いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

知らないヤツラが悪いのさ

2007年07月08日 23時59分34秒 | 俺のそれ
正確に考え、判断して、法律も制度も、

よく知っていないことが悪いのだ。

知らないヤツが悪い!

知らずに騙されるヤツが悪い!

判らないヤツは知るコストを払ってないから、

その分損するのは当然なのだ!

うっかり、誰かを信じたら、

知らなかったオマエが悪い、と言われた。

知らずに払うのが間違いなのだ、

知らないから貰えないのだ、

そうして、騙される人々がむしり取られる。


お上だけは信じられるのかと思ったら、

知らないヤツが悪いのだ、

オマエの落ち度だ、

オマエにも責任がある、

と言われて途方に暮れる。

知らないヤツが悪いんだYO!



さっき、テレビを観てて、感じた。
信頼だけでやってきたのに、
酷い話ではないかと思った。




久々の必殺仕事人

2007年07月08日 11時21分01秒 | 俺のそれ
昨夜、必殺シリーズの特別編みたいなのがあったので、観た。

我が家では東山さんの人気が高いので必然(笑)。
シャキーンの格好(笑)でも、時代劇のいでたちでも、カッコイイのである。

必殺シリーズは小学生頃以来だが、随分と経ったものだ。

藤田まことさんをテレビで見かけたのはかなり前だ(十年以上?)。
それと、あの嫁役と母役の女優さん(?さんと、菅井きんさん)が出ていたので、凄く懐かしかった。

筋書きは、昔から悲劇が満載であったが、今回のも例に漏れずそうだった。
泣けた。


名もなき者たちの無念さを知れ、というところであろうか(笑)。
やっぱ、時代劇はいいねえ~



災害共済金を巡る裁判例

2007年07月07日 22時02分40秒 | 法関係
大石英司の代替空港さん経由。

先日コンニャクゼリーの話を書いたのだが、関連する話なので見てみたい。


報道だけ見ているので、考え方が間違っている可能性が結構ありますので、どうぞご注意下さい(笑)。

のどにモチで脳障害、補償金支払い求めた男性勝訴…最高裁 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(以下に引用)

モチをのどに詰まらせたのが原因で脳に障害を負った男性が、中小企業災害補償共済福祉財団(東京)に、災害補償共済の補償金の支払いを求めた訴訟の上告審判決が6日、最高裁第2小法廷であった。古田佑紀裁判長は、同財団に約2100万円の支払いを命じた1、2審判決を支持し、財団側の上告を棄却した。

災害補償共済は、持病が原因で起きた事故には補償金は支払わないと規定している。財団側は「(当時82歳の)男性は高齢で持病もあり、食物をかんだり飲み込んだりする力が不十分だった。モチをのどに詰まらせたのは持病のせいだ」と主張。しかし、判決は「補償金の請求者は、持病が原因でなかったことまで証明する責任はない」として、財団側の主張を退けた。




簡単に事件の概要を整理すると
・高齢男性がモチで窒息し低酸素脳症となって重度障害となった
・災害補償共済を請求したが断られた
・財団側は「モチの窒息は持病が原因」と主張
・災害共済金は持病の事故には補償金支払免責を規定
・請求者側は「持病が原因でないから払え」と主張?
というようなことかな、と。


当該財団を見てみました>よくあるご質問|あんしん財団

この中で、次のような部分がありました(正確には加入の約款を見てみないと判りませんが)。

● 被共済者の疾病、脳疾患、心神喪失、泥酔、犯罪行為、闘争行為、自殺行為又は重大な過失によって生じた傷害

恐らく財団側主張というのは、「被共済者の疾病によって生じた傷害」に該当するので払いません、というものだったのではないかな、と。


<ちょっと寄り道:
この財団って、恐らく経済産業省の天下り先となっているのかと思ったら、全然違ってた。どう見ても怪しいんですけどね。何と、厚生労働省だった。公益法人の多くは、これに類する不可解な組織がたくさんあるんですよ。こういう共済関連の団体がボロボロあって、みんな天下り指定席ということかと。中小企業基盤整備機構みたいな類似組織がいっぱいあって、みんな共済金と称して金を集め、集めた金で「貸し出す」「運用する」で天下り人件費を賄おうってんだからね。しかも、ヘルパーの資格取得まで手がける中小企業関連団体って、要するに「何でもアリ」の存続の大義名分を作りたいだけなんではないかな、と。こんなにイランでしょ、似たような公益法人。
ね?中小企業庁とか経済産業省あたりもそう思いませんか?(笑)
あんしん財団とか書いてますが、全然安心なんかできないんですよ。損害保険みたいなのを官業っぽくやっているだけ。その意味って何ですか?民業圧迫ではないですか?どうなんでしょうか→金融庁どの>


いくつかの論点に分けて見ていくことにする。

①共済金が支払われる時とは

基本的には、偶然発生する「事故、災害」のようなものについて支払われることになっているようである。
HPで例示されているのは、スポーツでケガとか、自分で火傷したとか、交通事故とか、転落事故とかであった。大きく分けると、「他人が原因」というものと「自分が原因」というものがあるが、いずれも支払対象となっている。従って、「過失が誰にあったのか」というのは基本的には無関係である。ただし、上の引用文にもあったように、本人の重大な過失がある場合には支払われないとなっており、この「重大な過失」とはどのような場合なのか具体的には判らない。

普通に考えると、相手方の行為で自分に大きな障害がもたらされると、「相手方」にその損害を賠償する責任を生ずるはずである。判りやすい例は交通事故であろう。加害行為の相手がいるのであるから、相手から賠償金を取るのが当然なのである。それが支払われたとしても、なお災害共済金が支払われるという制度なのであろう。
更に、本人行為であるならば自分の責任なので賠償金は取りようがないのであるが、これが補償されているという制度であって、「重大な過失」に該当することがない限り、本人に何らかの過失が(若干)存在していたとしても支払われる、ということになる。
(「重大な過失」というのは、業務上過失傷害致死で出てくるのと(過失の程度が)同じくらいの意味合いなのかな?)

◎事故や災害の原因となったのが、本人の行為であっても支払われる
◎同じく、原因が相手方行為であっても支払われる


②モチによる窒息は「持病が原因」か?

これはある現象が何に起因するかを考える必要があるだろう。持病というのが一体何なのか不明なのであるが、これが原因であると特定することは、通常ではかなり困難であろうと思われる。例えばタミフル問題みたいなもので、原因を突き止めるのが大変なのと同じである。

まず、モチで窒息する高齢者数はかなり存在しているが、ここで言う「持病と同じ疾病」を有している人ばかりとは限らない。仮にその疾病によって嚥下機能に障害がもたらされていた可能性があるとしても、その機能低下の程度は判らない。「ある疾病Xを有する人は、モチで窒息する可能性が高い(=相当の信頼性のある確度で窒息現象が起こる)」ことが立証できない限り、持病が原因だ、とも言い切れないであろう、ということである。普通は、疾病Xを有している人であっても、殆ど多くの人が「窒息していない」だろうな、とは思う。
少なくとも、「持病が原因だ」と被告(財団)側が主張するのであれば、持病が原因だということを立証するべきであろう。判決でも述べられていたように、「持病が原因ではない」ということを原告側に証明させることは、極めて困難である(笑)。

参考記事でも見たように、高齢者では食物による窒息死はかなり多く、疾病Xを有していなくても死亡しているであろう。高齢とか、疾病Xとか、モチ摂取とか、それらは「窒息のリスク」を高める要因であろうと考えられるが、あくまでリスクであって、財団主張のような「窒息は疾病Xのせいである」とまで言えるものではないはずなのである。偶発的に発生する交通事故と同じようなもの、ということなのである。
例えば交通事故で、自損事故の発生が「高齢ドライバーの割合が多い」ということがあるとしよう。その時に「高齢であったから、この事故が起こった」ということを主張できるのか、ということですよね。自損事故の発生リスクは高いと考えられるとしても、原因ということを言えるわけではない。それとも、持病にある疾病があって、「その疾病のせいでハンドル操作を誤り、自損事故が起こった」というようなことを特定するのはかなり大変である。

◎持病は窒息のリスクを高める可能性のある疾病であったかもしれないが、原因とも言えないであろう。
◎高齢やモチ摂取ということが窒息のリスクを高める要因であった可能性はある、と言えるであろう。


③もしも…

私が被告側弁護士だったら(って無謀な仮定なんですけど、笑)、何と主張したのか書いてみたい。
被告側主張は、「高齢、持病が原因であった」ということですが、これに無理があったことは明らかであろう。②で見た通り、被告側が自己の主張を立証するとなれば、かなりハードルが高いことは直ぐに判るはずである。なので、主張するとすれば、「重大な過失があった」、若しくは「一部相殺」ではなかったかな、と。

