うものとします。健康保険料は大企業の健保組合水準であると約8.2%くらいですから(組合毎で若干異なっており、貧乏な組合では9%程度のところもある)、折半で4.1%です。合計は11.45%の負担率で済みます。年間で206100円です。しかも、事業主負担分があるのですから、年金としてもらう時には国民年金だと6万数千円程度でしかありませんが、厚生年金になれば10万円以上もらえることになります。同じ年収180万円であっても、こんなに負担も給付も変わってしまうのです。多くの企業では、フリーターや派遣などを利用するだけ利用して、こうした負担逃れをやっているだけなのです。オカシイと思いませんか?低所得者の方が、実質負担が20%を超えているのですよ?

だったら、保険料を廃止して消費税として今の5%の他に上乗せされても、消費税率が15%くらいまでなら逆に「負担軽減」効果が得られます。保険料未納もなくなるし、徴収コストで数百億円もかけなくても済むのですよ。資格停止とかもなくせるんですよ。企業には給与総額に対する税を納めてもらい、負担逃れをなくせばいいんですよ。今でも問題になっていますが、厚生年金保険料を納付していなかった企業とあるじゃないですか。税金ならば毎年確実に取れるし、未納をかなり防げるのですよ。

所得税と住民税の納付額が不変ならば保険料と消費税の比較だけでいいので、とりあえず面倒なので除外しておきます。
年収180万円のフリーターの人の保険料負担がなくなれば、180万円全部使うとして消費税に15%払ったとしても年間27万円です。現在の制度下での負担額だと、消費額1435200円(=年収1800000-保険料364800)の5%が消費税ですから71760円、この他に保険料364800円を払っているので、合計436560円ということになります。27万円との差額は166560円となります。この分だけ負担軽減効果があるのですよ。逆に厚生年金や社会保険のある企業でこの水準の給与という方々は若干負担増となるかもしれませんが、フリーターの数に比べて少ないでしょう。なので、保険料方式を止めて税方式にするだけで、増収効果はあるはずです。低所得層に付加的サービスが必要なのであれば、例えば住宅補助を出すとか、医療費の自己負担額の一回定額制(超えた分は補助する)などの支援をするとか、いくらでもできますよ。

高額所得者たちの消費額は収入に応じて増えるのですから、特に高額商品には金を出すのですから、それらの税率を上げたとしても何らの問題もないでしょう。保険料が上限制となっていることは、負担軽減という大きな特典になっているのと同じなのです。直接税である所得税は累進性をもうちょっと強化してもいいでしょう。再分配比率を上げた方がいいと多くの国民が賛成してくれるのであれば、現在の国民負担率よりも若干上げて、今までよりも「たくさん税金を集める」ことになりますけれども、分配先を変えていけばいいのですから。

この一元化をやることによって、企業は社会保障負担は正規と非正規の区分ができなくなりますから(給与総額で税を払うので)、働き方とかで雇用条件を変えていきやすくなるでしょう。女性にしても、扶養と扶養から外れる年収の壁を気にせずに働けるようになります。社内での従業員間で正社員とパートとか、そういった区別も不要になります。雇用保険もきちんと全員に行き渡ります。働ける人たちはたくさん働けばいいし、子育てと両立で半分ちょっと働きたいとかでもいいし、夫の給料が下がったので頑張りたいとか、色々とあるはずなんです。そういう自由が、社会保障負担の有無ということで選別されてしまっているのです。今は不当に、企業に労働力を搾取されているんですって。企業負担を逃れる為に、これらの社会保障制度の間隙をつかれているのですよ。これで、将来働く女性を増やしていけますか?パート扱いの女性が搾取されていくだけのようにも思えます。ちょっと良くて、派遣とか契約ですけど、厚生年金は別ね、とか、医療保険も別で、とか言われるんですよ。


だから私は社会保障の改革を、税制改革も含めて、きちんと考えていきましょう、と何度も訴えてきたのです。
地方の財政悪化とか人口減少で市町村の国民健康保険は耐え切れないと思いますよ。何で貧乏な人たちが、恵まれた条件の人たちよりもたくさんの保険料を払わねばならないんだ。財政悪化の原因を押し付けられて、払えない者は資格を剥奪されてしまう。無保険者たちや無年金者たちがどんどん生み出される。そんな社会がいいとは思っていない。将来必ず困るよ。



車を売りたきゃ金をくれ!~補足編

2007年07月12日 11時44分44秒 | 社会全般
先日の記事にちょっと補足。
参考文献を発見したので、挙げておきます。

今週の指標 No805

これで見ると、全国の全ての地域で「小型車」のマイナスが大きい傾向が窺われます。つまり、その商品の購買層において「苦戦」が続いている、ということになるのかもしれません。かつては「セダン」から「小型車」への乗り換えとなって部分的に需要があったのかもしれませんが、その小型車もそれなりに行き渡り、中古のタマ数も増えているのであるなら、厳しくなりそうかな、と思ったりします。それと、小型車のターゲットとなっていた購買層の収入が伸びない・車にお金を回す余裕がなくなった、というようなことがあるかもしれません。

