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医療費の分析~その1(追記あり)

2005年10月10日 18時57分28秒 | 社会保障問題
1)はじめに

医療費のマクロ指標に基づく総額管理が現状での課題となっている。今までにもいくつかの論点を提示してきましたが、経済財政諮問会議の意向としては、まず削減という方向性に変更はないようです。これはミクロ的にはある程度止むを得ない面もあります。抵抗勢力と目されている厚生労働省や族議員、医師会等の抵抗を排除したという実績が形としてもまず求められる、ということは政治的側面で見れば理解出来得ることではあります。しかしながら、見せしめ的な予算カットというのは、短期的に相当額をもって行えばそれなりの弊害も多くなってくるでしょう。


現在考慮されている5%水準のカット幅というのは、例えば小売でいえば百貨店とコンビニの合計年間売上高約15兆円を単年度で2.5%抑制するというものです。売上高経常(or純)利益率がどの程度か分りませんけれども、普通は数%以下でしょう。例えば老舗の三越さんだって売上高純利益率は僅か1.25%しかありません。イオンでは0.11%、収益力の強いとされる伊勢丹でも2.56%でしかありません。つまり、年間市場規模30兆円のうち、売上高5%カットで1.5兆円の給付削減、国庫負担レベルでは3500億円削減程度の効果しか持たなくとも、市場全体で見れば相当厳しいカットと言えます。


物販や製造業などでは、好景気などによって増益となる年も勿論有り得ますし、今の鉄鋼業界のような特需要因も発生する場合があります。しかし、医療というのは、景気が良くなったからといって、もっと病気になってみようかな、という人もいないでしょうし、景気がいいのでもっと薬代を払いますよ、とかっていうこともないのです。ボーナスが増額されるということもありません。基本的に、そういう景気動向とは無関係に運営されているのです。


前から言っていますが、もしも経営的にもっと改善の余地があり、上手く運営すれば単純に売上高を削っても運営できるんだ、というならば、まず見本を見せてくださいよ、と申し上げている訳ですが、これもおやりにならない。現実に公的病院等の全ての補助金を切って運営させてみればよいのです。勿論施設整備費とか補給金などを全部切っても、普通に運営できるはずですよね。どうしてそれをおやりにならないのですか?きちんと運営できるビジネスモデルを見せてくださいよ、と申し上げているのです。剰余利益がないということは、いずれ建物がボロくなったりしても建替費用もない、新しい医療機器も買えない、と、そういうことなのですね。



構造的問題もありますし、一部には労働集約型の産業に人員を多くとるのは労働生産性が落ちるのでよろしくない、というご意見もあるようです。確かにそういう業種に多くの人員を充てるというのは、日本全体で見ればよくない面もあるかもしれませんね。しかしながら、日本人全員が高い労働生産性だけの業種に従事しているかというと全く違いますし、能力が全員同じであればそりゃカッコイイ「カタカナ職業」とか、多額の金を右から左へと動かすような大きな取引などだけの職業に全員が就けばよいのです。やれるもんならやってみろ、と言いたいですけれども。はっきり言えば、半分以上の国民は、そんな大きな仕事はやっていないし、生産性が高い職種などに就けるほど求人需要もないだろうと思いますよ。もっと限定して、就業人口の半分以上はそんな職業になんて従事していない、ということを言っているんですよ。もっと切実な問題で、固定給がもらえるかどうかの瀬戸際の人々は沢山いるかもしれませんけれども。


労働集約型産業に雇用を増やしてそこに多くの人員が就業するのはよくない、と言った人は誰か発表して欲しいですね。どこのドイツが言ったのか、教えて欲しいものです。それならば、「お前が高い労働生産性の基幹産業を作れ。就業の需要を満たせるような環境を作ってみろ」って直接言ってあげますよ。多くの人々は、それはキレイな服を着て、手も汚れず、高い給料を貰えるクリエイティブなカッコイイ仕事に就きたいと願っていることでしょう。普通にそう思いますよ。ですがね、世の中そんなに甘くはないでしょうよ。何処にそんな仕事が余っていて、求人不足の業種がありますか?是非教えて欲しいですよ。今後、そういう仕事がごっそり余り、例えば今までフリーターやニートだった人とか結婚・出産後の女性や定年退職後の人達も生産性の高い仕事に就けるなら、そりゃもう大喜びですよ。労働集約型産業以外に、生産性の高い就業先をキッチリ用意してくれるでしょうから、そういう優秀な人には是非とも厚生労働大臣になってもらい、雇用・労働問題を解決して欲しいですね。絶対応援してあげますから。ですので、是非教えて欲しいということですね。