・重大な過失があった
上述したように、原因を持病とか高齢に求めるのは困難であるのですが、原告には「過失がなかった」ということにはならないと思われた。この共済制度の有利な部分というのは、行為者が自分で過失責任が自分にあっても支払われるということなのだが、支払拒否が有り得るのが「重大な過失」という規定である。
本件では、「高齢」かつ「疾病」という要因があるにも関わらずモチを食べた、ということは、危険性を承知で行為を行ったと言えなくもないのである。毎年のモチ摂取者の死亡は、数百人規模であることは通常の注意力があれば知りえることである。よって、原告には「過失があった」ということは可能であり、これが「重大」なのかどうかは判断が分かれる可能性はあるが、少なくとも「持病が原因」という主張よりは有効な主張であったのではないかと思う。

・一部相殺
原告の行為が重大な過失とまでは言えない可能性もあることと、本件の「持病があった」ということを考えあわせると、一部だけ主張してみるということも選択できたのではないだろうか。本共済の規定には次のものがあった。

● 被共済者が災害を被ったときすでに存在していた身体障害若しくは疾病の影響により、又は災害を被った後に別に発生した疾病の影響により、傷害が重大になったときは、その影響がなかった場合に相当する補償額を決定してお支払いいたします。

ここで述べられている「災害を被ったときすでに存在していた身体障害若しくは疾病の影響」という規定が使えるのではないかな、と。原告の当時の状況を見れば、「嚥下機能低下」の存在を主張することは十分可能であったと思われる。持病や高齢という要因が存在していなかったとすれば、傷害が重大にはならなかった、すなわち「窒息には至らなかった」と主張することが可能であったのではなかろうか、と思う。

ただ、いずれの主張点も実際どうなのかわかりません。比較の問題でしょうか。


でも、判決文を見てないですが、その意味は判るような気がしました。大体、「あんしん財団」という公益法人というのは、怪しすぎるんだよ(関係ないか)。




堂下浩先生の論説に関して

2007年07月06日 17時19分57秒 | 社会全般
週刊東洋経済に寄稿論文(以下、「資料1」と呼ぶ)が掲載されていたとの情報をコメントで頂戴しました(貸金業の上限金利問題~その18)。有難うございます。
先日の筒井教授らの阪大経済研究所グループの論文(参考記事)にも協力していた堂下先生のアンケート調査に関するものでした。

私の理解の範囲で内容を大雑把に要約すると、大体次のようなことでした。

1)貸金の審査を厳格化
・新規申込者の約20%が「他社借入件数」で拒否
・主な理由は「収入が不安定」
・拒否者の約45%は借入が0~1社

2)返済困難者
・日本全体で200~410万人
・消費者金融利用者で100~160万人(利用者の11~17%)
・他債務(住宅ローン等)者では100~250万人
・北海道など景気の悪い地域に局在
・生活や金銭に関する管理意識が低い

特に、
・「セルフ・コントロール能力とソーシャル・スキル能力が低い」傾向が認められる
・零細(個人)事業主は、両方の能力が「完済者」とほぼ同じくらいであるが、借入が困難になってきている
・救済策は心理テスト等を実施し強制的に金銭カウンセリングに誘導するシステム構築

ということである(関係ないけど、”スキル能力”って、何かかぶってるような…)。


また、金融庁提出の資料(以下、「資料2」と呼ぶ)を見つけたので、そちらも見てみることにする。
消費者金融利用者に関する実態調査(結果概要)

主に、悪循環の原因は心理的要素が大きい、ということで、先日の「キリギリス」論と方向性は同じであろうと思われる。この結果から、
・残高や金利規制では「過重債務」問題の解決にはつながらない
・一定借入件数利用者に対して、債務整理者になる可能性を評価する必要あり
・何らかの救済策が必要
・債務整理予備軍を早期発見し、カウンセリングと返済条件の見直し機会を提供すべし


これら2つの論説・資料から、もの凄く縮めて言うと、主として「破産するのは、個人の能力的・心理的問題」だ、ということ。能力、性格、行動特性、社会性、そういったものが影響しているのであって、職業等の属性のようなものではない、というようなことだろう。要するに、「人間力みたいなもの」ってこと(笑)。「キリギリスはキリギリスなんだよ」、と。
でも、1)と2)で見たように、今の貸金ではリスク評価が適切に行われているとは言えない、と堂下先生は主張しているのである。


堂下先生は、かつて次のペーパー(以下、「資料3」と呼ぶ)を書いていた。

上限金利引き下げの影響に関する考察

資料2から、少なくとも、「健全な利用者でも高金利の適用を受けている」ということは言えるであろう(健全という言葉がどうなのかというのはあるのだが、笑)。用語が色々と出てくるので、とりあえず破産、債権整理とか管理債権になるような借り手を「破産者」と呼び、そうではない借り手を非破産者と呼ぶことにする。貸出金利は破産者も非破産者もあまり違いはなく、それ故「高金利帯の貸出金利が適用されたからといって破産するわけではない」という主張に結びついていたのだろうと思う。
これまで何度も書いてきたが、貸出金利を「コスト率+貸倒部分」と書くと、コスト率が一定であるなら貸倒が多ければ上乗せされるし、そうでもなければ上乗せは少なく済むはずである。
実際の市場では業者の違いによって、コスト率がそもそも大きく違う。なので、貸出金利そのものが「借り手のリスク」を正確に反映しているわけではない。それに、貸し手は借り手のリスクを正確に評価できない為に、キリギリスを見抜けずにきたのであり、資料1のようなことが起こってしまったりする。貸し手が決めるリスク評価は、あまり当てにならず審査が適正とも言えないということだ。そのような審査に基づいて決定される貸出金利は、借り手リスクを表すには不適当、ということ。ならば、資料3で示されるような「金利分布」で、借り手のリスクを表せるような錯覚を与えるのは、そもそも現実とは整合的ではなく不適切なのではありませんか、ということだ。

消費者金融市場の貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない

消費者金融市場の貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない・2

消費者金融市場での貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない・3


堂下先生が資料3を書いた当時と今は考え方が変わったのだ、ということかもしれないので、別にいいですけどね。
で、キリギリス対策と似ていて、カウンセリングを強制的に行ったらどうか、ということですので、これは昨日書いた記事で言ったことと偶然にも同じでしたね。阪大グループも、堂下先生も、結局は「キリギリスタイプの人は、性格・能力・行動特性等に問題があるのだから、矯正しないと対策にはならない」ということを肯定しているようにしか見えませんね。
これって、結局(初めの頃の話)に戻っただけのように思えますね。借り手に問題があるのだから、説教してあげなさい、ってことですかね。考えも行動も変えてあげなさい、ってことなんじゃないですか?
つまりは池田信夫氏なんかが批判的な『パターナリズム』の最たるものなのではありませんか?「借金するな」「貸さぬも親切」というのは、あながちハズレではない、ということかもしれませんよ?

資料1で貸金が審査厳格化で「収入が不安定」というのを厳しくみている、ということを述べているが、それは経済学を謳う人たちが主張していたのではありませんか?堂下先生も寄稿していた早大消費者金融サービス研究所の、坂野教授のペーパーではそう主張していたじゃないですか。「破産するのは、収入減少が原因なんだ」と、経済学信奉者たちも一緒に力説していたではありませんか。それを今更になって、減収要因を重視されても困る、みたいに言われても、貸金業者たちだって困惑するだけなんじゃありませんか?
「収入が減少するリスク」を評価して審査してるってのに、「借りてる人間に問題があるんだ、心理的要素、セルフ・コントロール能力やソーシャル・スキル能力の低いこと、それが破産の理由なんだ、キリギリスタイプに貸してはいけないんだ」とか言うのでしょうか?(笑)

破産は収入減少が主であり、それが起こるのは失業や病気なんだ、とか主張していたでしょう。経済学理論で明らかだ、とか豪語している人もいたでしょう?GRIPSの鶴田先生は貸し手の「競争を仕向ける」政策、と言っていたのに、あれは何だったのでしょうか?貸し手の競争が進んだところで、借り手の人間力(笑)がアップするわけでもあるまいに。どの対策にしても、貸金業の上限金利問題~その12に書いた範囲から出ているものはなく、目新しい話というのはないですね。


経済学の研究者とか学者たちは、どの程度信頼できうるものなのでしょうか?
どうしてこれほど異なったことを言うのでしょう?(笑)

ここまでの印象では、専門家とか名がついていたとしても、あまり「当てにならない」ということが改めて確認されたように思います。



産経グループは債務保証をしてあげなさい

2007年07月06日 13時51分27秒 | 社会全般
またボツネタさん経由。
これまでにも何度か産経グループと対決してきましたが(笑、冗談です)、また似たような言い草が出ていました。

昨年9月の社説とか>貸金業の上限金利問題~その15

今年の社説とか>個人事業者の倒産は誰のせい?