高額商品・サービスの支出額で見ると、北海道と中部地区で「新車」がマイナス寄与となっていることが窺われます。ちょっと事情が違いそうですけどね。

北海道はまだ景気回復効果が及んでいないという地域的問題が元々あるのと、自家用車への需要が割りと高いにも関わらずその購入為の収入が伸びていないということがあるでしょう。中部地区は昨年が良すぎたのではないかと思えますね(笑)。好景気の牽引役となっていたようですので、高額商品の需要は多かったのではないかと思います。でも、「買う予定」のあった人々は大体昨年あたりで購入してしまって、一巡感が出ているのではないかと思われます。新車を毎年買う人たちは滅多にいないでしょうからね。全体的に、新車を買える人たちの層が薄くなっているのだろうと思います。層が薄いので、需要が一巡すると落ち込んでいく、ということになるでしょう。


例えば、北海道なんかだと鉄道が未整備(廃線などもあったし)で、移動距離は遠いことが多いので、車の需要は割りと高い地域なのではなかろうか、と思しますが、いかんせん平均給与が低い、収入が伸びない、景気回復からも取り残されている、ということで、新車を買える人の数が限られているのかもしれません。となれば、どうするか、ということですね。


売れないのであれば、できるだけ低価格品を投入してみるとか、何かやってみるべきでは。ただでさえ、寒冷地仕様とか「北海道・沖縄価格」ということで地域的デメリットを受けているのですから。収入が少ない地域なのに、同じ商品を高く買わされるというのは、販売には不利になりそうです。売れるようにしたいのなら、低価格品を投入するようにした方がいいのでは。外見的デザインは変えないとして、北海道専用車種(それとも、ロシア・韓国向けも一緒に)としておくとか。組立工場も北海道に置けばその分輸送コストは落とせるのだし、北海道・沖縄価格の適用から外せるのであればそれだけでも価格抑制になる。内装品とか一部仕様を変えて(例えばタイとかで製造するものと似た水準であっても大して困らないのでは)低価格品を投入すれば、チャンスは出てくるのではないかな。




環境問題というのは判り難いね

2007年07月11日 17時53分50秒 | 社会全般
色々な意見が多すぎて、実際のところどうなのか、何が正解(っぽい?)のか、あんまり見分けがつかない。「~なんだお」という人もいれば、逆に「~は間違いなんだよ」という人もいる。とりあえず、ゴミの分別は既に決まりになっちゃっているから、収集してもらえるように決まり通りに出すしかないんだけど。要するに、私たちはどうすりゃいいんだろうね、とは思う。

なんかこう、議論の土台となるような公的「報告書」みたいなものが少ないのでしょうかね。専門の研究者たちも大勢いるんでしょうから、そういう人たちがまず意見を出し合って、まとめてもらった方がいいのではないでしょうか。これが行政施策ということになると、色々な利権絡みとか、イデオロギー的闘争の場になってしまったりするんでしょうか?よく判らんのですけどね。

個人的な印象では、環境問題を考えてみる時には、大体次の4つくらいが思い浮かぶ。

①熱効率
②総合的なエネルギー効率
③クリーンさ
④コスト・パフォーマンス

きっと他にもあると思うけど、身近な範囲ではこんな感じなのかな、と。多分議論の前提となる要因(条件)が数多くあるのと、今できることだけ考えても良くない面があるのかもしれないし、将来の夢物語みたいなことだけを考えても実現不可能なのかもしれないし、よく判らないことだらけだ(笑)。素人が考えるには難しい、ってことは判る。買い物袋の有料化がいいのか悪いのかさえも、不明だし。
とりあえず、少し考えてみる。


①熱効率

昔、生物を習った時に、「生物の熱効率は他の熱機関に比べると一番いい」とか聞かされた。確かに、熱効率で見ると、細胞は45%、蒸気機関だと10%台、ガソリンエンジンは25%くらい、ディーゼルエンジンは30%くらいと言われている。それだけ細胞の効率がいいということだと思うけど、これを実生活の中で達成するのは大変そうだ。近年においても研究費の補助金が結構出されている「スターリングエンジン」がどの程度なのか判らないけれども、中々細胞の効率を超えるものは登場していないようだ。

スターリングエンジン - Wikipedia

これが実用的になってくれば、大型ビルの空調とか熱量発生の大きな発電所や製鉄所とか潜水艦(笑)とかでも使われるようになるのかもしれない。そういや、以前に観た『スチームボーイ』に出てきたみたいな夢の「物質」で超高圧が達成できるといいのにね、とか(これは冗談ですよ)。

でも、日本の火力発電所は熱効率がかなり高く、40%を超える水準まで来ているようです。

【特別編】火力発電、熱効率を改善 特集ニュース ニュース ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この記事では世界的に日本と同じくらいの水準にあるのはイギリス・アイルランドくらいですから、日本の発電技術をユニット全体で世界に輸出していけば日本のメーカーも儲かるし、エネルギー効率化にも繋がるので大きなビジネスチャンスであるようにも思うけどね。中国あたりでは発電所そのものが不足しているので、まるごと買わせるといいのになと思うけど。インドとかも。