頭で考えたり、知識として知っていることは大切だし、理論として大事なことも沢山あるでしょうね。ですが、社会の底辺を見たことも聞いたこともなくて、多くの人々がどうやって仕事をし、生活しているかがまるで思い浮かばないか、知らないか、想像力すらない人が、政策を考える時には、こういうことをまず言うんですよ。労働集約型産業について、教科書的一般論を言うのは学生でも出来るんだっての。教科書通りで何でも解決出来るんだったら、誰も苦労はしないだろ。誰も失業しないし、失業で苦しんだりせずに済むんだっての。


医療や介護の需要は今後も大幅に減少したりはしない。人口比で65歳以上が今の20%くらいから30%超になっていく過程では、2400万人から3600万人に増加していく。疾病率が多少は減少したとしても(予防効果などで)、病気の人が半分以下などには直ぐになったりしない。つまり、同じ病気になる実人数が普通に言えば1.5倍となるけれども、うまく予防できて発病を2割削減できたとしても、1.2倍に増加する。例えば脳血管障害患者(所謂脳卒中とか)が現在毎年30万人ずつ発病(全くのいい加減な数字ですから。実情は知りませんから)だとすると、3600万人時代には今と同じに行けば年45万人に増えるが予防がうまく行って9万人減らせたとしても36万人は発病することになるのである。この36万人に対する治療やケアなどが不必要になるわけではなく、現在の医療サービス、例えば看護師1人当たりの受け持ち患者数が限界である時、必ず看護師の増員が必要となるのです。介護にしても、如何に効率化を図るといったって、1人の職員が一定限度以上のサービスを物理的に担当出来ないということです。ケアマネージャーだって、受け持ちを1人で千人とかには出来ない、ということです。結局そこには人員配置が必要になるということを言っているのですよ。


その時に、専門職の1人当たり単価の高い人員(例えば医師、看護師、薬剤師、・・・)を全部に今と同様に配置するよりも、専門性はやや劣るが単価の低い人員を配置する方が有利だ、ということを言っているのです。前にも書きましたが、専門性によって仕事の壁が作られている、これを少し弾力化して人件費抑制に作用させた方が、事故も防げるようになるかもしれないし、サービス自体は向上するかもしれないですよ、ということを言っているんです。予算の関係で総額をキャップ制にして抑制したからといって、医療サービスの総量自体を大幅に減少させられるというものでもないでしょう、と言っているんですよ。


医療・介護への予算を削減すればそこへの雇用も減らせるし、生産性の低い労働集約的産業に人口減少で貴重となるであろう人的資源を配分するべきではない、と主張するのであれば、それなりの適正化策を出せと言いたい。いっそ、全国の均等な計画的配置に変えることにしたまえ。人口当たりで担当ゾーンを設定して、圏外には受診できないようにして全医療関係従事者の仕事量を均等化するんですね。それをやっても、一人当たり仕事量にはバラツキがあるけれど、でも最大の限界仕事量に最も近づけるかもしれんぞ?