憲法違反を匂わせる憲法学者とか>日本の憲法学者の真意を問う

で、今回のはこちら。

FujiSankei Business i 金融・証券/“灰色”撤廃で“難民”増大 ネオ・ヤミ金も台頭

(以下に一部引用)

「他社で融資を断られた人が、『どうしても借りたい』とやってくる。リスクが高いから、高めの金利で貸している。でも10日で1割の利子を取るようなヤミ金とは違うよ」
東京の山手線沿いに事務所を持つ金融業者が「絶対匿名」を条件にこう明かした。“ネオ・ヤミ金”。彼らはそう呼ばれている。 大手の消費者金融などで融資を受けることができなかった“難民”が流れ着いた先である。
難民の背景には、「成約率」がものすごい勢いで低下していることがある。 成約率とは、融資を申し込んだ人のうち、審査をパスし実際に融資を受けることができた人の割合だ。 大手のアイフルの場合、2006年4月に62%あった成約率が、今年4月には35%にまで急落した。 広報担当者は「貸し倒れを防ぐため、与信審査を厳しくしている。ある社で断られた人が別の社を訪ねてまた断られるという現象も起きており、それだけ多くの会社で成約率が低下する原因になっているようだ」と説明する。

出資法と利息制限法の上限金利のはざまに当たる「灰色(グレーゾーン)金利」の撤廃決定で、大手各社は最高金利の引き下げを迫られている。利益が減る分、貸し倒れ損失を回避する必要があり、審査を厳しくせざるを得ない。金融庁が大手27社を対象に実施した調査では、22社が「与信管理を強化している」と回答した。
「年齢が高い」「就業してから日が浅い」などの理由で、これまで融資を受けられた人が弾き出されている。

(中略)
最も、深刻なのは、年明け以降、個人事業者の倒産件数も増加傾向にあることだ。

 「毎月十数万円という運転資金を消費者金融や事業者ローンから借り、やりくりしてきた個人事業者まで弾き出され、つぶれざるを得ない状況になっている。灰色金利の撤廃は利用者保護が目的だったはずなのに、一部では悲劇も起きている」

中森はこうため息をもらした。=敬称略(赤堀正卓)




社説でもあったのだが、十分事業の継続できる零細・個人事業者たちを倒産に追いやるのは許せない、ということなら、産経グループ挙げて社会貢献したらいいよ。あなた方が連帯保証人でも債務保証でもしてあげなさい。できるでしょ?だって、「倒産しない」んでしょう?資金さえ手に入れられるなら事業継続できるのだから、何ら問題ないでしょうよ。みんな倒産することなく事業ができるはずだから、連帯保証でも債務保証でも、借入者の債務を肩代わりさせられることなんかないはずだ。ただ単に「名前を貸すだけ」なんですよ。ならば、簡単にできるでしょうよ。

ペーパーカンパニーでも何でもいので目的会社でも作って、そこが借入の債務保証をしてあげなさい。借り手にも勿論だが、貸し手からも喜ばれるから(だって貸倒の心配がないからね)、優先的に広告を回してくれるようになるんじゃないか?(笑)新聞社としてのメリットも十分期待できるよ?なので、即刻取り掛かるべきでしょう。これこそ、立派な社会貢献でしょう?

大丈夫だってば。倒産しないんだから。でしょ?


参考記事に書いた話だが、東京商工リサーチのデータでは05年後半から5人未満の零細の倒産件数は毎月連続で増加しているんだよ。トレンドはその頃からあまり変わってないんじゃないの?これは細かい話だから、いいけどね。ま、NHKの低レベル報道と同じで、印象操作だけやってるのだろう。


そういうわけで、「個人事業者が不当に倒産させられている」というのなら、口だけではなく行動で示してごらんなさい。「倒産しないはずの零細個人が、貸金から借入を断られて資金調達ができずに困っている」というのを示したいのであれば、債務保証の名前貸すくらいお安い御用であろう?フジサンケイグループはキャッシュはかなり持っているはずだから、OKですよね?

これができないのであれば、心の底では「倒産しない」と信じていないのではないか?と思わざるを得ない。


できるだけたくさんの人たちを救ってあげなさい>産経グループ
何ならNHKも一緒にやってあげたら?


参考までに、『低賃金の非正規雇用にあぐらをかく経営者に転換を迫る』とか言ってた朝日新聞にもお願いしたことがあった(「ロスト・ジェネレーション」と呼ばないで)のだが、実行された形跡は見られていないけど(笑)。

言うのはタダ、ということかと思います。いくらでも、好きなことが言えるから。


憲法違反の解釈論も是非ご教授下さい>正論欄



貸金業の上限金利問題~その18

2007年07月05日 21時26分10秒 | 社会全般
コメントを頂いておりしましたが、お返事が遅れましたことをお詫び致します。
金融庁の資料を見たりして、また少し考えてみました。

貸金業者の営業形態別貸付件数

貸付残高別の件数、残高


(個人)消費者向け無担保融資の融資額の多い業態だけ絞ってみると、次のようになっています。
①貸金業 11.4兆円
   大手  10.3兆円 平均59.3万円
   中小   1.1兆円 平均32.0万円

②クレジット 2兆円 平均30.5万円

③信販系 4.8兆円 平均11.3万円

④リース 0.5兆円 平均271万円

①~④合計 18.7兆円

傾向としては、カード系(クレジット、信販、流通・メーカー系)は1件当たり貸出額が少なく、貸金業は多い。特に大手(準大手含む)27社の平均は約60万円と突出している。カード系のキャッシングは、回数が非常に多いので、短期少額取引が繰り返されていると思われる。
参考までに、カードの発行済枚数は約2.7億枚、カード系の貸出件数は年間約5000万件、1枚1回として考えると約18.5%のカードでキャッシング利用されていることになる。しかし通常は複数回利用者の利用回数が多い傾向があると思われる(1度もキャッシングしない人は複数カードを保有していても利用回数がゼロということ)ので、実際の利用実人数は定かではない。貸出傾向としては、貸出金額が少なく、回数は多く、人数も多い、ということであろう。想定されるキャッシング枠が20~30万円とか、大半が50万円以下ではないかと推測している。


貸出残高別の件数資料から、少し考えてみることにする。

全体の総額が業態別資料より少なく、98業者だけの抽出によるものである。貸出総額は約15.6兆円と(18.7兆円の)8割強の水準でしかないので、正確には判らない。98業者がどの業態から選ばれているのかも不明である。件数でも、全業態であると7千万件を超えるが、98業者だけであると約6200万件であるので、1000万件くらいが除外されているということになる。なので、適当に推測してみた。

30万円以下の貸出残高は約3.24兆円、30~50万円と併せると、約7.88兆円である。このうち、カード系の残高が大半であると思われ、カード系6.8兆円の残高水準から約5.66兆円であると推測した。残りは貸金業の貸出残高と思われ、約2.22兆円である。50~70万円では約1.45兆円の残高で、227万件(平均63.9万円)である。50万円以上であると、カード系の貸出は殆どないと思われるので、ほぼ貸金の残高であろう。70~100万円では、残高3.34兆円、371万件(平均90.0万円)である。
100~150万円では1.1兆円、86.6万件、150~200万円では1.1兆円、62.5万件、200~300万円では0.59兆円、58.6万件、300万円超では0.78兆円、13895件であった。この100万円以上のゾーンでは、リース系が入っている可能性が高く、しかも平均残高は271万円と多いので、高額の残高のところに含まれる可能性が高いと考えた。で、債務残高からリース系の分約0.5兆円を除くと残りは約2.4兆円となる。件数では約15万件程度がリース系であるとして除外すると、残りは約157.3万件(平均153万円)であった。この100万円以上で重複の借入者というのは極めて少ないと予想されるので、ほぼ実数に近い水準であろうと思う。

◎貸金業1社に100万円以上の債務残高を持つ人は、約157万人くらいいるだろう(勿論、他からの借入のある可能性はあるだろうが、このゾーンでの重複はまず滅多にいないのではないかな、と)。貸金の債務残高は、50万円以下の層に2.22兆円、50~70万円の層に1.45兆円、70~100万円の層に3.34兆円、100万円超の層に2.4兆円、合計9.41兆円くらいであろう。

18.7兆円と15.58兆円の差額から3.12兆円が残高別資料から漏れていると考えられ、このうち、カード系が1.14兆円(=6.8-5.66)を占めているであろうと予想したので、残り1.98兆円が貸金の分である。9.41兆円と併せると、11.39兆円となって貸金業界全体の11.4兆円とほぼ同じくらいになる。多分、1社で70万以上が3.34兆円、100万円以上が2.4兆円であるので、両者で5.74兆円、ざっと157万件+371万件ということで、この528万件(恐らく重複者は滅多にいないのではないかと思う)に大量の「キリギリス」が含まれているであろうと予想している。