これで考えると、熱効率でみれば発電所が優れているので、個々のエンジンを持つ車を動かすより、発電所で一気に発電して電気エネルギーに変換し、ここからバッテリーに充電して電気自動車を動かす方が熱効率は良いのかもしれない。でも、バッテリーが重くて大きいけど、航続距離がガソリンエンジンなんかに比べれば短いので頻繁に充電しなくちゃならないかもしれない。そうなると実用性に劣るということかな。チャージステーションみたいなのが、あちこちに必要になってしまったりとか。

ちょっと思ったのですけど、路線バスとかコンビニ配送車とか郵便配送車みたいなので、短距離区間を走るようなバスやトラックなんかだと、電気自動車でも行けそうな気がしますがダメでしょうか?
航続距離が短い、チャージ時間がそれなりにかかってしまう、という欠点があるのでしょうけど(実際どうなのか詳しくは知りません)、短距離区間を走るのであれば何とかなりそうですよね。路線バスなら、片道10~20km程度の路線で設定して(もっと走れるのかもしれませんけど)、行く時バッテリー1を積んで行き、帰りはカセット式みたいにバッテリー1を外してバッテリー2をセットしてみるとか。で、夜中の待機電力を利用して、電気料金の少ない時間帯でカセット式バッテリーをフル充電しておけばいいのでは。昔あった、駅馬とか伝馬とかのように、交換すればいいのでは。バスを何台も用意するのはお金がかかるから大変だが、バッテリーだけバスよりも多くしておいて、それを交換しておけばバスはフルに稼動でき、充電時間がかかっても大丈夫だし、夜間の待機電力でお得に充電できるかもな、と。コンビニ配送トラックや郵便トラックみたいなのも、チェックポイント毎のコンビニ(or中継ポイント)で予備バッテリーを充電しておき、トラックは荷物を降ろすのと空になったバッテリーを交換して、次に向かう。コンビニ配送車は毎日定時で大体同じルートで行くことが多いと思うので、他に行かないことが判っているならバッテリーを交換しやすいのではないかな、と。空のバッテリーはそこのコンビニで夜間充電しておき、翌日フル充電された状態で交換に用いる。
こんなイメージなんですが、どうでしょうか?

他には、ガスコンロとIHヒーターの違いとか。熱効率で考えると、後者の方が軍配が上がると思いますけれども、鍋がそれ用になっていないとだめだ。段々浸透していくとレコードがCDに切り替わっていったように、いずれIHが主流になるのではないかな。そうなれば、鍋メーカーもIH用のものしか作らなくなっていくのではないか。ガス設備は配管が必要だし、調理用に必須とも思えないので、電力化する方が効率がいいかも。CO中毒の発生の心配もないし。特に高齢者単独世帯では、調理用ガス設備からの出火という危険性があるので、今後の社会環境には適しているように思える。ただ、ガスは暖房用とか給湯用で優れている面があるので、そちらだけ残るかもしれない。オール電化住宅とかソーラー住宅は、依然として初期投資額がかなり大きいので、そこも問題が残っているかも。

何れにせよ、「同じエネルギー量」を使うことを考えると、日本の火力発電は熱効率が割りといいので、電力を用いる方が有利になりやすいように思える。なので、例えば、電気節約と思って電球を消して、ローソクを同じ明るさになるまで燃やすとしたら、ローソクの方が環境には良くないということになりそう、ということはあるかもな、と。


②総合的なエネルギー効率

例えば、ハイブリッドカーみたいな、回生ブレーキのようにエネルギーロスを削減するというようなものかな、と思う。自転車やオートバイのような乗り物であっても、自転車のライトみたいに自家発電方式は可能なので、非常にコンパクトな発電装置+携帯電話のバッテリー程度の大きさのバッテリーを用いて、下り坂でブレーキをかける時なんかに充電したりできそう。そのバッテリー自体がこれも着脱式になっていれば、携帯電話、携帯電子機器やパソコン等の電力として使えるようになっているといいな、と。ガソリンを用いて走行しているとしても、ロスされてきたエネルギーを回収して、別に用いることができるならいいね、と。

大量輸送には鉄道は優れているだろう、多分。自動車が減らせるし、電力で走行できるというのがメリットが大きいよね。こうした鉄道でもブレーキにはなかり大きな熱量発生でエネルギーロスがあると思うので、回生ブレーキを使うとかできそう(もうやってるかもしれんが)。あと、走行時に風圧をかなり受けるので、減速時に車両の天井裏に空気取り込みを行って、内部に「かざぐるま」みないな風車を回すことで発電するとかできそう。発電設備の重量が逆にアダとなって、エネルギーロスが大きくなってしまうかな。それとも、冷房関係に使えないかな?ダメか。ま、これも判らんけど、最終的には主に熱産生で失われるエネルギーを回収して使えるといいよね、ということかな、と。


③クリーンさ

これは空気とか水とか、そういうものの汚染が少ないエネルギー利用がいいよね、ってこと。
よくあるのが、「ディーゼルエンジンが良くない」という例だろうか。確かに窒素酸化物とか、微粒子みないなのが出るので良くない、といったことがあるだろう。でも、欧州では主流はディーゼル車で、燃費とか熱効率とかガソリンではなく軽油でいいとか、そういうメリットが大きいと考えられているようだ。前述したように、ガソリンエンジンよりも熱効率が良いのが魅力だ。有害物質の除去はそれ用の装置を用いれば可能、ということで、かなり改善されてきたのであろう。船とか大きなエンジンは大体ディーゼルだろうしね。

