電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

不都合な真実 《 民は之に由らしむべく――谷沢永一 》

2024-05-31 | 04-歴史・文化・社会
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左翼は「民というものに政治の真実を教えない」ということだと解釈しましたが、まったくの曲解です。「由らしむべき」「知らしむべからず」の「べし」は可能の「べし」です。だから宮崎市定(みやざきいちさだ)は「大衆からは、その政治に對する信頼を贏ちえることはできるが、そのひとりひとりに政治の内容を知って貰うことはむつかしい」というふうに訳しているわけです。


◆民は之に由らしむべく、之を知らしむべからず――谷沢永一

『人生は論語に窮まる』
( 谷沢永一&渡部昇一、PHP研究所 (2000/01)、p141 )
[18] 信頼

〈宮崎論語 泰伯第八 ―― 一九三〉
子曰く、民は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。
(しいわく、たみはこれによらしむべく、これをしらしむべからず)

子曰く、大衆からは、その政治に對する信頼を贏(か)ちえることはできるが、そのひとりひとりに政治の内容を知って貰(もら)うことはむつかしい。

政治の根本は「計算」でなく「感情」である――――谷沢

これを左翼は「民というものに政治の真実を教えない」ということだと解釈しましたが、まったくの曲解です。「由らしむべき」「知らしむべからず」の「べし」は可能の「べし」です。だから宮崎市定(みやざきいちさだ)は「大衆からは、その政治に對する信頼を贏ちえることはできるが、そのひとりひとりに政治の内容を知って貰うことはむつかしい」というふうに訳しているわけです。

これは古今東西を通じて、「政治」というものの眼目を指し示していると思います。政治というものはたくさんの利害・得失が錯綜(さくそう)し、絡(から)まっているわけですが、それが損得ではなしに感情で動く。つまり、政治の根本が「計算」でなく「感情」であるところが厄介なのです。民が損得だけで考えてくれたら理解してもらうことは可能ですが、感情で人が動くものですから、少し遠い将来のためにダムを造るということに対する有効性、「結局、皆が得をする」ということをいかに説明しても、大衆にわかってもらうことは不可能であるわけです。これは古代、中世、近代、現代を問わず、一貫して同じであると、私は思います。

人間は近欲(ちかよく)―いちばん目の前の欲――に駆られるものなんですね。政治というものは、近欲とその反対である「遠欲(とおよく)」――時間が経ってからじわじわ効いてくるような政策――というものとの絡み合わせです。近欲を多少は満足させなければならないのと同時に、その中に遠い将来の効果というものの芽を埋め込んでおかなければならない。政治というのはそういう二元論で成り立ちます。

この二つの構造をすべての人にその通り理解させることは不可能であり、結局、孔子が考えたのは、政策を理解されることよりも「あの人のやることだから、間違いはなかろう」というような人格的信頼、あるいは「あの地位まで達した――海千山千といったら悪いけれども――非常に修練を積んだ熟練の政治家であるから、あの人のやることは間違いはなかろう」というふうに受ける信頼が大事だということです。この「政治とは信頼である」というのが、孔子の基本概念の一つです。

おそらく人類が続く限り、「政治は信頼なり」というテーゼは崩れないだろうと、私は思います。これはたいへんな理想形態なんです。

現代日本の政治は「知らしむべからず」ですが、それは知らしむに足るだけの政策がないからそうなのであって――ないものは理由を説得することができません――、孔子のいっている理想とは質的に異なっています。

それから、信頼を獲得しようと思っている政治家も、いまの日本では絶無です。「信頼」という言葉をすべての政治家が忘れていて、国民におもねっています。「時代の空気」に合わせればいいと、政治家は思っているようですね。具体的な名前をあげるならば、竹下登(たけしたのぼる)まではどこかに自分がやるべき政策について――それを口外するとしないとにかかわらず――腹中に一つのプランを持っていたと思います。

それ以後、そういう政治家が後を絶って、ただただ大衆におもねることだけに腐心しています。
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