少し前の記事に書いた「キリギリス」の存在割合の推測から言えば、161万人中131万人が該当していることになるので、約82%ということになる。裁判所の集計である自己破産者数の推移を見ても、消費者金融からの借入のない者の破産数は大体2万人前後で、どん底期(98~01年くらい)でやや増加して3万人を超えている時も見られたが、それ以外では概ね一定数であった。一方、消費者金融からの借入者の破産者数は確実に増加してきたのである。破産コースに乗った人は、取りあえず消費者金融から借りて何とかしようとするから、ということがあるからなのかもしれないが、貸金の借り手の破産が増加してきたことは言えるであろう。それは貸金業者の貸倒率で見ても、その傾向が表れていると考えられる。仮に20万人の破産者が存在するなら、約36000人が合理的タイプであって、残り164000人がキリギリスタイプなのではなかろうか、と。キリギリスタイプへの貸し込みが増加してきたのであれば、貸金関連以外の破産者増加に比べてキリギリスタイプの破産者が増えるのはある意味当然ではないか。


以前に何度か取り上げた早大消費者金融サービス研究所のペーパーをもう一度見ることにする。

消費者金融顧客の自己破産


参考記事:
消費者金融顧客の分析は果たして妥当か?

貸金業の上限金利問題~その7

貸金業の上限金利問題~その8

権威主義?それとも・・・

貸金業の上限金利問題~その9


このペーパーの中で破産者のデータがあるのですが、それを見ると、次のようになっていた。
当該貸金業者からの新規借入時点で他社貸金借入残高は57.7万円だったのが、破産時には144万円に増加している。他社借入債務は約2.5倍に増加していた、ということだ。借入業者数が3件以上増加していたのは44%(非破産者では25%)。別なデータでは、住宅ローンのない破産者の貸金からの借入は平均266万円で、カード系は147万円(近年の破産者の債務先比率は貸金が約7割程度であったと記憶している)。

それから、例のロジスティック回帰分析であるが、やはり疑問点はある。

ア)年収についての説明がない

p19で、新規時の要因として、『これには①年齢、②性別、年収、③婚姻状況・・・』となっており、意図的に②に含められている。項目は別であり、性別や婚姻状況はダミー変数として0か1が割り振られているのにもかかわらず、だ。年収が性別と同列に扱われたとでも言うのであろうか?
モデル1ではp<5%水準で、モデル2ではp<0.1%水準で、有意に「年収が多いと破産しやすい」ということになっている。これは年収が多いと貸出額が増えやすい(枠も大きく取れる)から、という可能性はあるかもしれない。キリギリスタイプに対してはそれだけ多く貸し込めるからではないのかな。だがモデル3では、何故か符合が逆転している。つまり、p<0.1%水準で有意に「年収が多いと破産しにくい」、ということかと。後で触れるが、モデル3はどういう意図でほぼ同じような変数を追加したのか疑問である。

イ)新規時他社借入件数は、モデル1~3全部で有意に「破産しやすい」

つまり、キリギリスは多重債務となりがち=複数貸金からの借入を行う、というのが破産しやすい要因になっている、ということが判るのではないですか?つまり、新規申し込み時で、既に貸金数社からの借入があるということは、「キリギリスである確率は高くなる」=「破産しやすい」ということが初期融資時点のデータでほぼ判別可能ということではないか?
件数増減で見ても、件数増加はモデル2と3しかないが、両方とも有意に破産しやすい。

ウ)消費者金融借入額の増減では、借入を増加させると破産しにくくなる

モデル2と3にしかないが、貸金から借入額が増加すると有意に破産しにくいのである。
これこそ、「ゾンビに追い貸し」だろう(笑)。延命措置ってことだ。借入件数(=業者数)増加で「破産に伴う貸倒リスク」が分散されてしまっているのだろう。だから、次々と貸し込む業者が現れるのだ。キリギリスに複数で貸すのが儲けるには都合がいいのであろう。そういう市場になってしまったのだ。自転車操業を行わせるのに、新たな資金が入れられると改善する効果が期待できる。中小企業においても、破綻する企業というのは「新たな資金調達」を試みることが多いはずで、それが良くない結果をもたらしていることが多いのである。多重債務では返済を「右から左へ」移し変えていくだけで返済が進まず、債務残高は膨れ上がるのだが、破綻はしにくくなるということかと。これがキリギリスへの貸し込みを可能にしているのだろうと思うのですよ。

エ)「年収」の他に、「年収の増減」「減収」という変数を追加している

「年収」は増加か減少は分るのであるから、少なくとも減収(0か1)という項目を入れる意味は不明である。増減額はあっても不思議ではないが、増加すれば破産しにくくなることは当たり前ではある。では、モデル1と2で「年収が増加すると破産しやすくなる」ということをどう考えるか、というところに行き着くであろう。
そもそも、何故このような変数追加したのか、経済学を専門としている他の人たちはどう考えるのであろうか?


まあ、経済学理論で何とかしてあげて下さいよ、キリギリスを。

貸金窓口で追加融資を断る場合には、貸金業者に「通報」を義務化してもらえばいいのではないですか?(笑)借り手情報を「しかるべき機関」に通報してもらうんですよ。で、機関はその借り手にカウンセリングを施してこれ以上の借入を止めさせるのと同時に「ヤミ金」を探させる。借り手がヤミ金をおびき寄せて、逮捕。どうです?一石二鳥ではないですか。キリギリスたちはヤミ金に行くのでしょ?ならば、それを逆手にとって利用すればいいような気がしますね。この役を引き受けた借り手の人は、謝礼を貰えることにしたらいいのではないですか?弁護士費用なし・ブラック登録もなしで過払い分を返還してあげるとか。現状のような、高額所得者の弁護士たちに返還費用分を特需でわざわざ分ける必要ないと思う。払ったのは債務者たちなのだから。


因みに今はヤミ金で儲けるよりも、「オレオレ」じゃなかった「振り込め詐欺」とか新手の「バイク便詐欺」なんかが儲かるよ。警視庁の発表では被害額が250億円だったらしいからね。東京近辺だけでしょ、この被害額って。儲けすぎ。
ヤミ金みたいに初期投資(貸付)があまり必要ないし、あるのはリスクだけだからね。こんだけ報道されているのに、引っ掛かる人たちが後を絶たないのだから笑いが止まらんでしょう(笑)。



不戦敗宣言はまだ早いのでは・3

2007年07月05日 13時06分25秒 | 法と医療
通知とか技官関連の背後関係は知らなかったのですが、論点としては既に見てきたことかな、と思いました。

はてなブックマーク - 天漢日乗 産科崩壊 「看護師利権」がお産の場で母子を危険にさらし、産科崩壊を促進 看護師と助産師さえいれば産科は成立するのか「内診問題の真相」 産科を閉じたオーク産婦


問題の厚生労働省通知を「ひっくり返す」ことができない限り、「内診行為問題」は前進できないでありましょう。特に、官僚の性質というのは「一度出したら、死んでも引っ込めない」という傾向があるので(勿論これは大袈裟な冗談ですが、笑)、一度出された通知は一般国民側から変更・訂正等をさせることができません。これは戦う以外にはないのです。では、誰が鈴を付けに行くか?という問題はありますけれども。

参考記事:
不戦敗宣言はまだ早いのでは

不戦敗宣言はまだ早いのでは・2

上記記事で書いたように、通知についての抗告訴訟を提起して、誰かが徹底抗戦を行わないとなりません。当然ながら、私には何もできません。原告になれる要件からは完全に外れているからです。なので、「誰か、前に出て戦え」ということを申し上げることになってしまうので、無責任極まりないと思いますけれども、ご容赦下さい。でも、「何もせずに座して死を受け入れるのか」ということを考えるのであれば、「通知が絶対」ということである限り、前進はないでしょう。仮に敗訴して覆せなかったとしても、通知がそのまま残るだけですから、今と状況は変わりません。裁判ということになれば、時間とお金と労力とその他モロモロを多大に消費することになってしまいますから、負けて元々だと安易には言えないのは確かなのですけれども…。

もう一度原告たり得る要件を書いてみますけれども、
・通知が出されて以降に行政指導を受けた(恐らく行政からの文書受取だけでも可と思います)
・内診行為問題を理由に産科を縮小・廃止等の実質的不利益を蒙った(今後相当の確度で蒙る虞でも可?)
という医療機関・医師であれば、訴訟提起できるであろうと思います。