空気は窒素濃度が酸素の4倍くらい高いので、これが問題なんだろうけどね。となれば、取り込んだ空気の窒素濃度を下げるような分離装置のようなものを開発するとか、液体酸素のタンクを積んでおき気化した酸素を圧縮して取り込んだ空気と混合して燃焼室に送るような装置を作るとか、何かできるかもしれない。ターボは空気を圧縮するだけなので、酸素と窒素の比率が変わるわけでもなさそうだからね。

要するに、中国みたいな環境汚染しまくり、とかだと、改善コストもかかってしまうし、健康被害も想定されるし、いいことないよ、と。


④コスト・パフォーマンス

一番難しいというか、よく判らないのがコレ。
考えられるのは、取りあえず現在水準のコストでしか検討できないでしょうからね。将来的に技術水準が上がって「コストが下がる」ということがあるとしても、今の時点では予想できないからね。

鉄道はエネルギー効率を考えると優れているが、初期投資額がかなりかかる。要するに、そういうことを総合的に考えてみるしかない、ってことなのかな。ソーラー住宅も同じく初期投資額がかかる。使うエネルギーが多少減ったとして、同じだけお金を使うならエネルギー取得に使ってもあまり変わらんだろうね、というようなことかな。それとか、その設備を取得する為に多くのエネルギーを消費してしまうのであれば、あんまり意味がない、ってこともあるし。

例えば、エネルギー効率が55%の発電施設を作れるとして、その建設コストが天文学的数字になるのであれば、あんまり実現性がないよね、と。それとか、同じ発電力の従来型発電施設と比べて、エネルギー効率で年10単位量節約できるとしても、建設にかかるエネルギー量がべら棒に多くて500単位量増加してしまったりするなら、従来型に追いつくのが50年後ということになってしまい、それなら従来型発電施設の方がいいよね、ということもあるのかな、と。

随分昔(小学生頃?)、何かの本で見たような記憶があるのだけれど、いくら「ソーラー発電が環境にいい」とか言っても、今使っている全エネルギー量が地球表面の全部を発電パネルで覆っても間に合わない、みたいなことが書いてたように思うが(本当かどうか知りません)、そういうこともあるのかな、ってこと。




結局、環境問題というのは、かなりよく検討してみないと比較するのは難しいんですよね。
そうなると、最終的には自分ではよく判らないので、早寝早起してみるとか、テレビを観る時間を減らすとか、使わないコンセントは抜くとか、くらいしかできないんですけどね。これも、「ぎゃはは、デマだよデマ」とかなのかもしれないんですけど(笑)。



定率減税廃止に文句を言うなら

2007年07月10日 17時20分03秒 | 経済関連
年初頃にあった、日銀の利上げ「やる気満々」の時に批判しとおくべきだろう>各マスメディアの方々

日銀は経済成長に必要以上のブレーキをかけようとして、これまで悉く失敗してきたのです。1月時点であれほど警告しておいたはずだ。

日銀に利上げの根拠を問う~その2

参考までに、これも>「貧乏バイアス」の存在を疑う(笑)


定率減税廃止は実質的に「増税効果だ」と前から言っておろうが。今頃になってあれこれ言うなら、もっと前から文句を言って欲しい>朝日新聞さん


しかも、この増税を推し進めたのは『公明党』だ。あの04年年金改革案に伴って、増税案をやってくれたのは公明党なんだよ。

消費税議論の欺瞞

高齢者の年金に課税を多くしたのは、公明党の年金プランのせいなんだよ。だから、朝日新聞とかが「ヒドイ増税だ!」とか文句を言う第一の相手は、公明党なのだ。公明党の年金プランの為に、定率減税廃止+年金所得者の増税をやったんだよ。



日銀の利上げ観測?

2007年07月10日 13時39分27秒 | 経済関連
またしても一部には「上げてくれ」という関係者たちがいるらしい。市場関係者たちは「8月利上げ予定」で既に「有り金」を仕込んできたので、今更「まだやらないよ」とか言われても困る、ということですか。そういうことですか?これは冗談ですけどね。でも、そうも市場が催促している、というような煽り記事はマズイんじゃないの?


この前、パッと見でアレ?と思ったのが、こちらの見出し。

Yahooニュース - 産経新聞 - 日銀決定会合 利上げ提案も

11日から始まる日銀の政策委員会・金融政策決定会合で、一部の政策委員から利上げ提案が出されるのではないかとの観測が市場に広がっている。今月下旬に参院選投票を控え、利上げ提案がなされても否決される可能性が高いが、市場の早期利上げ観測が勢いを増すことにはなりそうだ。

6月の日銀企業短期経済観測調査(短観)は景況感は横ばいながら高水準。今年度の設備投資計画も上方修正となった。日銀は昨年以降の2度の利上げの影響も「ほぼ順調に吸収されている」(幹部)とみている。市場では第3次利上げを織り込む動きが進み、長期金利も春先から上昇基調だ。利上げ提案観測が出ているのはこのためで、今回の決定会合で一部の政策委員が政策金利の据え置きに反対し、「利上げ提案を行うかもしれない」(東短リサーチの加藤出チーフエコノミスト)という。