前に書いたが、団塊世代引退などで、これから10年で700万人以上退職するから空きは出来る。次の10年で500万人が労働人口(15~65歳)から減る。この時に、どれ位の需要があるか、だな。被用者保険に加入しているのは、現在でも高々4千数百万人くらいだろう。非正規雇用者などが高齢就業者に置き換わっていけば、正規の雇用は条件がよくなるかもしれないが、女性が就業を続ける環境さえ整えば、空きが大幅に増えるということもないのではないか。2025年頃では、ざっと言うと総人口1億2100万人で、うち65歳以上が3470万人くらい、15~65歳が7230万人だ。現在仕事をしているのは、6400万人くらい。15~22歳のうち学校に行く人もかなり多いので、その分ざっと800万人を引くと6230万人となるな。男女比が半分で女性の就業率が7割とする、女性労働者数が2180万人、男性3115万人の合計約5300万人となる。他に22歳以下の就業者が約3割とすると240万人だから、合計5540万人となる。65歳以上の2割が就業すると約690万人となって、合計6230万人ということになりますね。これは90年頃とか05年の第一4半期の就業者数と大体同じくらいだ。つまり過剰雇用感が大体解消されていく、女性は大体働く、という時代に入ることになるでしょうね。


長くなったので、一度載せます。


追記:

また追加で申し訳ありませんが、この数十年間平均寿命は延び続けました。これはどういう意味を持っているのか、経済学者はどのように考えているのでしょうか?


医療水準の上昇によって、国民の生命と時間を得るコストを医療費という形で支払ってきたとも考えられるのではないでしょうか。これは医療費の価値が昔と同じである時、得られた成果がそのまま資産という形で残っていることと同じと考えることは出来ないでしょうか。つまり、30年前に仮に1万円という費用がかかっていて、今それと同じサービスが2万5千円である時、30年前の経済水準と今の経済水準で比較して、同じように2.5倍になっているとしたら、30年前に60歳の寿命であれば今も60歳であってもよいわけです。これが80歳に延長されている場合には、20歳増加分について医療サービスのコストが上昇していても当然と考えられるのではないかと思いますが。この20歳延長という価値をどのように評価するかということですね。


また、寿命が延長されれば、医療費は当然のことながら増大します。1人当たりの生涯医療費は増大してしまうということです。判りやすいのは、ガンでしょうね。現在の死因で多いのは悪性新生物です。つまりはガンとかの悪性腫瘍で亡くなる方が多い、ということです。加齢によってガンの発生率は高くなることが知られています。長生きする人が増えれば増えるほど、こうしたガンの患者数は増加してしまいます。人口増加には影響されずに、ということです。ですから、仮に昭和10年生まれの人と、昭和25年生まれの人をそれぞれ100万人ずつ調べてみると、1人当たり生涯医療費を比較すれば(物価がどちらも同じで一定であるとして)後者の方が多くなってしまうでしょう。それだけ長く生きる人が多いからです。


この他、救命できる病気が増えれば、これも医療費の増大要因となり得ます。例えば結核等の感染症で死亡する人が減少すれば、昔みたいに早死にしないので、その後にガンとか心臓病で死亡したりすることになると生涯医療費は増大するでしょう。最も影響しそうなのは脳血管障害でしょうか。救命出来るようになればなるほど、大きな機能障害は残りながらもその後に生活していくことが出来る人が増えます。これによって、原疾患の医療費もそうですし、他の病気になったり、リハビリや介護の為の費用もかさむことになります。つまり助かる人が増加することによって、逆に生涯医療費は増えていくことになるのです。一生健康で過ごして、ポックリ死ぬことなど多くはないのです。産業事故などの死亡減少(炭鉱事故とか鉄道事故・・・などかな)とか若年時代の病気(例えば遺伝性疾患や先天性疾患)での死亡が減少したりとか、そういうことでも生涯医療費は増加することになります。


このようにしてみると、医療水準が向上してきたことによって1人当たりの生涯医療費が増加することになってしまいます。それは助けるということに起因しています。電卓やコンピュータの性能などに見られるように、昔よりもはるかに安くなり、品質向上もあったような産業というものは、目に見える形で(=物質的な形で)残されてきたし、大きな利益を生み出してきました。ところが医療というのは、あまり目に見える形としては残っておらず、利益もそれほど生み出してはこなかったかもしれません。それは国民の生命や健康などという判り難い形としてその成果が残されてきたということです。寿命という時間を得る為の対価として医療費コストが消費されてきたことを考えると、この経済学的評価はどのようなものなのか、私には判りません。


「その1」ということにしましたので、次の「その2」では実際の数字を挙げて検討してみたいと思います。



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