通常の行政指導は訴訟対象とはならないのですが、内診行為問題の通知に関しては対象たり得ると思いますので、このまま何も変えられないのであれば、立ち上がって戦う道を選択するしか方法はないと思います。特に、多くの国民から「見えない所で」戦うなら、権力サイドが有利になるだけで弱小無力の人々は勝てません。もし私が権力サイドであれば、反抗的分子は「分断して個別撃破」するに決まっています。行政指導でも監査でも立入検査でも、個別に医療機関を狙い撃ちにできますからね。ですので、できるだけ衆人環視の元で戦うべきであると思います。その意味においても、訴訟提起はマスメディアの注目を集めることができますし、多くの国民に問題点を知ってもらうのに有利です。昨今の医療崩壊問題についてはマスメディアがよく取り上げてくれるようになってきていますから、きちんと伝える努力をすれば「通知変更」への圧力は高まる可能性はあります。AEDもサクションも、緩和されるようになりました。


それと、参考記事の中で取り上げた裁判例では、分娩監視は通知に違反しない旨判決で述べられており、看護師の診療補助業務であると認定されていますので、条文の解釈論で挑んでも勝てる可能性はあると思います。私のようなド素人が「勝てるかもしれない」とか言っても何の足しにもならないことは承知しておりますが、諦めることなく何らかの行動するしか突破口は見出せないと思います。学会のお偉いさんたちや、医師会が当てにできないのであれば、「現場の声」を直接ぶつける以外にないでありましょう。政治的な駆け引きの場では、「政治的に強い者が勝つ」ということになってしまうでしょう。


戦いを挑める同士を募って、行政権力に立ち向かって下さい。
私には遠巻きに応援してあげることしかできないのですけれども。


ちょっと追加。

前に自宅出産の話について書いたことがあって、これも関連しているかもしれないなと思ったので。

サンバの幻想?



小松秀樹著 『医療の限界』

2007年07月04日 11時06分47秒 | 社会全般
via ボツネタ。

前作の『医療崩壊』を読んでいませんが、「本のよみうり堂」で書評があったので、既に読んだ気になっていました(ゴメンね)。今度は、医療訴訟関連の話などが書かれているようです。

医療訴訟の続発に上げた叫び~『医療の限界』 毎日1冊!日刊新書レビュー:NBonline日経ビジネス オンライン

(一部引用)

かつての医療では、医者が治療法を決定する「父権主義」という考えが支配的だった。ところが、いわゆる情報化社会の到来とともに、患者も医学の知識をたやすく得られるようになり、また、知る権利も拡大した。いまや患者が治療法を選ぶのが当たり前。医者と患者の関係は“父と子”から“サービス業者と顧客”に一変したといってよい。
(中略)
書名には、著者の訴えが集約されている。「医療とは本来、不確実なもの」であり「医師はスーパードクターばかりではない」。つまり、「医学には限界がある」のだ。ところが、市民やマスメディア、はては法廷の検事や裁判官までもが「現代医学は万能」で「治療を受ければ、まず死ぬことはない」という前提で物事を考えようとしている。医療現場と世間のあいだには、考え方に大きな“ずれ”が存在する。




今回も、この書評を読んだだけで、十分共感できました(笑)。
以下の記事にも書きましたが、私などは「パターナリズムなんだよ」というような批判を受ける典型例ですので、特にそう感じるのかもしれませんね。

サーチコスト(追記あり)

タミフル問題から見えること~その2(追加あり)


それと、「スーパードクターじゃないんだ」という意見も、これまで書いてきたのでよく判ります。

奈良の妊婦死亡事件について

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その3


最後に、小松先生の問題解決へのご提案がどのような内容なのか本書を読んだわけではないので、よくわかりませんが、書評を見る限りではそれほど外れてもいないかな、と思ったりします。が、どうなんでしょうか。

医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その6

是非多くの方々に本書をお読み頂き、関心を持ってもらえることが一番なのではないかと思います。私のような下衆野郎が場末ブログで書くよりも、小松先生のような方が医療界の声を届けることの方が効果的だろうと思います。


これでは苦戦するはずだわね

2007年07月03日 20時41分25秒 | 政治って?
あるお話。


殿、申し上げます。
「税調」砦の守りについてた本間殿が、「週刊ポスト」など週刊誌の野武士軍団に急襲されました。

して、本間殿はどうなった?

はい、砦から出たところで捕らえられたようです。まっとうさせて欲しいと命乞いをしていたようですが、援軍の早馬も甲斐なきことを知ったのか、討たれたものと思われます。どうやら、税調砦を任され有頂天になって天狗になっていたらしく、それ故に守備が甘くなった処を襲われたものと思います。内通者もあったとの情報もあります。

そうか、恐るべし野武士軍団。お主らも、ゆめゆめ抜かるでないぞ。


殿、申し上げます。
今度は、佐田殿が自らかすみ網に引っ掛かり、捕らえられたそうです。援軍は救出できなかったようで、討ち取られてしまいました。

そうか、みなも気をつけるように。


殿、申し上げます。
今度は、松岡殿と伊吹殿が夜盗に取り囲まれて大苦戦との報が入りましてございます。どうか、救援部隊を差し向けられたしとのこと。特に松岡殿は拷問にかけられておるようで、重大な秘密について口を割るように責められているようです。松岡殿は「ワシは知らん。ナントカ還元水しか知らんわい」と、頑なに口をつぐんでいるようです。

そうか、では援軍をさしむけよう。全力で救出に当たれ。松岡殿が口を割らぬように、密通者に申し伝えよ。


殿、申し上げます。
今度は、柳沢殿が騒ぎ出した町衆から攻撃を受けて籠城中との知らせが入りました。取り急ぎ援軍を送れとの事。何でも、「おなごは産むからくり」と言ったとのことで、町衆が押しかけている由にござります。

そうか、援軍を送り、何としても籠城の門を破られぬように、耐え抜けと申し伝えよ。


殿、申し上げます。
今度は、松岡殿が自刃致したとのことにござりまする。かなり過酷だったようで、いよいよ助からぬものと覚悟をされてしまって…

そうか、無念じゃ。


殿、申し上げます。
今度は、久間殿が自ら仕掛けた「発破」に巻き込まれてしまった由。どうやら、発破発言が命取りとなって爆死したとの報にござりまする。

そうか、前の発破発言の時もかなり危なかったが、あの時は運良く命拾いをしたのだがな。今回は無理であったか。やはりな。遅かれ早かれ、爆死していたやもしれん。後釜は、冷や飯に飽き飽きしていた目立ちたがりの小池殿にいたそう。城代を気取っておったのに、城を与えられず不満がくすぶっておったからのう。



これでは、負け戦は当たり前ではあるな(笑)。殿様が誰でも、皆で足を引っ張るからね。
まだ1年も経っていないというのに、この有様では…
特に、地位を与えた武将が次々と討ち死にでは、どうにもならんな。

久間さんは、「初代防衛省大臣」として名前を刻んだが、防衛大臣としては恐らく当面の最短記録を作ってしまったかもしれんな。今後、滅多なことでは破られなさそうだ(笑)。初代の名誉と、当面の最短記録の不名誉が同居というところか。



ミートホープの罪は…?

2007年07月03日 13時33分32秒 | 法関係
少し前には、JAS法では罰せられない、とか何とか出ていたように思いますが、どうやら刑事事件となるようです。耐震偽装の時みたいな処理ということになりそうです、ということなのかな?世間を納得させられないということでしょうね、やっぱり。

Yahooニュース - 読売新聞 - ミートホープ社員立ち会わせ、工場で偽ミンチ再現へ…道警

北海道苫小牧市の食肉製造加工会社「ミートホープ」の牛肉偽装事件で、北海道警は週内にも、ミート社の工場などで従業員らを立ち会わせ、実際に偽装ミンチなどを作る大規模な検証を行う方針を固めた。捜索で押収した資料を基に偽装作業を再現し、田中稔社長(68)らの立件に向けた捜査を進める。
検証を行うのは、ミート社の工場のほか、偽装ミンチを使ってコロッケを作っていた「北海道加ト吉」(赤平市)の工場。道警はすでに、ミート社本社や関係先を不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で捜索。元社員らの自宅や転職先など、直接の容疑がかからない場所にも捜索範囲を広げ、偽装ミンチを作った際の「投入原料日報」などを押収している。


なるほど、不正競争防止法(虚偽表示)で立件ということを考えているようで、先日取り上げた「虚偽表示」などについての話と似ているようで、法律的には全然違うようです。うーむ、中々難しいのですね、法律って。で、一応、見てみました。