市場に広がっている、って、それは自分たちが「広げている」んじゃなの?(笑)
また加藤派かよ、というボヤキが聞えてきそうです(笑、そんな派はないでしょう)。勿論冗談ですけど。産経と加藤派は何かあるのでしょうか?毎度のように、「利上げだ、利上げ」というのを、セットで出しているみたいですけど。これって、かなり以前からそうなんですよね。私がブログを書き始めてからしか見てないですが、量的緩和解除前とかも「利上げだ、利上げ」と一緒に言っていましたし。またしても札割れだ、とか。


参考までに、他の記事を見るとちょっと雰囲気が違うんじゃないか、って感じなんですけどね。

ロイターの9日の記事>
Yahooニュース - ロイター - 今週の外為市場、8月日銀利上げ観測に手探り

前日銀理事(国際担当)の平野英治トヨタファイナンシャルサービス・エグゼクティブバイスプレジデントは4日、ロイターのインタビューに応じ、日銀の利上げについて、必ずしも8月まで待たなければならない根拠はないとの認識を示し、7月利上げの可能性を否定しなかった。
 しかし、市場の大勢は8月利上げを織り込んでいる。ある邦銀関係者は「今週の決定会合で、例えば政策委員の何人かが(金利据え置きに)反対票を投じるなど、8月利上げに向けどう地ならしするか注目している」という。そのうえで「利上げのペースが年度内2回の観測から3回になれば、市場全体に影響がある」と話している。
(中略)
12日は参院選の公示日でもある。「消えた年金問題」で与党惨敗の観測も浮上しており、政治日程と利上げ時期が微妙に絡むため、金融政策への影響を懸念する声もある。




あと、コレ>
Yahooニュース - ロイター - 日銀会合で「シナリオ通り」確認へ、生産・物価で詰め

「生産の数字が芳しくなく、物価もサービス価格がなかなか上がってこない」????。日銀幹部の間では、経済情勢についてこうした声が少なくない。最近発表された経済指標の中で、鉱工業生産が1─3月の悪化に続いて4、5月も前月比低下した。
 また、消費者物価(CPI)は6月の東京都の結果をみると再びマイナスに転落、食料・エネルギーを除いたベースでもマイナス幅が拡大している。こうした動きについて「予想をやや下振れている点」としてあげる幹部が目立つ。
 「急いで利上げしなければならないという状況は見えない」という日銀内のコンセンサスは変わらず、7月の会合を控えて多くの政策委員は「経済・物価情勢について、いくつか確認したいことが残っている」としている。さらに8月半ばに発表される2007年4─6月期の国内総生産(GDP)統計などを待ってから判断しても遅くはないとの声が出ている。




で、10日の記事>
Yahooニュース - フィスコ - 「為替」 日本の8月利上げ観測で円下げ渋る、原油8営業日ぶりに下落/ニューヨーク外国為替市場概況




つまり、産経の記事は市場の攪乱要因といいますか、「釣り見出し」みたいなもんでしょうか?「利上げ提案も」って、確かに微妙な言い回しなんですが、どうも臭うわけです。「早期利上げ観測が勢いを増す」というのも、操作の一種なのではありませんか?ということです。アヤスイ。

陰謀論好きな私としては、どうしても勘繰ってしまうんですよね。




「目標、目標」って言わない方がいいのかも(笑)

2007年07月09日 21時21分50秒 | 経済関連
昔流行ったらしいフレーズの「ケセラセラ」みたいな、大竹先生の面白いお話。

大竹文雄のブログ 明日は明日の風が吹く

(一部引用)

ギャンブルで毎回の損益を絶対マイナスにしないように、決めているとしよう。競馬の最終レースまでの間に負けが込んでいたなら、最終レースで大穴を狙いにいってしまうかもしれない。パチンコで3時間やって負けていた場合も、大当たりを狙って、もう1時間挑戦してしまうかもしれない。どちらも、とても危険な行動だ。毎日の目標額を決めて行動するという「計画的な態度」が、悲惨な結果をもたらすのは不思議かもしれない。

 このように「計画的」にみえるのに、うまくいかないのは、計画の期間が間違っているからだ。人生はその日一日で終るわけではない。ツイている時もあれば、ツイていない時もある。長期的にみれば、ツイている時に頑張って、ツイていない時には他のことをしたほうが得なのだ。計画をもっと長期の観点で立てて、日々の計画は長期の利益を最大にするように行動すればいい。




是非とも原文をお読み下さい。
経済学に関係なく、読み物として面白い。
人間の行動というのは、まだまだ研究の余地がたくさんありそうだ。

因みに、自分を振り返ると無計画といいますか、あまり目標へのこだわりはないのが良くないと思っている。物事を計画的にやるのが結構(かなり?)難しい。自分の「気の向くまま」ということが多かったりするかもな、と。その点、ウチの子を見ていて感心するのは、私と全くの正反対なことかな。自分が中学生だった頃よりも、はるかにまともだ(私が酷すぎただけなのかもしれない)。

