昔流行ったらしいフレーズの「ケセラセラ」みたいな、大竹先生の面白いお話。
大竹文雄のブログ 明日は明日の風が吹く
(一部引用)
ギャンブルで毎回の損益を絶対マイナスにしないように、決めているとしよう。競馬の最終レースまでの間に負けが込んでいたなら、最終レースで大穴を狙いにいってしまうかもしれない。パチンコで3時間やって負けていた場合も、大当たりを狙って、もう1時間挑戦してしまうかもしれない。どちらも、とても危険な行動だ。毎日の目標額を決めて行動するという「計画的な態度」が、悲惨な結果をもたらすのは不思議かもしれない。
このように「計画的」にみえるのに、うまくいかないのは、計画の期間が間違っているからだ。人生はその日一日で終るわけではない。ツイている時もあれば、ツイていない時もある。長期的にみれば、ツイている時に頑張って、ツイていない時には他のことをしたほうが得なのだ。計画をもっと長期の観点で立てて、日々の計画は長期の利益を最大にするように行動すればいい。
是非とも原文をお読み下さい。
経済学に関係なく、読み物として面白い。
人間の行動というのは、まだまだ研究の余地がたくさんありそうだ。
因みに、自分を振り返ると無計画といいますか、あまり目標へのこだわりはないのが良くないと思っている。物事を計画的にやるのが結構(かなり?)難しい。自分の「気の向くまま」ということが多かったりするかもな、と。その点、ウチの子を見ていて感心するのは、私と全くの正反対なことかな。自分が中学生だった頃よりも、はるかにまともだ(私が酷すぎただけなのかもしれない)。
これまでの自分の感覚だと、短期的にであっても仕事を計画的にこなす方がいいような気がしていたのだが、次のフレーズがズンと来た。
『でも、短期計画の達成に集中することが馬鹿げている場合も世の中には多い。』
まあ、自分では到底守れそうにないし(禁煙にチャレンジできないくらいに意志が弱いからね、笑)、できっこないんだけど、先入観で思っていたことはどうやら正しくないみたいだ。私が馬鹿げているのは、いつものことだが。
そうか、自分の行動パターンというか行動特性を理解することは、落とし穴に嵌る確率を、そのリスクを軽減してくれるのかもしれないから、自分自身が知ることは大事ということなのだ。それが一番の効用なのかもしれない。
大竹文雄のブログ 明日は明日の風が吹く
(一部引用)
ギャンブルで毎回の損益を絶対マイナスにしないように、決めているとしよう。競馬の最終レースまでの間に負けが込んでいたなら、最終レースで大穴を狙いにいってしまうかもしれない。パチンコで3時間やって負けていた場合も、大当たりを狙って、もう1時間挑戦してしまうかもしれない。どちらも、とても危険な行動だ。毎日の目標額を決めて行動するという「計画的な態度」が、悲惨な結果をもたらすのは不思議かもしれない。
このように「計画的」にみえるのに、うまくいかないのは、計画の期間が間違っているからだ。人生はその日一日で終るわけではない。ツイている時もあれば、ツイていない時もある。長期的にみれば、ツイている時に頑張って、ツイていない時には他のことをしたほうが得なのだ。計画をもっと長期の観点で立てて、日々の計画は長期の利益を最大にするように行動すればいい。
是非とも原文をお読み下さい。
経済学に関係なく、読み物として面白い。
人間の行動というのは、まだまだ研究の余地がたくさんありそうだ。
因みに、自分を振り返ると無計画といいますか、あまり目標へのこだわりはないのが良くないと思っている。物事を計画的にやるのが結構(かなり?)難しい。自分の「気の向くまま」ということが多かったりするかもな、と。その点、ウチの子を見ていて感心するのは、私と全くの正反対なことかな。自分が中学生だった頃よりも、はるかにまともだ(私が酷すぎただけなのかもしれない)。
これまでの自分の感覚だと、短期的にであっても仕事を計画的にこなす方がいいような気がしていたのだが、次のフレーズがズンと来た。
『でも、短期計画の達成に集中することが馬鹿げている場合も世の中には多い。』
まあ、自分では到底守れそうにないし(禁煙にチャレンジできないくらいに意志が弱いからね、笑)、できっこないんだけど、先入観で思っていたことはどうやら正しくないみたいだ。私が馬鹿げているのは、いつものことだが。
そうか、自分の行動パターンというか行動特性を理解することは、落とし穴に嵌る確率を、そのリスクを軽減してくれるのかもしれないから、自分自身が知ることは大事ということなのだ。それが一番の効用なのかもしれない。