不正競争防止法 第二条

この法律において「不正競争」とは、次に掲げるものをいう。
一 (中略)
・・・
十三  商品若しくは役務若しくはその広告若しくは取引に用いる書類若しくは通信にその商品の原産地、品質、内容、製造方法、用途若しくは数量若しくはその役務の質、内容、用途若しくは数量について誤認させるような表示をし、又はその表示をした商品を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し、輸出し、輸入し、若しくは電気通信回線を通じて提供し、若しくはその表示をして役務を提供する行為

この第2条第1項第13号の規定による、ということです。条文では何だか難しく連なっておりますが、私の理解で平たく言うと次のような感じです。
○商品:原産地、品質、内容、製造方法、用途、数量
○役務:質、内容、用途、数量
(役務とは提供するサービスみたいなものであると思います)
これらについて、商品、サービス、広告、取引書類、インターネットに誤認させるような表示をしたり、その商品の譲渡・引き渡し、その為の展示、輸出入、インターネットで提供したりする行為で、役務も同じく誤認させる表示をして、サービスを提供したりする行為、ということです。

判りやすく言えば、中国産なのに国産と表示するとか、材料にキャビアと表示してあるけど実はキャビアの匂いだけ付けましたとか、広告に「特価カシミアセーター1000円」と表示して「カシミア」という文字の胸ロゴだけ付けたナイロン製セーターとか(笑、そんなの誰も買わないか)、ネット販売で写真だけ本物のブランドバックをHPに表示しておいて実際の商品は模造品とか、「ロデホボーイ」と表示した模造品とか、そういったものですかね。

今回の偽装は「牛コロッケ」と書いてあるのに、鳥や豚が混ぜられた、ということになるでしょうか。
「牛コロッケ」とは、「牛の何かを混ぜたコロッケという意味だよ」とか、あの社長さんは言いそうな気もしますが、どうなんでしょうか。それとも、「牛ミンチ」とは、「牛もちょっぴり入ってるミンチという意味だよ」とか言ったりするんでしょうか。


参考までに、罰則を見ると次のようになっていました。

不正競争防止法 第二十一条
(中略)
2  次の各号のいずれかに該当する者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一  不正の目的をもって第二条第一項第一号又は第十三号に掲げる不正競争を行った者
(以下略)

第22条第2項第1号規定により、第2条第1項第13号に該当する不正競争行為は懲役5年以下若しくは500万円以下の罰金か、混合ということのようです。結構重い罰則も有り得るのですね。更に、法人への罰則もあるようです。

同法 第二十二条
法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、前条第一項第一号、第二号若しくは第六号又は第二項に掲げる規定の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人に対して三億円以下の罰金刑を、その人に対して本条の罰金刑を科する。
(以下略)

行為者ばかりではなく、法人に対しても罰金刑が科せられることがあります。第21条第2項の違反行為は3億円以下の罰金ですから、重い罰金の可能性はあり、ミートホープは払えないかもしれませんね。どうなるんでしょうか。


ところで「シルバーリング」みたいに表示してある場合、これが純銀製と思ったりする人はいないのでしょうかね。実際指輪の銀の含有率がどうなっているかは判らないと思いますよね。業界内で何か自主規定のようなものがあるかもしれませんけど。合金の組成というのは意外に複雑と言いますか、調べようがないので判らんものね。銀価格も割りと高騰してきていますので、強度の為に銅を混ぜるとかあるかもしれませんが、銅も値上がりしているし。更に円安ですから、輸入価格は上がっているでしょう。日常生活の中でも、ギリギリというかちょっと怪しい表示というのはあると思うけど、まあ、悪質度によるのでしょうね。明らかに「騙そう」と思って、そういう魂胆のようなものがあるのであれば、やっぱりマズイということになるでしょう。


それなら初めから、「マグロ味のする、凄くよくできたマグロ刺身モドキです」とかハッキリ表示して売ってたなら、低価格でマグロ風味を楽しめる商品として認められたかもしれない、みたいなものでしょうか。テレビでミートホープの作ったコロッケとかトンカツをマネしてみたら、「美味しい」という評価だったからね。なので、レシピは企業秘密として、「安くて美味しい、完全な牛じゃない牛モドキのコロッケです」とか独自商品として売っていれば良かったのかもしれませんね。



貸金業の上限金利問題~その17

2007年07月02日 22時16分48秒 | 社会全般
先日記事に書きました(キリギリスに貸すのは愚策?~行動経済学と上限金利規制)が、日経の経済教室の記事で解説をされていた筒井阪大教授のグループの研究成果を見ることができました。大竹教授や早大の晝間教授も参加している、本格的な検討であると思います。行動経済学的な考え方を知るには良いと思いますけれども、現実世界ではどうなんだろうか、という疑問点も若干はあるかな、と。

上限金利規制の是非:行動経済学的アプローチ

この論文からは上限金利規制が経済学的には必ずしも効果的ではない、と言えることは理解できるのですが、では実際に対応する場合にはどのように対策を講じるべきか、という部分にやや欠けるかな、と思いました。この世に「完璧な薬」が存在しないのと同じく、経済学的に完全な対策を取りうるのか、ということです。「この薬を使えば、~という副作用がある」という時に、使うか使わないかの判断をどうするかは、検討の余地があるかな、とは思います。上限金利引下げ論が起こったのは2000年以前からであり、経済学的な検討を行う時間はそれなりにあったわけだし、一体これまで何をやってきたのかと疑問に思いますね(笑)。消費者金融分野の研究者というのが非常に少なくて、学術的成果を中々出せないとか、そういう理由があるのかもしれませんが、専門にやってるなら「割と短期間で判りそうなもの」ではないかと思えますよね。それとも、行動経済学の理論がでてきたのは、2000年以降なんでしょうか?アンケート調査などは時間がかかるとしても、理論上だけならばいくらでも考えることができるのであって、経済学理論を「知っていた、判っていた」のであれば、今まで何をやっていたんでしょうね、ということです。

まずは経済学の専門家の中で、結論を出してもらった方がいいのでは。初等的経済学理論が正しいのか、行動経済学的な考え方が正しいのか、結論を出してから政策に反映した方がよろしいかと思いますね。例えば、早大消費者金融サービス研究所の出したペーパーが正しいのか、阪大経済研究所の出したペーパーが正しいのか、どうなんでしょうか、ということです。「経済学理論では~が正しい」とか言ってた人たちは、何をもってあれほど正しいと豪語していたのか知りませんが、そういう人たちは正確に理解できて理論的に全て判っていたのでしょう。それほどの自信をもたらす「経済学理論」とは何なのか、不思議でしょうがないですよ。経済学の教授レベルの意見を比較しても、これほどの大きな違いをもたらすとなれば、かなり「不確か」な程度でしか判らないのではないでしょうか、ということですわな。

上記論文で興味深いのは、「キリギリス」タイプの人が必ずしも正しく判断して借りているとも言えないことで、これまでの「借り手は合理的な判断の結果借りているのだから、金利水準は正しい」みたいな主張というものが、経済学的には「主張できない」ということなのでしょうか。推定では消費者金融市場の借り手の約3~4割がキリギリスであるということですので、合理的とも言えない割合は「そんなにいたんですか、かなり多いですね」という感想を抱きましたよ(笑)。よくありがちな主張である、「借り手は金利とかを十分正しく理解した上で借りてる」云々というものが、かなりいい加減だったということでしょうか?

あと、上限を引き下げると、金利分布で「ハイリスク側が市場から排除され借りられなくなる、故にヤミ金に行く」とか散々謳ってた経済学信奉者たちがいたようですが、これも相当怪しいのではないですか?
上記ペーパーからすると、貸し手側は「情報の非対称性」の為に「借り手のリスクが十分判らない」ということで、そのためキリギリスが大量に混ざっていても排除できず貸出してきました、ということですよね?リスクが正確に判らないのであれば、貸出金利は一様に適用する貸出方式になりがちではないでしょうかね。

金融庁に提出された消費者金融連絡会の資料によれば、06年3月期の経費率(%)は
資金調達コスト 1.38
人件費  1.85
広告宣伝費  1.01
その他費用  4.16

合計すると、8.40%。後は、貸倒率7.27%+過払い返還費用2.26%がある。
これは貸金業者の規模には関係なく算出されており、加盟している業者の数字からの平均的な値であろうと思うが、大手だけだと更に経費率は低い(6%弱くらいだったはず)。合法業者では返還費用なんか発生しないし一時的なものであるので、無視できる。経費は貸倒経費とそれ以外の費用ということで、利益を1.6%見込んでも、コスト(それ以外の費用)率は10%(=8.4+1.6)でしかない。後は貸倒だけだ。