これまでの自分の感覚だと、短期的にであっても仕事を計画的にこなす方がいいような気がしていたのだが、次のフレーズがズンと来た。
『でも、短期計画の達成に集中することが馬鹿げている場合も世の中には多い。』

まあ、自分では到底守れそうにないし(禁煙にチャレンジできないくらいに意志が弱いからね、笑)、できっこないんだけど、先入観で思っていたことはどうやら正しくないみたいだ。私が馬鹿げているのは、いつものことだが。


そうか、自分の行動パターンというか行動特性を理解することは、落とし穴に嵌る確率を、そのリスクを軽減してくれるのかもしれないから、自分自身が知ることは大事ということなのだ。それが一番の効用なのかもしれない。



車を売りたきゃ金をくれ!~by 家なか子

2007年07月09日 18時07分43秒 | 社会全般
日本市場での新車販売は大苦戦ということらしい。

んーー、これって、天罰とちゃうの?


これは冗談ですけど、どうなんでしょう。
トヨタがアイデア募集するくらい、本当に困っているらしい。
なので、単なる私見ですが考えてみます。


1.新車販売が厳しい理由(ワケ)

1)品質向上

最も誰でも直ぐに思いつくのがコレ。
かつては新車のモデルチェンジサイクルは早かった(4年くらい?)のですが、今はやや長めとなってきました。そして、旧モデルであっても耐用年数は伸びているので、新モデル投入でも買い替え需要喚起には繋がっていない面があるのかもしれません。これが達成されてきたことは、日本の技術力のが総合的に向上したということであり、技術水準の結晶が顕れているものと思います。部品の一個一個、電気系統とか制御コンピュータとか、ありとあらゆるものの品質向上が達成された、ということです。なので、全然壊れない(笑)。調子が悪くなったりしてあまり不都合を生じないので、別に困ることがなく買い換える必要性を感じない。満足度が高ければ、特に新しい車が欲しいとも思わない。そういうようなことかな、と。

昔、先輩が車を修理に出したので代車が来てたことがあった。あのミラージュ(笑)だった。野郎ばかり3人(うち1人が私だ)乗っていたら、真冬だったせいか信号待ちで止まっていたらエンジンが止まってしまった。あれ?となったのだけど、エンジンがかからない。結局修理工場の人に取りに来てもらったら、バッテリーが上がっていた。一同、なんだよー、って感じだったが、イマドキあんなことは見たことも聞いたこともない。ついさっきまで普通に走っていたのに、信号待ちで止まっただけでこれかよ、ってなもんですよね。一つ一つの品質向上って、そういうようなことの積み重ねなんだよね。タイヤのホイールとか、昔メチャ重かったし。今はスケスケだ。馬車か大八の車輪みたいなもんだ。燃費向上って一口に言っても、軽量化とか燃焼効率向上とか、ビス穴一つとか、板部品の薄さ0.1mmとか、そういう細かい積み上げで、技術者たちのこだわりの結晶だろうと思うのですよ。なので、基礎的技術水準(あらゆる分野に共通するベースの水準)が底上げされ、それらに支えられる工業製品の品質も良くなって当然なのだろうな、と。


2)中古市場拡大

1)の恩恵の結果、耐用年数が延長されたので中古市場が拡大することになるでしょう。アメリカみたいに、千ドル以下で買える車というのは少ないですが、恐らく海外に売られているのでしょう。日本車は品質がいいので、かなりの年数乗れると思います。そこまで行かない、10年以内程度の中古はかなり出回っています。ディーラーの下取りがあるから、ということも関係するかもしれませんね。新車と中古から選択となれば、新車の買い替えサイクルは延長していくことになるのではなかろうか、と。

ところで、外車は「ああ、カッコいいな」と思っている車種はありますが、どうも故障の噂が多いイメージ。特に、英米圏(会社の身売りで本当の本社は変わってしまったけど)。新車で買ったのに、1年もしないうちに「工場行き」というのは(勿論事故じゃないよ)、遭遇(友人知人界隈だけど)確率が結構ある。心の中では、「やっぱ、○○人はどうも信用ならないな。移民労働者をこき使ってるからこうなるんだYO!」とかこっそり思っていたりする。大体が、日本人に比べ不器用な連中が多いイメージ。中古の外車は要注意、と思っていた方がいいような気がする…。


3)若者の生活スタイル変化

一つ大きな要因としては、人口減少社会の影響で若年層の実数が減ったことがあるでしょう。18歳過ぎの潜在需要者が毎年「車市場」に新規参入してくるのですが、確実にこの数が減っているのですからね。仮に、平均的に「20歳男性の15%が車を買う」ということが毎年起こっていたとしたら、20歳男性の数が90万人いる時代と60万人いる時代では、前者なら13万5千台売れるが後者では9万台しか売れないということ。マーケットの新規参入者が減っているのだから、潜在需要は減る可能性が高いように思える。

別な視点では、若者の持っているお金が減っていることがあるかもしれない。平均的に収入が少なくなったので、新車には手が届かない為に、中古で調達するようになる、ということかと。特に男性の収入減少の影響が大きいと思います。失業とかフリーターとか(所謂ニートとか)で、車を買えない可能性が昔よりも高まったのではないかな、と。

