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( ウォレン・ベニス )

オランダ人の祖先は韓国人という説――高山正之

2024-02-07 | 04-歴史・文化・社会
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日本が最初に付き合った外国人はポルトガルなど黒い瞳のラテン系で、いわゆる紅毛碧眼(こうもうへきがん)はオランダ人が初になる。しかし紅毛もラテンも決していいイメージは持たれなかった。イエズス会のポルトガル人コエリヨなどはキリストの福音を説きながら裏で日本女性を性奴隷に売り払い、秀吉から伴天連(ばてれん)追放令を喰らっている。碧眼のオランダ人はもっとたちが悪い。日本人は黒人奴隷を家畜のように扱う彼らを見てほとほと愛想を尽かした。


◆オランダ人の祖先は韓国人という説

『韓国への絶縁状』
( 高山正之、新潮社 (2019/3/18)、p105 )

日本が最初に付き合った外国人はポルトガルなど黒い瞳のラテン系で、いわゆる紅毛碧眼(こうもうへきがん)はオランダ人が初になる。

しかし紅毛もラテンも決していいイメージは持たれなかった。

イエズス会のポルトガル人コエリヨなどはキリストの福音を説きながら裏で日本女性を性奴隷に売り払い、秀吉から伴天連(ばてれん)追放令を喰らっている。

碧眼のオランダ人はもっとたちが悪い。日本人は黒人奴隷を家畜のように扱う彼らを見てほとほと愛想を尽かした。

おまけに彼らは風呂に入らない。臭く、不潔だった。彼らは1年おきに江戸城に参府するが、それを詠んだ句がある。「登城する紅毛に蠅のついて行き」

間もなく明治ご維新というころ福島の高野廣八(ひろはち)を頭に旅芸人一座が米国から欧州を巡業した。

パリでもロンドンでも大入りと大歓迎を受けた一座がオランダに入ると、途端に空気が変わったと廣八は日記に書いている。

街に出た廣八はオランダ人に囲まれ、悪態をつかれ、突っかかられ、「大喧嘩(おおげんか)と相成り」、ついには「大刀を引き抜き、無二無三に振りちらして」やっと追い払った。

「人わるし。また国もわるし」と彼に酷評されたオランダは真珠湾の後、頼まれもしないのに日本に宣戦布告してきた。

日本は英米を叩いた後の昭和17年3月、彼らの宣戦に応えてジャワ島に上陸した。

オランダ軍の主力8万が籠(こも)るバンドン要塞に先陣の1個大隊7百人が取りつき、1週間で要塞の一角を落とした。

オランダ兵はそれを見て震え上がって白旗を上げた。

中国人雑兵を含め、日本が戦った相手でここまで臆病な敵はいなかった。

しかし捕虜になった彼らは恥じもせず、満足な収容施設と待遇を要求した。

オランダは英米と手を組んで日本を経済封鎖した。食っていけなくなったから日本は戦端を開いた。

その貧しい日本に8万オランダ人捕虜は十分食わせろという。シンガポールでも英国人10万が、フィリピンでは米国人3万が同じように過分な取り扱いを求めた。

軍令部にあった高松宮さまは「割に合わぬ話なり」と感想を語られている。

結局、終戦まで寝て暮らしたオランダ人は戦後、日本側の待遇に因縁をつけて連合国軍の中で最多の226人を報復処刑した。

最後に処刑されたのは堀内豊秋(とよあき)大佐。セレベス島メナドに降下した海軍落下傘部隊の隊長で、逃げ回ったオランダ軍現地司令官F・ティウォン大佐を捕虜にした。

戦後、この男が堀内大佐を告発し、自ら裁判官になって彼に死刑を宣告した。

なぜ死刑かとの日本人弁護人の問いにティウォンは「なぜなら彼が日本人だからだ」と答えた。

高松宮さまがユリアナ女王に大佐の助命を乞(こ)うたが、女王は無視し、大佐は昭和23年9月25日、メナドで処刑された。ティウォンほどの卑劣漢を他に知らない。

オランダは戦後賠償でも十分にいやらしさを発揮した。当初、紳士面して賠償放棄を公言しながら陰で当時の金で36億円を取った。

さらに1991年、訪日したベアトリクス女王が宮中晩餐会の席で「日本には賠償を払う義務がある」と非礼の挨拶をし、2度目の賠償金を取り立てた。

その2年前の昭和天皇の御大喪にはオランダ王室だけが欠席した。

ちなみに昭和天皇は昭和46年にオランダを訪問されたが、オランダ人はお車に生卵と鉄製の湯たんぽを投げつけ、植樹された苗木も抜き折って歓迎した。

そのオランダの新国王訪日を前に先日、外相ティマーマンスが会見して「慰安婦も河野談話も生きている」と語った。

朝日新聞が慰安婦の虚構を懺悔(ざんげ)したのを受けてオランダの姿勢を語ったもので、外相は「今後も両国の高官会談では常に慰安婦問題を提起する」(朝日新聞)と付け加えた。

新国王も宮中晩餐会の席上でカネを要求するという意味なのだろう。

オランダ人の祖先が韓国人だと聞いてもそう驚かない。

(2014年10月23日号)
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