キリギリスを確実に審査から割り出して、市場から排除するか、キリギリスにはあまり貸さない方法が望ましい、ということですよね。昨年決定された法改正で上限が引き下げられてしまえば、貸金市場が崩壊してしまって、「誰も貸せなくなる」って?
コスト率10%、貸倒率1%なら、引下げた金利水準でも十分ウマミがあると思いますが(笑)。ま、辞めたい人が辞めればいいだけで、11%より上の部分が儲けではないですか(本当は1.6%分混ざってるからもっと利益になるだろうけど)。それでも消費者金融市場は崩壊する、と??貸し手は全部消えていなくなるって??
キリギリスが大量に残ってしまって、貸倒率を下げられないなら、そりゃ成り立たないでしょうね。この「貸倒率を引き下げる」ということを求めることこそ、改正の意味があろうというものだ。現実に18%に引き下げた業者が大手を中心に増えたし、結果的には審査を厳しく行うようになっている、ということで貸出抑制になっているのかもしれませんよ?アコムとか。それは、「キリギリスには貸しませんよ」という確率が高くなった、ということだ。


貸金市場が1500万人規模であるとしますか。で、このうちキリギリスタイプの借り手が600万人(40%)、残り900万人(60%)は合理的なタイプであると仮定してみます。5社以上から借りてる多重債務者は約230万人で債務残高は280万円くらいだったと思いますが、便宜的に次のように仮定してみます。

キリギリスタイプは次々と借り入れてしまうタイプなので、複数からの借入を行っている人が多い、ということで、平均債務残高が250万円の人が200万人、同じく100万円の人が200万人、同じく60万円の人が200万人、とします。すると、債務残高は、順に5兆円、2兆円、1.2兆円となって、合計8.2兆円(一人平均債務残高約137万円)となります。市場全体で貸出残高10兆円ならば、残り900万人の債務残高は1.8兆円(平均債務20万円)に過ぎません。キリギリスタイプではないので、まあ、あまり借りていませんよ、ということでしょうか。平均債務が30万円なら2.7兆円ですから市場全体では10.9兆円、40万円ならば3.6兆円ですから11.8兆円となります。

これはどういうことか?貸金市場の債務残高の大半は「キリギリスへの貸出」によって保たれている、ということですわな。全情連のデータでは1社だけからの借入者は600万人くらいしかいないので、ざっと800万人~900万人は複数貸金からの借入者なんですよ。この中に、キリギリスが相当数混ざっていて、貸金業者たちがやってきたのは「キリギリスに貸し込んで」債務残高を膨らませてきた、というビジネスモデルってことですわな(爆)。このキリギリスに貸すのを止めればどうなるかと言えば、多くの貸金業者は倒れるに決まってる。これまでは、キリギリスの特性ゆえに、「次々借りてしまう」というキリギリスの弱点につけ込んで、かっぱいできたのだろう?違うの?だから、ヤミ金の戦術は経験的に正しいんだって。別に行動経済学の理論なんか知らなくても(笑)。儲けるならキリギリスに貸すのが正しいでしょう?
もしもキリギリスを市場から排除して、それ以外の人たちに貸すとしたら、債務残高はずっと少ないだろう、ってことだ。債務が膨らんじゃったのは、キリギリスに貸し込んだから、ということに他ならないでしょう、ということですよ。これを止めるとなれば、結局「lockoutルール」を適用することに他ならず、一定以上は貸さないようにしない限りダメってことなんじゃないの?

ところが反対派たちは、「貸さないとヤミ金に行く」と言い張るわけだ。だったら、キリギリスを矯正してあげなさいよ。借り手規制の方がいいと思っているんでしょ?ならば、その解決策を出せばいいんだよ。貸し手規制じゃなく、やってごらんよ。「キリギリス矯正」でも「キリギリス規制」でも。それは、自動車免許に近いのではないですか、ってことだよね。でも、貸さないと、ヤミ金に直行されるのではありませんか?NHKの間抜けな主張に従えば、「借りられないと、ヤミ金で借りちゃう」って人が倍増中らしいですから(笑)。ヤミ金が絶賛活動中ってことで、満員御礼ですか。初等的経済学理論によれば、貸出が減ればヤミ金で補うそうだから。それとも、キリギリスに貸せってことですかね?
「ヤミ金を個別に取り締まれ」というのは上限規制賛否に関係ない政策なので、何か別な解決策があるということでしょうね。それを最初から主張すればいいではありませんか。だって、経済学理論で判り切っていたことなのでしょう?何で、それを言わないのでしょう。
ところで、GRIPSの鶴田大先生は規制を撤廃して「競争をするように仕向ける政策」とか言ってたはずですけど、それはキリギリスに効くんでしょうか?誰の言ってることが正しいのか、皆目見当もつかないね(笑)。


参考記事:貸金業の上限金利問題~その16

もっと別な見方で考えてみます。貸出金利が上限なしだと、「ハイリスクグループにも貸せる、だから上限がない方がいいんだ」ってなことを真剣に主張する経済学信奉者たちがいるんですよね。これは実際どうなの?と思うのですよ。じゃあ、専業の貸金業者が存在するとして、ハイリスクグループに貸すとしよう。堂下先生のペーパーで出していた正規分布みたいに、ハイリスク側に分布している人たちがいる、ってことだからね。金利構造というのは、上でも見たように、貸倒部分+コスト率という形で書くことが可能。コスト率は既に見たように、せいぜい10%だ。で、ハイリスクグループのうち、50%の確率でデフォルトになるグループがあるとしよう。すると、貸出金利は120%以上じゃなけりゃダメ、ってことになる。上限がなければ可能な金利だ。で、このグループは1年後には、借り手の大体半分がいなくなる。貸倒率が50%だからね。貸出残高は維持できない。すぐみんな倒れるから。残高に関わらず毎年50%のデフォルト率である人たちの市場は、10年後どうなっているかと言えば、ほぼ消滅している。

コインを1000枚投げて、裏が出たら除外し、表が出たものだけを再び投げる。これを繰り返す。すると、10~11回も投げると、ほぼ全部に近い数が除外されるであろう、と、そういうこと。つまり市場そのものが消滅するんだよ。だから、こんなハイリスクグループに貸し出す市場なんてものは、現実には存在し得ない。商売にならないじゃないの(笑)。有り得るのは、無限に借り手が現れてくる場合だけ。新銀行東京みたいに、ミドルグループに貸し出すとどうなるか?毎年のデフォルト率が10%であると、貸出金利は22.2%以上ということになる。で、このグループは10年後になれば、約65%くらいが市場から消えてしまうだろう、ということ。これは正20面体のサイコロに1~20の数字をふり、出た数字が1か2の時は除外し、それ以外の目が出たら再び投げるというのを繰り返すと、10回終われば大体65%くらいは除外されているんじゃないかな、ということかと。よく判らんけど、モンテカルロ法みたいな演算をやれば、多分結果が出せるのではないかと思う。

要するに、デフォルト率が割りと高いグループというのは、市場から早くに排除されている可能性が高いのである。潜在的に借りていなかった人が多くて、新規参入者で毎年排除される人の分だけ穴埋めできれば市場は継続できるかもしれんが。でも、ハイリスクグループの存在確率自体がかなり少ないはずなので、日本全体での数で見ても限られている。借り手は無限なんじゃない、あくまで有限なのですよ。上限金利がどの程度であるかにはあまり関係がなく、一様に金利を適用していても、デフォルト確率の高い人ほど早くに市場から排除されてきたであろう。なので、過去10年間のうちにデフォルトとなって排除されてきた約160万人にそれらの人々が含まれるのであれば、今の時点で本当にデフォルト確率が高い人というのは、本来あまり残っていないでしょう、ということです。なので、上限が引き下げられたところで、ハイリスク側に属しているので借りられなくなる人たちというのは、たとえ残っていたとしてもごく僅かでしょう。

日本全体で貸金市場の潜在的借り手の数を世帯数より多い数で仮定して、仮に7000万人としますか。このうち、キリギリスタイプが20%であるとすれば1400万人であり、それ以外(概ね合理的タイプ)が5600万人ということになる。キリギリスタイプは借り手になりやすく、36%が借り手となっているならば1400万人×36(%)=504万人が借り手として存在することになる。キリギリスタイプよりも合理的タイプは借り手になりにくく、半分の18%が借り手になる(キリギリスタイプは合理的タイプの2倍の確率で借入してしまう、ということ)とすれば、5600万人中の1008万人が借り手となる。合計は1512万人だ。