ちょっと変な方向ですけれども、暴走族さえも減っているとのことで(高齢化が著しいらしいし、笑)、かつては「車を買っていた層」というのが確実に減少したであろう。車雑誌の発行部数とか判りませんけれども、車やバイク(オートバイの方です)の雑誌が休廃刊があったとか、部数減少傾向が明らかなのであれば、暴走族減少傾向などと整合的なデータであるかもしれません。昔のように「車いのち」と思って、生活は貧乏でも車だけには金を注ぎ込みたい、というような若い男性はかなり減ってしまったのではないでしょうか。今は、それが「萌え」だの「アキバ系」だのといった、別な分野に変わっていったのではないか、と。

で、持っているお金が減ったことは生活スタイルにも影響していて、どうも室内で過す若者の数が増えている傾向かもしれません。出かけるお金がもったいない、ということです。主に室内で、携帯使ったり、メールしたり、ネットしたり、DVD観たり、ゲームしたり、ということかと。昔みたいに、デートで「ドライブに行こう」とかって誘う人は、めっきり少なくなったのでは?ネット、通信、ゲームや映像関連への支出が増加した分、他で減らすしかないので車やバイクに投入されるお金は減ることになったのではないかな、と。彼女と一緒に車内で過す時間よりも、携帯メールをしている時間の方が多くなったのでは、というようなことです。若者にとって、新車に資金を投入する優先順位は「大幅に低下した」ということです。


4)都心回帰

仕事を求めて地方の若者は都会を目指して転居してしまい、地方から減って行ったのでは。更に、都会でも不便な周辺部に生活していた人々は都心方向への移住が増加し、鉄道などの都市交通が充実していれば沿線生活で十分事足りるので、車の必要性があまりない、ということになったのかな、と。これは都市集積化の恩恵ということにもなるかも。車の台数が減るから、環境には良いはずでしょう。メーカーにとっては車が売れないのも辛い、ということなんでしょうけどね。


5)法人や官公庁の台数減少

昔はバ○でも××でも、公用車みたいなのとか、黒塗りだったりしていたでしょう。会社の社用車とかも、それなりにあったはずなのですが、これらの需要が減った可能性はあると思います。特に官公庁では公用車廃止とか削減の動きが多かったですし、市町村合併だけで数千台規模の需要減ということになるかもしれません。社用車がなくても活動できる仕事が増えれば、「自分の足で営業」みたいなものが減ることになるので、法人所有の台数を削減することになります。それらの入れ替えというのがあまり行われなくなった、ということかと。それと、中小企業オーナークラスのお金がなくなった、というのもあるかも。かつては、オヤジ風会社社長といえば、クラウンとかセドリックに乗っていたもんで、そういう中小企業オーナーたちが買えなくなってきた、ということなのかな、と。


6)地方の疲弊、収入減

上の5)にも関連するかもしれません。東京みたいな都会であると都市交通網が発達しているので車はあまり必要ないと思いますけれども、地方では公共交通自体が未整備であるので、車がないと大変不便なのです。時間が無駄になってしまいやすいのです。なので、自家用車を必要としていることが多いでありましょう。けれど、若者が減った(都会へ出る、出生数減)+残っている若者は金がない+(かつて買い与えていた)親や祖父にも金がない、というようなことで、売れなくなってきた可能性はあるのかな、と思いますね。東京で生活するなら、車なんてなくてもあまり不便を感じないでしょう、きっと。でも、地方は違うんですよね。地方の人々の購買能力が失われていけば、必然的に売れる数は減っていくでしょう。

今後の人口減少傾向が継続すれば、地方は廃れていくし、買う人々は減る一方になるので確実に売れなくなるでしょう。地方の所得が増えなければ、やはり売れなくなるでしょう。


2.売れるようにするにはどうしたらよいか?

自工会の社長さんたちは、「道路、道路」と言って道路に金をかければ車が売れると勘違いしているのかもしれないが、全然違うんですよ。虫かごがどんなに立派でも、入れるカブトムシがいなけりゃ、ただの箱だろ、っての(爆)。これも前に書いたけど。企業がきちんと従業員たちとか下請け中小企業とかに「金を出せ」ってことなんですよ。給料を上げてやれ、ってことなんですよ。若者たちを雇ってあげて、給料を払ってやれ、ってことなんですよ。

でも、これは自動車メーカーばかりのせいじゃないから、仕方がないんですけどね。労働者たちの「給料・収入が上がっていくであろう」という未来予測とかが大事なのですよ、根本的には。それには、ある水準で「物価が継続的に上昇していくこと」というのが必然なのですけれども。この「給料上がる」「消費増える」「物価が上がる」「企業利益増える」「給料上がる」消費増える」「物価が上がる」というような、正のフィードバックと言いますか、水車が一定方向に回っていくように、経済の水車が回っていかないとならないんですよ。これが長きに渡るデフレ期間で、逆回転になってしまったんですよ。人々の考え方も、その逆回転に合わせるようになってしまっているんですよ。これを解き放つのは、容易ではありませんよ。

