やっぱ、「エコ活動」みたいなものの多くに、怪しい活動が紛れているんだよね。これだから、何が正しいのか余計に判らなくなっていくんですよ(笑)。
Yahooニュース - 産経新聞 - お宝エコバッグ狂想曲 「人気度」読めなかった? 小競り合い警官出動も
(一部引用)
バッグはコットン素材で価格は2100円(税込み)。レジ袋削減をうたって英国の女性デザイナーがデザインし、人気モデルや映画女優ら“セレブ”が持つバッグとして世界的に人気が沸騰。今春のロンドンでの先行販売では1時間で2万個が完売、ネットオークションで定価の10倍以上の値がつくなど話題を呼んだ。この日は銀座店など都内3カ所で午前11時に限定販売を開始。銀座店前には前日深夜から行列ができ、「通りに人があふれている」との通報で築地署が警察官約20人を出動させた。
滑稽ですね。いい大人のくせに、一体何をやっているのでしょうか。
とか書くと怒られるかもしれんが。布で自分で作ればいいんじゃないの?似たような感じで。それじゃ、パクリか。海賊版か。ダメだね。
似てなくていいから、作ればいいのだ、手提げカバンくらい(笑)。
昔あった、「ドラクエ」の発売日の混乱に似ているような。一度も買ったことなかったけど。
それとか、遊戯王の「レアカード」発売か抽選か何かで幕張に5万人集結して混乱、みたいなのとか。一度も行ったことないけど。
話が逸れました、関係ないのに。失礼。
まあ、エコエコ言ってても、大体が微妙ってことは判るような気もする。ロハスとかも。
前にチラッと書いたけど>重農主義に学ぶ
同時代の人、ルソーが「自然にかえれ」と本当に言ったかどうか知らないが、ルソーも「自然偏重主義」的なことを言っていただろう。自然崇拝までいかないにせよ、現代人のエコエコ一派(エコエコアザラクとは関係ないよ、自然かぶれ、健康かぶれ、スピリチュアルかぶれ、みたいな人々)と似ているようだね。自宅出産とか自然出産の信奉者たちとも通じるものがある。どうも自然崇拝的な思想傾向というのは、回帰性があるのかもしれない。あれだ、「3歩進んで2歩下がる」(チーターに興味はないけど)。歌は成功もあれば失敗もある、というような意味であったと思うけど、ここでは敢えて違う意味を与えた。「自然にかえれ」というのは技術や社会の進歩を感じ取ると、それへの懐疑というか不自然さへの疑問が湧いてくる、というような人間の心理が関係しているのかもな、と。そういうのが時代を超えて、似たような思想が何度も繰り返し起こってくるのかな。
それが、3歩進むと、どうしても少し下がってみたくなる、というようなことなのかな?と。
まあいいや。よく判らんし。
ところで、今選挙戦の真っ最中だが、ルソーはこうも言っていたそうだ。レモンソーダ。カセイソーダ。
ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』
「イギリス人民は自由だと自分では考えているが、それはとんでもない誤解である。彼らが自由なのも、議会の構成員を選挙する期間中だけのことで、選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となり、なきに等しい存在となるのである」
まさしく、この通りであろう。
第三者機関から発表された年金給付決定で、「選挙があるからよね」と言っていた主婦の方の言い分と同じだ(笑)。
所詮国民なんて、選挙が終われば、奴隷と化し、無の存在となるしかないのだ。
Yahooニュース - 産経新聞 - お宝エコバッグ狂想曲 「人気度」読めなかった? 小競り合い警官出動も
(一部引用)
バッグはコットン素材で価格は2100円(税込み)。レジ袋削減をうたって英国の女性デザイナーがデザインし、人気モデルや映画女優ら“セレブ”が持つバッグとして世界的に人気が沸騰。今春のロンドンでの先行販売では1時間で2万個が完売、ネットオークションで定価の10倍以上の値がつくなど話題を呼んだ。この日は銀座店など都内3カ所で午前11時に限定販売を開始。銀座店前には前日深夜から行列ができ、「通りに人があふれている」との通報で築地署が警察官約20人を出動させた。
滑稽ですね。いい大人のくせに、一体何をやっているのでしょうか。
とか書くと怒られるかもしれんが。布で自分で作ればいいんじゃないの?似たような感じで。それじゃ、パクリか。海賊版か。ダメだね。
似てなくていいから、作ればいいのだ、手提げカバンくらい(笑)。
昔あった、「ドラクエ」の発売日の混乱に似ているような。一度も買ったことなかったけど。
それとか、遊戯王の「レアカード」発売か抽選か何かで幕張に5万人集結して混乱、みたいなのとか。一度も行ったことないけど。
話が逸れました、関係ないのに。失礼。
まあ、エコエコ言ってても、大体が微妙ってことは判るような気もする。ロハスとかも。
前にチラッと書いたけど>重農主義に学ぶ
同時代の人、ルソーが「自然にかえれ」と本当に言ったかどうか知らないが、ルソーも「自然偏重主義」的なことを言っていただろう。自然崇拝までいかないにせよ、現代人のエコエコ一派(エコエコアザラクとは関係ないよ、自然かぶれ、健康かぶれ、スピリチュアルかぶれ、みたいな人々)と似ているようだね。自宅出産とか自然出産の信奉者たちとも通じるものがある。どうも自然崇拝的な思想傾向というのは、回帰性があるのかもしれない。あれだ、「3歩進んで2歩下がる」(チーターに興味はないけど)。歌は成功もあれば失敗もある、というような意味であったと思うけど、ここでは敢えて違う意味を与えた。「自然にかえれ」というのは技術や社会の進歩を感じ取ると、それへの懐疑というか不自然さへの疑問が湧いてくる、というような人間の心理が関係しているのかもな、と。そういうのが時代を超えて、似たような思想が何度も繰り返し起こってくるのかな。
それが、3歩進むと、どうしても少し下がってみたくなる、というようなことなのかな?と。
まあいいや。よく判らんし。
ところで、今選挙戦の真っ最中だが、ルソーはこうも言っていたそうだ。レモンソーダ。カセイソーダ。
ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』
「イギリス人民は自由だと自分では考えているが、それはとんでもない誤解である。彼らが自由なのも、議会の構成員を選挙する期間中だけのことで、選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となり、なきに等しい存在となるのである」
まさしく、この通りであろう。
第三者機関から発表された年金給付決定で、「選挙があるからよね」と言っていた主婦の方の言い分と同じだ(笑)。
所詮国民なんて、選挙が終われば、奴隷と化し、無の存在となるしかないのだ。