で、キリギリスタイプはデフォルト確率が高いグループで、年間で3%の人がデフォルトに陥って毎年市場から排除されるとする。すると、最初は504万人いたキリギリスのうち約131万人が、10年間で市場から排除されることになる。合理的タイプの方はデフォルト確率が低く、年間で0.3%の人がデフォルトとなり毎年市場から排除されるとすれば、合計で約30万人がデフォルトとなる。つまり、デフォルト確率が年間3%グループと0.3%グループが存在している時、10年後には約161万人がデフォルトで排除されることになる。これはこれまでの10年間で自己破産等で法的処理となった数と大体同じ水準である。キリギリスタイプは、合理的タイプの10倍の確率でデフォルトになる、ということで考えると、キリギリスタイプでは504万人だったのが373万人に減少、合理的タイプは1008万人が978万人に減少、ということになる。市場から排除されたのは、キリギリスタイプの約26%、合理的タイプの約3%である。
(本当は新たな借り手が新規参入するので、10年間で人数が減少ばかりということではないはずですが、面倒ですので一応初めの状態と比較してみる、ということにしました)

貸金市場の貸倒率が高いのは、上で見たキリギリスに「多く貸し込んで」債務額を膨らませているからで、実人数で見ればそこまでは多くない。キリギリスの特性につけ込んで貸し込みを行い、デフォルトになるまでに回収している額の方が多い、ということだろう。キリギリスのうちデフォルトになるのは、年間「たったの3%」だからね(笑)。残り97%のキリギリスは払い続けているわけだから、貸す方がかなりお得だろう。破綻水準に至るキリギリスの3%が抱える負債額が他に比べれば莫大なだけだ(これとて、実際に使ったお金よりも、金利が膨張した方が多い可能性は高いだろうが)。貸金市場のざっとの推定で、キリギリスタイプの借入額上位200万人が貸金市場全体の約半分の債務残高なのではないか。貸金業者たちは、こうしてキリギリスに貸し込んで市場規模を膨らませてきたに過ぎないんだよ。で、それと一緒に金利を取られてきたのが合理的タイプの人たちであり、この人たちが払った金利をも食いつぶしているのがこれまでの貸金市場であったろう。キリギリスに量的制限を設けるか市場から完全排除して貸出を止めるとなれば、適用金利はかなり低くて済むのだよ。だって、年間デフォルト確率は0.3%ですからね。市場全体で債務残高とか貸倒率がどのくらいになるか判りませんが、かなり少なくなるであろう。

貸金に「キリギリスに貸すのを止めろ」と言っても効果ないよ。キリギリスが市場からほぼ消えてしまうまで、貸すだろう。市場に残ってるキリギリスは、貸してくれる業者を求めるからね。業者にしても、貸せば儲かる方法だったからね。これは確かに上限金利引下げでは、あまり効果が出なかったわけだ。業者がキリギリスに貸したくて貸したくて仕方がないんだから。ヤミ金までもが、「キリギリスを追い求めて三千里」だから(笑)。
今更になって、貸し手が「キリギリスに貸すのは止めましょう」ってなるの?
別に、それでもいいけど。
貸出残高は大幅に減少することになると思うけどね。
貸し手が、アナタは性格を直しなさい、とか言う?
貸し手が、アナタは借りすぎなのでもう借りるの止めなさい、と言うの?

で、ヤミ金が大儲けなんですよね?

いずれにしても、貸金市場は大半がキリギリスへの貸し込みによって作られた市場である、と思うね。


それから、大手貸金業の貸出残高が7千億円くらい減少した、とかってニュースがあったけど、あれってどの程度が「貸出審査厳格化」の効果なんだろうね。過払い返還費用が06年3月期で2千億円以上発生してた(経費率からの推測です)なら、今年の3月期ではもっと行っていても不思議ではないけどね。どうなんでしょうかね。過払い請求者は完済者も含まれるだろうけど、それよりもまだ債務を抱えている人は多いと思うし、訴訟とかになっているのは100万円以上の返還請求者が多いからね。例えば債務残高が100万円で返還費用を取り返して、残高がゼロになる、というような人は結構いるだろう。それらの残高減少額がどのくらいだったかにもよるが、数千億円規模かもしれんし。返還費用を払って残高がゼロになったので貸出残高も2千億円くらい減ったとしても不思議でも何でもないしね。
それと08年3月期では業界全体の貸出残高が増えちゃってるみたいだけど(笑)。過去2年連続で減少してたのに。消費者向無担保貸金業者の融資額は前年11兆6720億円だったのが、今年の3月期で11兆7403億円だって。上位27社の1件当たり平均貸出残高は約60万円になってるよ。数年前よりも確実に増えてるね。結構貸してるんじゃないですか?
大手・準大手27社で10兆円貸してるから、借入額の多い方から上位300万人が平均180万として5.4兆円、次の500万人が60万円として3兆円、残りは600万人が30万円として1.8兆円となる。ほらね、どう考えても借入上位者に貸し込んでいるのが貸金市場なんだよ。業者が餌食にしているのは、キリギリスってことですね。これがなくなれば、大半の債務残高が消えるんじゃないですか?(笑)これを市場消滅とか言われたらかなわんな。


※訂正:
上記「08年3月期」の貸出残高が11兆7403億円と書いていますが、これは誤りで「18年3月期」でした。失礼しました。
なので、19年3月期の貸出残高はどの程度なのか判りません。お詫び致します。



何でも「第三者」が決めるなら議員は何をするの?

2007年07月01日 17時47分14秒 | 政治って?
そういえば、「善意の第三者」を見て思ったのですが、「第三者」って最近よく聞くな、と。大阪府議会の政務調査費について、「あり方協議会」みたいな検討機関で使途基準を決めていこうということらしいですが、昨今の政治風景にはありがちなのが「第三者機関」とか「第三者~なんちゃらら~」のようなものなのですよね。

行政側は色々と第三者組織を作ったりするわけですが、教育再生会議のように「どうよ?」という感じになったりすることもあります。専門家のご意見を取り入れましょう、考える材料として既にある知見を利用することは有用ですね、というのは判るのですよね。で、重要なことを決める、制度化する、政策に取り入れる、法令として定める、といったことは、本来的には議員が考えるべきことのはずなのです。でも、実際はどうなっているんだろうな、と思ったりするわけです。

現在存在している審議会等はそれこそ膨大にあって、各省庁毎に多数の「専門家」が委員とか何とかになってやっているわけですよね。どういった基準で選ばれるのか知らないのですが、戦う専門家もいれば行政寄りの御用学者もいるかもしれないけれども、ホニャララ審議会のメンバーは基本的には国民の意志とは無関係に選ばれるので、やり方次第では色々と裏技が使えそうではありますよね。基本的には議事録の公開が進んでいると思いますけれども、たとえば意図的に偏りのあるメンバーを集めてきて結論を誘導する、というようなことも十分可能なわけです。予め作り上げられた筋書きに基づいて、「シャンシャン」という進行にしておき、手続を経ましたという外形的な体裁を持たせて、アリバイ作りのようにできる、ということです。何か反対意見とか出されても、「ですから、第三者の審議を経たではありませんか。既にやったんですよ」とか言えますよね、ということです。

現実にはそういうことがないとしても、専門家の意見が出されて「はあ、そうですか」ということで、議員が「右から左へ受け流す」(ムーディー勝山か!)ということになってしまっても、これもまた問題ではあると思うのですよね。中教審があるにもかかわらず、似たような第三者機関の教育再生会議でも意見が出され、どちらの言ってることが大事なのか、みたいになってしまっても困りますし。財政審と政府税調と地制調で言ってることが違ってしまう、とか。ということは、第三者機関も結構当てにはならんな、とかってことにもなりかねない面はあるように思えます。つまるところ、「議員は何をしているのか」ということが「ハッキリしていない、不明確」ということになりましょうか。与党内にも専門の会があって、そこでは何を決めているのか判らないのですが、第三者機関とか審議会のような組織との役割分担とか関係なんかが、あまりよく判らないのです。


専門的には意見1、2、3…、と対立するものも含めていくつかあるでしょうから、それを提示してもらうのが審議会等の第三者機関の役割として、そこから「どれを採用するか、優先するか、重み付けを行うか」といった作業は議員が行うべきなのかもしれない。第三者たちの中であっても、一つの結論に達することが困難な場合は多々あるでしょうからね。審議会等に選出されていなかった、その他大勢の専門の人々は、「第三者機関」の出してきた意見や結論についてこそ、十分検討するべきなのではないだろうか。公開されていることの意味とは、そこにあるのではないかと思う。専門家・有識者の意見といっても、実は、正しいことやいいことばかりではなく、多くの批判に晒されないと検証できていないことが多いのではないかな、ということです。或いは、よい意見などがあっても誰の目にも触れずにほこりをかぶって埋没してしまっているかもしれません。広く検討されなければ、そういう意見には光が当てられずに終わってしまうかもしれません。


結局のところ、第三者機関とか第三者委員会とか、そういうのがどんどん増えていく一方になっていて、議員の責任というのはどうなっているのか、行政側の責任所在はどうなるのか、決定権限とか決定過程はどうなんだろうとか、そこらへんをよく整理してみてはどうかな、と思います。