日銀がバブルのトラウマを未だに引きずって、その恐怖心を払拭できていないように、人々の生活があれほど破壊され、自信を喪失し、自分たちのかつての姿を見失い、将来の不安に怯え、悩み、迷い、希望を失ったのですから、その深刻な心的ダメージは計り知れないものがあるでしょう。その傷がまだ癒えていない人々が大勢いるんですよ。だから、誰かが手助けしてあげなければならないのです。立ち直れるように、傷を手当てしてあげて、心を癒してあげて、不安を少なくしてあげないとならないのですよ。それができるのは、本来的には日銀とか財政当局であったはずなのに、自らの責務を取り違えて経済政策、日本の運営を誤ってしまったのです。だからこそ、その失政の責任が大きい、そのことの意味が判っているのですか、と言っているのです。

企業経営者たちも、同じく苦悩し、地獄の苦しみを味わったこともあったでしょう。それは判ります。けれども、弱き人々は自分の力で完全治癒せよ、ということを求められても、難しいんですよ。自力で立てないくらい、ダメージを受けた人たちだって大勢いるんですよ。だからこそ、強きものたち(=優秀な企業群のことだ、日本の誇る企業群のことですよ)が風雨を遮ってあげることが大事なんですよ。そうすれば国内消費は増加し、経済活性化の道が開けてくるはずでしょう。けれども、その役割を多くの企業が一斉に放棄した。誤った経営思想を吹き込まれ、「切り捨て」の方向にだけ偏り、持っていたものを失ったのです。企業なんて、人が死んだら、ただの入れ物なんですよ。輝くバッジが仕事をするわけじゃない。バッジの中に込められた、先人たちの思いの全てが、後進の「人間」たちに継承されていくんだよ。思いを失ったら、バッジはただの金属塊になってしまうだけなんですよ。「人間」を失うとは、思いを失っていったのと同じことなのですよ。企業を支えていたものは、企業の人間たちだったじゃないか。

話がずれてきたので、また別の機会に。


いずれにせよ、上記理由によって、新車は売れなくなったのではないのかな、と。
売れるようにしたいのなら、企業が金を出せってこと。給料を上げてあげなさい、若者に仕事をどんどん与えなさい、地方にこそ仕事を持って行きなさい、ということかと。
ディーセントな仕事を作り出してあげることこそ、最大の「販売戦略」なんだってば。東南アジアとかでもそうなんじゃないの?仕事を生み出してあげることで、車の購買層が生み出されるのでしょ。

特に経団連とか経済同友会のような「強力な経済団体」でこそ、企業が従業員たちに金を払うんだ、取引企業にも払うんだ、ということを浸透させていくべきだろう。キャッシュを持つことが正しいのではない、良い使い方ができてこそ意味があるというものなのだよ。金庫に金をいくら積んでおいても何も生み出さない、って前から言ってるでしょ(金は天下の・・・)。


大体、「下請け」って発想が間違ってるんだよ。仕事のパートナーなんだよ。プロ同士が互いの仕事をきっちりやっていくってことでしょ。ただ見かけ上は片方が大きくて有名なだけだ。大企業と下請けって関係は、大企業側が偉ぶってるだけに思えるね。
フランス料理店で、「オレは2千円ポッキリしか払わないけど、有名ホテルのシェフ並みのフルコースを出してくれ」とか言うのかね?ずうずうしいんだよ。いい仕事を求めるなら、当然それに見合う対価を払えってことだ。安くしか払わないのであれば、当然それに見合う仕事だけしかできないに決まってる。大企業のお偉方ってのは、本当にそういうことが判っているのか?2千円ポッキリで、ってみんなが値切り続けて、結果今の日本経済の状況をもたらした、ってことだよ。


段々脱線が酷くなったな。ゴメンね。



不良少女って、最近廃れ気味なのかな?

2007年07月09日 11時29分34秒 | 俺のそれ
特別な意味はないけど。

REVの日記 はてな - なんか増田で経済論議


>不良少女が一杯。

まだちょっとよく判らない「不良少女(白書?)」論。



>連鎖倒産乙、怒りの葡萄かも。

うむ。うむ。
泣けてくる。


大きく外れるけど、
自分の場合、大抵は「物語」の中でしか理解してこなかったので(水戸黄門とか、笑)、例示が低レベルなのだ。

これまで登場した過去の人とか著名人とか偉人とかだと、殆どが小説とか漫画水準。



昔は、不良少女が主役のドラマとか結構あったけど、最近は見かけないな。
暴走族の衰退と伴に、不良少女も消えていったのだろうか?

「スケバン刑事」みたいな格好の人は、めっきり見ないな。
長いスカートの学生服とか。
不良っぽい髪型とか。


見かけは普通で本当は「スケバン」、みたいになってしまったのかもしれない。
ステルス・スケバン?(言いづらい…語呂わろし)
隠れスケバン?
ふりやうせうぢよ?(なんかかわいい…)


ひょっとして、最近の若者は不良が相対的に減って、品行方正となって、礼儀もルールも守る人の方が割合的に増えたのではなかろうか?

ウチの妻も、最近の若い子は偉い子がたくさんいる、逆に、おじさんおばさんの方が(まあ、我々もその部類に入ってきているのだが)ルールやマナーを守らない人を多く見かけるとか言ってたし。